戦闘純文学奥義・ゼノンのパラドックス
『宇宙は物質と放射線エネルギーから構成されている。
我々の世界に対する記述方法はたくさんあって、それぞれが全世界を記述するのに足る道具であると考えている。
戦闘純文学とチーレムの闘争は水掛け論にすぎない』
■ 再会
夏の満月は湿度の影響であまり美しく見えない。まるで
それは、種無しブドウと罵られたからには手段を選ばず親権を確保して妻に復縁を迫るという、ドクター・トランジットの異常な愛情を端的に表していた。
女がやる復讐はかわいいものだ。元彼の周辺へ自分の存在をほのめかせばいい。「あの男に何があったのだ?」という憶測に尾ひれがついて、社会的信用を失墜できる。
男の場合はプライドや自尊心を含んだ微妙な自己愛が絡み合って、女性への嫉妬や攻撃心に変化するから、これはもう恐怖以外の何者でもない。
トランジットは転生願望をもつ二人の少女を『不老不死』のメイドサーバントに改造した。「念願の不死細胞が完成したよ!」と何食わぬ顔で妻の言い分を潰せばいい。
カネ、子ども、名誉、三大悪徳を奉じる女に対するこれ以上の嫌がらせはない。ハウもスコーリアも強欲さはブーケに劣らない。似合いの母娘はすぐに打ち解けるはずだ。
表面上は平和な仮面夫婦を演じるだけでいい。やがて歳月が妻をじわじわと苛む。親子間でひろがる年齢格差に向ける周囲の好奇は、悪い噂を嫌う女の骨身にこたえるだろう。
ブーケ亡き後は娘たちを娶り、自分に不死細胞を施して、フランクマン帝国の後継者を僭称する。その為にはもっと金が必要だ。サンダーソニアは高く売れる。
迫りくるアストラル・グレイス号にソニアは当惑したが、すぐに呼びかけを開始した。IFF(識別装置)の故障もありえる。
「お姉ちゃん! 本物のグレイスお姉ちゃんだったら返事して!」
自艦の戦闘指揮所でソニアは、すべてのライブシップの聖母である霊長貝に祈った。ハウは偽グレの識別装置を作動させた。
「ただいま〜ソニアちゃん。無事でよかったよ〜」
偽グレの遺伝子記憶から帰納したグレイス本人の振る舞いを極力真似るハウ。作り笑顔も、本物よりかわいいと自負している。
「よかった! おねぇぢゃ〜ん」
ソニアは、偽の識別信号にわざと引っかかった。鼻水を垂らし、顔面をくしゃくちゃにしてWEBカメラの前に立つ。しかし、拳は震えていた。
サンダーソニア号の艦艇自衛システムをシャットダウンし、偽グレを警戒させないようゆっくりと接舷する。最後にパッシセンサーでスキャンした結果では、相手方も武装を停止しているようだ。
『意外なほど、あっさりいきました』
ハウは暗号テレパス波で偽ソニに潜伏中のドクターへ報告した。
「弱性抗ライブシップ・バクテリアを投与しろ」
彼と打ち合わせたとおり、偽ソニから麻酔性をもった小さなアンプルが発射された。
グレイスとうり二つに変貌したハウは、ソニアに爪がめり込むほどしがみつかれた。鼻をすするソニアは、背中をうちふるわせ、体重を預けてきた。ハウは疑った。これが本当に三千世界最強を標榜するメイドサーバントなのかと。
名子役さながらの演技をしつつ、ソニアは全霊を傾けて情報を集めた。
このライブシップはどこから来たのか? 姉本人でない事は確かだ。識別装置をいくらコピーしたところで、機器固有の誤差まで複製できない。ソニアが受信した信号波には、見知らぬノイズが混じっていた。
彼女は何者か? 確かにアバスはライブシップ樹の養分としてグレイスを喉から手が出るほど欲しがっていた。
では、彼女は姉を捕えたのか? いま、グレイス号が従えているライブシップは、まさしくサンダーソニア・オーランティアカのコピーだ。
無敵のライブシップ姉妹が量産体制に入ったのなら、さっさと特権者に宣戦布告するはずだ。リアル地球に何の用があるというのか?
ここまで二秒で計算したソニアは、おそるおそる尋ねてみた。
「おねえちゃん、隣に連れてる艦(こ)はだれ? どう見てもわたしなんだけど!」
ハウは一瞬、びくついた。麻酔アンプルは即効性のはずで、こうした問答は想定外だった。
「え……、えっと」
『平行世界から来たお前だ、といえ』 ドクターが脳波通信でアドバイスする。
「あはは、紹介が遅れてごめんね。あの時の交戦相手よ。別世界から来たあなたよ」
ハウはしどろもどろに弁明する。
「ふ〜ん」 ソニアは図星を指す。「じゃあ、フライトレコーダーを見せて」
ドクターの警告がハウの脳裏に響いた。『こいつを黙らせろ』
先にソニアが動いた。「ウィテッカー!」 目くらましの術式が炸裂する。ハウがひるんだ隙にソニアは壁際のメンテナンスハッチを外す。偽物とはいえ勝手知ったる自分の船だ。隠し武器の場所も心得ている。
量子突撃銃で制圧射撃をしつつ、ソニアは非常脱出口をめざした。戦闘純文学をまだ会得していないハウが悔しがる。「スコーリア! 何やってんのよ? さっさとあのバカを消して」
「スコーリアですって?!」 ソニアは、愚か者の失言を聞きもらさなかった。
「しまった!」
「そういう事だったのね! ハウ」
移民派がここでやっていることは言わずがなだ。リアル世界の制圧だ。
『スコーリア! のろま! ぐず! さっさとソニアを消しちゃって』
偽ソニの戦闘指揮所でスコーリアは焦っていた。世界を記述する能力であんなガキなど簡単に亡き者にできる筈……なのに。
『やってるわよ! やってるんだけど、消せないの』 スコーリアが小首を何度も傾げながら術を構えるが、何も起きない。
「もういい! わたしが殺る」
偽グレの射撃統制装置がサンダーソニア号に向かう天使をロックオンした。右舷量子近接速射砲のセーフティが外れ、給弾装置が12ミリ砲弾を砲身に送り込む。
メイドサーバントは自艦の艦橋にたどり着こうと必死に羽ばたいているが、まだ数十メートルの距離がある。間に合わない。
ガツンと偽グレの主翼に火花が散った。
「ワロップ?!」 ソニアが空中でホバリングする。振り返ると偽グレの翼をへし折ろうと、砲艦ワロップが体当たりをしかけている。
「自我の無い廉価版の癖に!」 スコーリアが偽ソニの対艦速射砲で目標を追い回す。
黙って撃たれるワロップではない。「消えた?」 照準から外れた目標をスコーリアが探し回る。
「戦闘純文学者用の武器ばっかりじゃん!」 ハウは兵装リストを指で何度も往復させる。
二人の偽物がまごついている間に、ソニアは自艦の戦闘指揮所にたどり着いた。「シトラスのそよ風!」 超空間へと逃走する。
量子重力が格子状にきらめく空間をワロップがトコトコと翔けてくる。「かわいい!」 ソニアは勝手についてくる砲艦に愛着を覚えた。
彼女は一路、ツィフォン第二彗星をめざしていた。移民派がライブシップの量産化に成功したという事は姉の無事を意味する。アバスの元から奪い取ったのか、どこぞの秘密工場に隠しているのか解明を急がねばならない。
あと一日で異世界の扉が閉まる。二年後にまた開く保証はない。
「力が消えただと?」 涙目で訴えるスコーリアに、ドクターは改良中のモーダルシフターを取り落した。
「あたしの力が〜」
ショックで寝込んだスコーリアをハウが介護している。
「どういう事だ? やり方が悪いんじゃないのか」
トランジットは、試しに小物を消去させてみた。
スコーリアは安堵を取り戻したが、自信に満ちた目の輝きは失ったままだった。「力が……薄れていくの」
戦闘純文学者どもがモーダルシフターの対策法を編み出したというものの、それを打ち破る方法をドクターは考案していた。
だが、チートの根本を支えているスコーリアの「世界を記述する力」が失われつつあるいま、あの女との決着を急がなければならない。
彼は二人に命じた。「逃げた魚の深追いはするな! このままハイフォンに進路を取れ」
■ 局所最適解
経路積分という言葉がある。始点から終点までの過程を面で表した場合に、経路は無限に存在する。トランジット夫婦のいさかいは、不幸から幸福に至る運命共同体の認識論に過ぎない。
全体主義的なチート国家の建設を、個人的な射幸心を束ねて公共の福祉を実現する戦闘純文学で書き換えたところで、導かれる結論は同じだ。
「どこが違うというの?」
彗星中心核上空。ペイストリーパレスの戦闘指揮所にいきなりワープアウトした夫にブーケは面を食らった。おまけに、どこの馬の骨ともわからない娘を二人も連れてきて、養子に迎えろという。
もうわけがわからない。挙句に、持論の優位性を根拠に歩み寄れという。落ちぶれた男はどこまで知能指数を下げれば気が済むのか?
「競争原理の有無だ」 彼は言い切った。
「チートは平等に授かる最強、戦闘純文学は個人がそれぞれ突き詰める最強。後者には不必要な争いが生じる」
「だから、わたしに屈服しろと? 冗談は顔だけにして! それに……」
ブーケは、ストーカーを黙らせる切り札を出した。独房の施錠を解除してグレイスを呼ぶ。
「それに、わたしには子どもがいるもの」
「お……お前という奴は!」
ブーケにしだれかかるセーラー服姿の少女を見て、トランジットはブチ切れた。
プライドをズタズタにされた男の行動は神がサイコロを振るよりも予測しがたい。
「よろしい! 戦争だ」
彼が捨て台詞と超空間へ退散した。同時に偽グレ、偽ソニが至近距離から攻撃を開始した。オットーメララ対艦量子速射砲がペイストリーパレスを挟み撃ちにする。
向けられたのは半徹甲弾だ。敵を貫通したのちに内部で爆発する。
発射から命中まで避ける余裕もない。
撃たれる方は、丸腰の連絡艇だ。どうする?
■ 離脱
「両舷より対艦量子徹甲弾、合計二十発、零距離射撃、回避不能」 艦艇自衛システムが警告する。
通常なら誘導弾を惑わせる光学式ジャミングやヤング干渉チャフ、量子ゆらぎフレアで妨害し、最後にコンプトン散乱効果砲で量子レベルにまで粉砕する。
肝心の自衛手段がないのだ。初めての戦闘でブーケはおろおろしている。
戦闘純文学『ゼノンのパラドックス』さえ使えたら!
だが、自分は術力を呼び出す程の繊維を身にまとっていない。このまま黙って殺されるのか? グレイスは覚悟を決める時間を惜しんで計算した。
そして、
別名、分割のパラドックスとも呼ばれる。空中を飛ぶ矢は目的地までの中間点を越えなければならない。その後、その位置と的の中間点を通過する必要があり、理論上は、無限の課題を解決せねばならない。
もちろん、実際の物質には最小単位があり、距離を無限に分割することはできないが、原始的な飛び道具は簡単にひっかかる。術式が使えないライブシップの武装など、豆鉄砲だ。
ペイストリーパレスは、同じ場所で永遠に滑空を続ける砲弾を後にして、軌道を離脱した。
「なにをやっている? 追え!」
ドクターが照準を空回りさせるハウを怒鳴り散らす。彼女は
夕闇が迫り、街灯がついた。忘れていた洗濯物を取り込もうとベランダに出ると、「あれ」が中央広場に影を落としてた。
ちょうど、城壁都市の衛兵たちが交代の儀式を済ませ、砲兵が本日最後の攻撃を準備していた。
ハウは慌てて六分儀を取り出し「あれ」の観測に取り掛かった。微動だにしない「あれ」の座標を薄明りの中で書き留める。これで今日の業務は終わりだ。
書斎の鍵のついた引き出しへしまい、一人で夕食の準備にかかった。壁の女神像に一日の無事を感謝する。
明けても暮れても、「あれ」は街の空に居座り続けるのだろう。明日も早い時刻から「あれ」の位置を書き記さねばならない。
彼女に両親はいない。物心ついた時から城で育ち「あれ」を書き記す訓練を受けて来た。疑問を挟むことは許されなかった。
「あれ」の偵察が彼女の使命なのだ。その為に生まれ、その為に、老いて逝く。そう信じている。
「ハウ、どうした! ハウ」
ドクターに肩を揺さぶられても、ハウは虚ろな目をして、何もない空間をロックオンし続けた。
「これが……戦闘純文学か……」 身震いするドクターの横で、しわだらけのハウが安らかな眠りについた。
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