軍曹と生艦娘(きむすめ)
二つの世界をまたぐ戦争は滅亡エンドを迎えつつあった。
リアル世界の地球は大型バスほどもあるチートゴキブリが天下をとり、異世界ではライブシップが王国を築きつつあった。
異世界の扉が閉じるまであと二十三時間。人類は両方の世界で潰えてしまうのか?
■ 大赤斑
現実の世界。木目調の巨大ガス惑星が、ギョロリとした赤い単眼でこちらを睨んでいる。木星の大赤斑だ。直径約四万キロメートル。
地球が二、三個はすっぽり入りそうな空域にリン、硫黄、炭化水素の嵐が吹き荒れている。地上の千倍のパワーを持つ雷が絶えず落ちている。
分厚いガスの下には硬い山脈がそびえている。太陽系最大の火山「クロノス」だ。火口も並外れた大きさだ。何と火星はここから噴出したという。
噴火口の縁に九州ほどの太さの樹が生えている。ライブシップの成る樹だ。遥か虚空をよぎる彗星に向かって伸びている。
異世界の扉だ。
■ ハワイ 帝国軍大本営
「異世界砲の準備をしています。確率変動エネルギー確認中」
血走った狼男の瞳にウインドウ表示が反射している。ポップアップウインドウが開いた。二つの円グラフが侵略の達成率を示している。
リアル地球側は、まだ三分の一が抵抗している。シアの率いるアメリカ合衆国がゴキブリの侵攻に耐えていた。異世界側のグラフはほぼ真っ赤だ。有志連合軍は白夜大陸に猛攻を加えている。
その報を聞いて、メディアはアムンゼン・スコット基地の執務室に置いてきた観葉植物が心配になった。よく、シアとふたりで見本市へ行ったものだ。やたらと口実を作っては観察しに来るシアに嫉妬すら覚えた。
基地は帝国軍が無傷で接収してくれればいいが。
思い悩んだすえに、夫に相談しようとしたら、目が合ってしまった。
「メディア。案ずるに及ばないよ」
狼男はすべてを見透かすような目をしている。はっとして、メディアは顔をそむけた。
「顔に書いてあるよ。君の不安をぬぐってあげよう」 彼は熱い唇を重ねた。
「現世界変動確率二十三パーセント、異世界変動確率九パーセント。出力比三十九パーセント……」
射撃統制装置が進捗状況をを告げた。
■ 彗星王国 暫定移動首都
大人の頭ほどもある水晶球の中で紫色の人魂が威勢よく燃えている。透明な球面に首相の顔がゆがんで映っている。
「俺をどうしようってんだよ?!」
「悪いようにはしないよ。お前は大切な
「お、俺は女の子だぞ? 背は小さいけどエプロンドレスも、ニーソもよく似合うんだからねっ♪」
「ほう」
首相は身を乗り出し、台座から水晶を外して抱きかかえた。
「オイ……じゃなかった、きゃあ! お、お嫁にいけなくなりますぅっ」
「ぶりっ子しても無駄だよ。お前はコヨーテ・枕崎。権力に牙を剥く男じゃないか?!」
「うぐぅ……」
人魂は線香花火のようにしぼんでしまった。
「お前は自分をまだ人間の男だと信じている。そうさ、ヒト科最後のオスだ」
アバスが下卑た目線を投げると。ドレープカーテンが乱暴にめくれ上がった。全身剛毛に覆われた大男がガニ股歩きで現れた。
戦闘純文学者が術式を放つと、彼はすうっと宙を滑って水晶球の近くに浮かんだ。
「おいっ、まさか、やめろ!」
コヨーテの魂は球体の中で滅茶苦茶に飛び回った。
「嬉しくないのか? 男の体に戻れるんだぞ」 アバスは球体を高々と差し上げて、コヨーテに大男を見せつけた。
「やめろーっ!」
彼の抗議もむなしく、アバスは移魂の術式開始を戦闘純文学者たちに命じた。
■ 偽帝暗殺部隊
超長距離ワープドライブが跳躍空間にさざ波を蹴立てていた。総統府の前衛をカルバリー艦が護り、しんがりをモーリー艦が警戒している。
「何かわかった?」 カルバリーの戦闘指揮所。助手席にモーリーが座り、暫定移動首都ハザウェイに関する分析データを食い入るように見ている。
「確かなことは浮かんでこないわ。ただ、あちこちから標的にされている事だけはつかめた」 カルバリーは遠距離量子レーダーの補正作業で疲れた目をこすった。
ノイズ除去フィルターを重ね過ぎて輪郭がぶれているが、五十基の陸ガメすべてが、三百六十度全方向からレーダー照射されている。
中央諸世界の勝利は明白である。人類圏のどこに首都奇襲をしかける兵力が残っているのか。
「まぁ、味方が多いに越したことはないわ。ダモクレスの調子はどう?」 モーリーは机上のコーヒーカップを片づけた。
後部シートで仮眠を取っていたマリーが、寝ぼけ眼で答える。「らい丈夫。彗星をちゃんとロックオンしている」
「だったら、いいんだけど」 モーリーは漠然とした不安をぬるいコーヒーで飲み下した。
天下布武を誇るフランクマン帝国があっさり陥落し、前途芒洋たる彗星王国に出どころ不明の刃がいくつも向けられている。
意図的な何かを感じざるを得ない。コーヒーの最後の一滴を飲み干してしまうと、彼女は頭を切り替えてキッチンへ向かった。
■ ミッドウェイ島上空
あわや、死の灰となる寸前だったリュセフィーヌを救ったサンダーソニア号は軌道上の究極戦艦ゲティスバーグとコンタクトを取った。
姿形は違えど、一度は死に別れた母娘が再会を果たした。男子三日会わざれば刮目して見よ、というが女子も言わずもがなである。
女子中学生だったサンダーソニアはほんのり大人の色香を帯び、生活感をそこはかとなく漂わせていた。
「あんた、どうしたの?」 戦闘指揮所に心配そうなシアのホログラフが投影される。
「あのね……おか~さん」 サンダーソニアはうつむきながら答える。
シアにひどい目にあわされたリュセフィーヌは拳を振り上げたまま、凝固している。
サンダーソニアは深呼吸ののち、意を決したように一気に吐き出した。
「わたし、こどもができたの!」
シアとリュセフィーヌは口をへの字に曲げ、両眼を点にしたまま、たっぷり五分は沈黙を保った。
次の瞬間、艦全体を震わせる轟音と衝撃が襲ってきた。
あの黒いヤツとエンカウントしたのだ。
「妊娠の件はあとで聞くわ! 今は頭上の脅威が先よ」
「ちょ、おかあさん、妊娠って」
■ コックローチ・ファイト
「三時の方向に小規模な重力波探知! ゴキ群、その数百五十、距離七海里」
空母レンジャーから発艦したVF-2バウンティーハンターズの戦闘機がタイヤを軋ませて、サンダーソニア号に降りた。F-22Nアタック・トムキャット。
F22ラプターの機体にF14の可変翼を流用するという際物である。
そもそもゴキブリの飛行能力は落差を利用した緊急避難的な機能で、どちらかと言えば滑空に近い
パイロットの「ニンゲン」たち十Gの荷重に耐え、疲れも知らない優秀なパイロットだったが、操るほうは大変だ。三個飛行隊も同時に運用するシアは疲労が色濃い
「爆装、AIM-9X」 ソニアの指揮のもと、ニンゲンの整備兵がサイドワインダーを運んでくる。
トムキャットは超音速空対空ミサイルを再装填し、空へ舞い戻る。
「あれを一匹見たら、その三十倍はいるそうですよ。奥さん」
リュセフィーヌの指摘に、ソニアが「昭和か!」とすかさず突っ込みを入れる。
「きりがないわ、やっぱり回虫退治の専門家に頼まないと」 シアは苛立っている。
「回虫のプロって?」 ソニアが小首をかしげる。
「軍曹よ!」 シアは、何か妙案をひらめいたようだ。語尾が笑っている。
そう、自宅警備員の心の友、主婦の味方、アシダカ軍曹である!
━━アシダカグモ
人家に棲息する大型のクモとしてよく知られている。徘徊性で、網を張らず、歩き回って獲物を捕らえる。
ゴキブリなど家の中の衛生害虫を食べる天敵としては益虫かつ姿を苦手とする人にとっては不快害虫でもある。
━━(Wikipediaより引用)
積乱雲をかき分けて、六発式の巨大ジェット輸送機が現れた。スペースシャトルを背負って運べるような凄い奴である。
アントノフAn-124ムリヤ。唯一無二の巨体は悪魔のごとき積み荷を機体の上に直接載せている。
「ちょ、おかーさん、どっから持ってきたのよ!」
ソニアは夢(ムリヤ)であってほしいと願った。脚の長さはそれぞれ五、六メートルはあろうか。そのモンスターは複眼でじっと乱舞するゴキブリの群れを眺めていた。
■ ライブシップ クミ=ナギコ
サンダーソニア号の甲板では大漁のマグロ漁船のごとく、丸々太ったチートゴキブリが山積していた。『軍曹』が複数の脚を巧みに使って獲物を味わうようにゆっくりと丸かじりしている。
「おか~さん、痛い~」
ソニアは、右舷に接舷した砲艦ワロップの出自について、小一時間ほどシアから説教を受けていた。シアがソニア号に製造させたマジックハンドがソニアの耳をつねりまくっている。
「凪子さん」
かびすましい戦闘指揮所の隅でクミは要件を切り出した。今なら、誰にも盗み聞きされる事はない。
マジックハンドが艦橋を走り回り、そこかしこの備品をなぎ倒し、ソニアが羽をバサバサと散らして逃げ回る間、クミは口角泡を飛ばし、凪子は大粒の涙を流した。
二人は平手で打ち合い、抱き合い、激論し、号泣した。
やがて、話し合いがまとまったのか、凪子は名残惜しそうな顔をして、部屋を出ていった。
「八時の方向に大規模な重力波探知!」
ソニアは、殺気を感じて反射的に叫んだ。視界に量子レーダーのスキャン映像と地図が飛び込んでくる。こめかみに続々と敵味方識別結果が突き刺さる。
「オーランティアカ級航空戦艦サンダーソニアにアストラルグレイス? 何、この相打ちフラグ!?」
ソニアの網膜には鮮明な艦影が陣取っていた。
偽グレ、偽ソニがサンダーソニア号を挟撃するように成層圏から滑り落ちてくる。
「生け捕りにできれば上出来だが、最悪、殺しても構わん!」
ドクタートランジットがスコーリアとハウに命じた。
「「はい、パパ」」
二人のメイドサーバントは、ドクターと軽い抱擁をかわし、それぞれの艦の戦闘指揮所へ向かった。
次回、最終決戦。
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