いのちをつなぐ戦い。
■ 死闘! ギヌンガガップ
「人の痛いのは三年でも辛抱する」と故事にある通り、他人の苦しみに無関心な者もいれば、「他人の疝気を頭痛に病む」という風に同情する者もいる。
凪子はどちらかと言えば後者の側だ。身長百四十センチと小柄で力も弱いがジタバタ必死で抗った。
「ろくでなしはないでしょう! あたし達は子供達の命を救うために戦っているのよ」 クミはアヤと二人がかりで凪子を押さえつけると、髄液を無理やり採取した。
幸い、メグの術式で痛みが幾らか和らいでいるが、飛び上がりたい衝動を何とか我慢出来る程度だ。
小型トラックほどの岩を盾にして、カムチャッカ・リリー隊の少女達が崖っぷちに陣取る男どもを狙撃している。
「ブリリアント・アンカー!」 岩に背をあずけ片膝をついていた小娘が術式を唱える。こつ然と虚空に眩しく輝く鏃が出現した。岩を回り込んで、地面すれすれを飛び、谷底からすくい上げるように崖を登る。
岩場でロープを伝っていたチート兵達は足場を失い転落死する。べちゃっと骨が潰れる音が聞こえる。
「うわ……」 処置を終え、ショーツの上にスリップを羽織ろうとしていた凪子が目を逸らす。その間にも、腹を撃ち抜かれたKL隊員が両目を見開いたまま転がる。
風がうなりをあげ、暗闇に舞う吹雪が勢いを増した。メグの傍らで、意識のない少女が、べっとりと血に染まったスカートから火傷だらけの素足を投げ出している。
「だめ、全然、術力が足りないの!」 爆風が巻き上げた泥を頭から浴びつつ、アヤが被りをふる。先ほどの少女は身体を小刻みに震わせている。
「クミ、勝てるって言ったじゃん?」 アヤが、翡翠の原石に神経を集中していたクミを叱る。
「渓谷の生き物たちから術力を分けて貰えば、イケると思ったのよ!」 クミがヒステリックに反する。
「あれのせいよ」 メグがギヌンガガップ渓谷の上空を指さす。ずんぐりむっくりした双胴機が地上に向けて量子ロケット弾を撃ち込んでいた。爆炎が上がるたびに、翡翠の色が褪せていく。
「どうして、犠牲者を増やしてまで戦いに拘るんです?」 凪子がクミに顔を近づけて悲痛な声で言う。
「黒百合が一分一秒でも生きのびるチャンスをつくるためよ」
「あなた達は戦争が嫌で人類圏から逃げ出したんじゃなかったの?」 凪子が矛盾を指摘すると、クミは目を逸らした。
狭い坑道にずしんと鈍い振動が響いた。凪子の前に青白い脂肪の塊が二本現れた。蚯蚓腫れの走る太腿を交差させて、重いナップザックを背負った少女が降りて来た。よろよろと地面に足をつけ、転びそうになった。
「マキ、どうだった?」 クミが期待と不安が入り混じった声で尋ねる。
「ダメだった。弾薬庫の二十メートル手前で陥没してた。行けると思ったんだけどねぇ」 マキは装備を背中から降ろすと、砂で汚れたスカートとショーツを手で払った。
「後ろ!」 凪子がマキの背後を見やる。「危ない」 クミが彼女を突き飛ばす。短い飛翔音がして耳がツーンと鳴る。
「サイレントサンダー!」 甲高い叫び声と共に、どす黒い奔流が凪子の視界を塞いだ。塗り固められた闇と静寂の中を彼女は手を引かれるままに走った。
「糞アマ!」 男の罵声が飛ぶ。「うっさい! ヒューマントーチ!」 女二人の怒号と同時に坑内が短く瞬いた。凪子が枝道に続く曲がり角で振り返ると、人間の形が燃えるかたわらで、小躍りする二つの影が見えた。
その後に発砲音が間断なく続き、きゃあきゃあと悲鳴がした。
「二人の死を無駄にしないで」 クミが叱りつけるような目で凪子を睨む。気圧された彼女は、自分の意
志に反して頷いた。自分はこの子達を殺す任務を帯びているのに。
「あたしの背中に注目して、まっすぐついてきて」 クミは壁を扉を開けると、急な階段を登り始めた。息を弾ませて凪子も後を追う。
クミが肩に担いだケースから声がする。「「おねぇいちゃん」」
背筋を凍らせた凪子が立ち止まる。「何なんですか? それ」
「立ち止まるなあっ!」 答える代りに、クミは凪子を振り払う。振り向いた彼女の眼前に、干からびた男の顔があった。粉っぽく砕け散る。
「セプティックの術式はあと一回こっきりだから、今度、立ち止まったら、あんたが干からびるよ」 凪子を本気で殺しそうな表情で睨む。
「はい」 凪子はカラカラに乾いた声で答えた。
■ 暗黒粒子加速器
階段を登りきると、高さ三メートルはあろうかという大きな鉄扉が行く手を塞いでいた。
「黒百合は咲いているか?」 鉄扉の向こうから女の声がする。
「満開だ」 息を弾ませてクミが答える。
「養分は血か? 香りか?」 声の主は疑っている。
「香だ」 吐き捨てるように答える。
「入れ」
重厚さに似つかない素早さで扉が横へ滑った。二人がいそいそと抜けると、サッカー場ほどの空間に出た。ピカピカに磨かれた床に軽自動車ほどの地球が二つ映っている。
両方の間に一回り小さい暗黒の球体がある。凪子が顔をあげると、それらを何十倍も膨らませた物が、満点の星空に浮かんでいた。見上げると後ろに転倒しそうになるほどだ。
びゅうびゅうと両脚の間を突風が吹き抜ける。
「……これは?」 息を呑む凪子。舞い上がったスカートを押さえつけるのも忘れてしまう。
「暗黒粒子加速器……異世界の扉体験版といえば、いいかしら?」 クミが前髪をかきあげる。
「こんな物を護るために闘っているんですか?」 ばかばかしくって凪子は目頭が熱くなる。
「ちがうわ!」 クミは凪子を思いきりはり倒した。
ジュラルミンケースを床に置き、萎えるように腰かける。
「だったら、洗いざらい話して下さい!」 凪子は何を思ったのか、おもむろにスカートを脱いで、両手
で帆を掲げるように持つ。
クミははっと両目を大きく開く。「ダークマター・デバイダー? なぜあなた達が?」
「聞きたいのは、こっちですぅー!」 凪子は、スカートを握る指先に力を込める。ホックが七色にせわしなく点滅しはじめた。
「わ、わかったわ……」 クミは、立ち上がって凪子に近づく。
「ちょっとでもわたしに近づいたら、あと、真実をいわないとクミさんを空間ごと裂きますぅー」 風になびくスカートが頭上の地球を断つようになびく。
「は、話しますから、おちついて。まず、スカートを履きましょう」 クミは震えながら諭した。
■ 世界観コンバーター
「そもそものきっかけは、徴兵忌避者の間で起きた、戦争の無い世界が実在しえるか、どうかの議論だったわ」
クミは遠い故郷を思い浮かべるように、ぽつぽつと話し始めた。
「もし、戦争がない世界が実現したとして、じゃあそもそも、何で戦争が起きるかって疑問」
「人間は欲深い罪な動物だからよ」
「あなたの世界のライトノベルのたぐいは、そう説いているの?」
「だいたい、出尽くした答え」
「可哀想な作家さんたちね。あたしたち、戦闘純文学者が住む世界では違うの」
不確定性原理に支配された宇宙では、常にゆらぎを必要としている。不安定さがなければ、変化が必要とされない。
固定された状態、つまり現状維持に甘んじるならば、進歩という行為は意義を失う。
それならば、宇宙はなぜ真空から生じたのか?
存在する事自体が、無を打ち負かす行為であり、すなわち、戦争である。
クミは戦闘純文学者らしい理にかなった説明をした。
「…だからね、存在しなくても存在が許される宇宙を創造しようと思ったの」
「何を言ってるの? キチガイの妄想じゃない! あなた、わたしを馬鹿にしているの?」 凪子はスカートを思わず引き裂きそうになった。
「そのキチガイよ。宇宙そのものに妄想を抱かせるのよ!」 戦闘純文学者が真顔でいうのだ。凪子は怒りを禁じえない。
「出来るわけないじゃない! マジキチばばあ」
「可能よ。宇宙は認識されることで初めて実体化できる。物理学でいう『強い人間原理』ね。承認欲求は人間の特徴よ」
「宇宙が人間だというの?」
「あなた、合理的な反論ができる?」
「うぐぅ……」
「カムチャッカ・リリーはね、移民党の反主流派をなす、原理主義者よ。党本部はあなた達の世界を征服して移住を企んでいた。でも、それじゃ結局、戦争で領土を勝ち取る事と同じよ」
「だから、人でなしとわたしは言ったの。結局、KLの女子たちが死んでるじゃん!」
「人の話を聞けぇ!!」
クミはジュラルミンケースを蹴り飛ばした。床を滑り、凪子をなぎ倒す。
「きゃあ!」
八の字に開いた箱から黒百合の容器がごろごろと床に転がる。
「この子達は、ライブシップの苗よ。サンダーソニア=オーランティアカ。キャセイ元女王から、あたしたちが奪った」
「つくづく汚い女ね! 最初からアバスを裏から操ってた?」
「ええ、サンダーソニアは三千世界を飛べる船でしょう? 本当に戦争のない世界が届くところにあるのよ。暗黒粒子加速器は」
クミが暗黒の球体を見上げる。「せめて、この子達だけでも、あの宙(そら)へ」
頭上には二つの異世界が浮かんでいる。現実の地球と異世界の地球。その間に、宇宙が夢見た地球が漂っている。
「そんなことの為に大勢の女子が犠牲になるの?」 凪子が、スカートを叩きつける。床にざっくりと亀裂が走る。
「あなただって、女でしょう?」 クミが真剣な眼差しで問いかける。「あなただって、母親になるのでしょう?」
母親……
ガツンと凪子は衝撃を受けた。子どもを宿すも、ライブシップをクミたちの子孫代わりに放つのも、命をつなぐ行為に変わりはない。
振り上げたスカートをさっと降ろす。
━━(それゆえに、主ヤハウェは、こう言われる、)
「見よ、わたしはシオンに、一つの石を礎として置く。これは、試みを経た石、礎を置かれた基礎の、尊い隅石。信ずる者は、あわてることがない。ペテロ2章6節
「カムチャッカリリーは、命の礎になったのよ」
■ 黒百合 散華
ギヌンガガップ渓谷最底辺 暗黒粒子加速器入口
戦闘純文学者の術式とチートが激しくぶつかり合う。岩場が激しく爆ぜ、光弾が右へ左へ落下する。
もうもうたる白煙をすりぬけて、漆黒の鏃が飛ぶ。チート能力者は飛翔するコースを見切り、背筋に力を込める。
人間の背程の岩が爆散し、戦闘純文学者は敵の生死を観測する。
事実が確定する直前に、チート能力者は礫を投擲する。甲高い悲鳴をあげて、戦闘純文学者が喉笛から血を散らす。
チート能力者が、スキルを発動して口から猛火を洞窟の奥に向けて吐く。
ドレスに引火して火達磨になった少女が次々と出て来る。
パン、パンと乾いた音がして、煮えた脳漿が地面に吹きこぼれる。
加速器の研究棟が包囲された。カムチャッカ・リリーたちは、もはやこれまでと量子手榴弾で自爆をはかるが、充分な数が行き渡っていない。
「あたしが先に死ぬぅ」 手ぶらの少女が消火器を振りかざし、手榴弾を持った娘の頭を潰す。信管が作動し、建屋がはじけ飛ぶ。
地下の物資搬入路を逃走するKL達。天井を蹴破って、チート能力者が現れる。
仲間の阿鼻叫喚をしり目に、逃げのびる少女。ぬるま湯を右から大量に浴びる。彼女が振り返ると、縦に両断された友人が転がっていた。
戦闘純文学のスキルを持たないKLの研究者が手榴弾を求めてさまよっている。「あたしを誰か殺してちょうだい」
既に彼女らの数名は侵入したチート能力者の男達に暴行されていた。
彼女は、撤退中のKLと鉢合わせした。「もう、逃げられないのなら、いっそあたしを殺して下さい」
懇願する少女にKLは首を横に振る。「あたしには、丸腰のあなた達を撃てないわ」
ギヌンガガップは燃えていた。黒百合が鬼火に包まれていた。
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