淘汰圧戦争〜ブレーメン沖会戦

 ■ 罪と詰み


 現実と異世界の命運はドクタートランジットとミセスドライフラワー、男女二人のいさかいに収斂しつつあった。そして、巻き込まれた両世界の住民。

 立場はいろいろあれど思いは一つ、超人的力の行使による恒久平和の実現である。


 ドクターは現実世界に軸足を置き、人間の自己実現と幸運の再分配による一律的な進化が平和につながると信じ、ミセスは万人が個性的な神を演じることで最終目標に至ると望む。

 個人の運命を他人にゆだねるか、否か、最終決戦が勃発した。両世界の明日はどっちだ?


 アストラルグレイスは、連絡船ペイストリーパレス号が前触れもなしにライブシップと化したことで、なし崩し的にミセス陣営に取り込まれてしまった。だが、彼女の高尚さは誰も奪えなかった。彼女は、故意にブーケを逆撫でし、収監されることで打開策を探る余裕を確保した。


 気丈な彼女も独房で静かな時間を過ごすと、私的な雑念に感情を乱された。断片情報をつないで里親夫婦の生存が絶望的であること、妹は未婚の母親として量産型ライブシップの血脈を築いた事、女上司は帝国の妃として現実世界の侵略に従事していることを把握している。家族や知人同士が狂わしい世界の駒として憎しみ合うほど悲しいことはない。

「長女であるあたしが何とかしなきゃならないんだ。でも、どうすれば?」 彼女は、つい涙をこぼした。それが、彼女の反骨精神を起動した。


 泣かないこと、みじめなことを自分を客観視する機会に変えて、自尊心を保ってきた。

「あたしを、あたしを……泣かせるなんてぇっ!」 彼女は計算力を授けてくれた母親に感謝し、大逆転の黄金律を弾き出そうと誓った。



 中央諸世界政府の正式な宣戦布告によって国連を牛耳るアメリカの七百年に及ぶ対テロ戦争の構図が大きく変容した。これまでは未知の相手とはいえ特権者は知的生命体であり、停戦合意に至る余地はあった。今度は本質的に違う。敵は領土や賠償金が欲しいのではなく、人類を隷属化したいのでもなく、ただ憎悪ありきだった。食うか食われるかの戦いだ。

 有史以来、地上に足跡を残した人間の数は延べ一千億人と言われる。

 食われた側の主張では、そもそもアダムがイブの誘惑に応じなければエデンを追放され、人類に寿命を課されることも無く、糧を得るために殺生をすることも無かった。人類は不老不死を取り戻したのだから、アダムとイブを残して死すのが本筋だという。強硬派議員の中でも豚と牛と鶏で構成される家畜の会派はそう主張し、鯨や海豚の派閥が後押しして、霊長貝の権力を以てしても抑圧は不可能だった。


 こうして、ハイフォン第八彗星をめぐる戦端が切られた。まず先鋒は、あの大逆賊シア率いる近衛師団である。今や彗星王国の女王となった彼女は、でっぷりと貫録ある姿で歯に衣を着せぬ恫喝を行った。以前の品行方正な彼女を知る軍上層部はある種のカルチャーショックを覚え、士気に大きな影響を及ぼした。


 艦隊戦の基本はアウトレンジからの超長距離艦砲射撃である。態勢立て直しのため、初動が遅れた人類側の艦隊は量産型砲艦ワロップのホーキング怒涛輻射攻撃をたっぷり浴びて、どしどし削られていった。さすが、後追いの粗悪な模造品とはいえ、ワロップは三千世界最強を自称する戦艦の末裔である。最初の撃ちあいで人類側の砲撃はほとんど沈黙した。


 続いて、射程圏内の殴り合いに突入した。ライブシップを欠いた人類側は劣勢を強いられると思いきや、善戦した。ドクタートランジットが兵士に注入したチートが本領を発揮した。

 三次元空間の兵法は第二次大戦の海戦と変わらない。空母機動部隊が航空戦力を前面に押し立てて進出する。


 ■ ブレーメン攻略戦


 彗星中心核を公転する最大の岩塊、ブレーメンは王国本土空爆の橋頭堡となる事から、血みどろの攻略戦が想定された。王国側は先日の懲罰艦隊による奇襲に懲りて、岩塊をすっぽり覆うライブシップの輪形陣を敷いた。更にブレーメンを中心に十字形に艦隊を配備し、一点突破された場合に二つの軸を用いて、敵部隊を背後から挟撃可能にした。


 夜のとばりに近い暗がりの中、群青色のゆらめきが操作卓を照らしている。陣頭指揮をとるアバスが振り返るとガラス張りの水槽を雌シャチが悠々と泳ぎ去った。

「総統はここ一番で冷酷さを発揮する男だ。捨て駒の波状攻撃で突破するかも」

「あら、大丈夫よ。たっぷり機雷を散布したの。超空間からの奇襲にも対策したわ。重力系の術式をもつ戦闘純文学者を要所に配し、ワープ明け直後の敵艦に大量のデブリを浴びせます。敵艦隊は射線上の障害物を排除した上での奇襲が前提で、そこに付け入る隙があります」 雌シャチの参謀は余裕たっぷりに答えた。

「異世界の扉が閉まるまであと二日耐えればいいさ。総統があちらの攻略に執着している間に帝星を滅ぼしてやる」

「本当に何を考えているのやら。向こうに閉じ込められばいいのに」

 ブレーメンの射程外に有志連合軍の艦隊が到着した。戦闘純文学者やライブシップを粛清したため、白夜大陸の押収武器庫から大量破壊兵器を持ち出した。

 装備は完成前に終戦を迎えた戦艦や、戦後の混乱期に流出し改造された艦艇などバラつきがある。要員の熟度も練度も不統一だったが、そこはチートで補った。

 旗艦で指揮を執るのは総統の右腕、仰山将軍である。五分刈り頭に口ひげを蓄えたギョロ目の男で口数より手数が多いとの評判だ。

「索敵はどうなっているか?」 仰山の問いに透視士官が三角テントの中で瞑想したまま答える。「無数の機雷を探知しました」

「ミスター念力! 術者達の出力は充分か?」

 念力と呼ばれた男がターバンを巻きなおしながらうなづく。アラビア絨毯の上にはあかがね色の肌をした男どもがストレッチ体操をしている。

 仰山は満足そうに微笑み、瓶底眼鏡をかけたオールドミス集団を激励する。「予言部隊、回避予測に抜かりはないな?」 キンキン声が「「はいっ」」と唱和する。

 空母から護衛戦闘機が次々と飛び立っていく。そのあとをチート能力者を乗せた兵員輸送機が重々しく発艦する。

 敵襲を探知して機雷群が自衛火器を掃射しはじめた。そう簡単に掃海できない。

 護衛機部隊は小型無人機を発射してわざと撃たせた。数回の攻撃で自衛火器には自律式と遠隔操作式があると判断できた。前者は予知によって攻撃を回避し、後者はテレパス要員が遠隔操縦者の心を読んだ。

「念力〜〜〜!」 ミスター念力が部下たちに号令をかけると、機雷は雑巾を絞るようにねじ曲がって爆散した。

 あっさり防衛線を突破されたアバスは動揺したが、相手が人海戦術で攻めていると即座に見破り、艦隊戦闘でなく対人戦闘を想定した各個撃破に戦術転換した。

 内側は輪形陣を保ったまま、十字の腕で敵部隊を取り囲む。

 護衛戦闘機隊は全方位からの猛攻を浴びる羽目に陥った。

 至近距離に大型の中性子爆弾を撃ち込まれ、機内の術者が被爆しそうになった。

 のらりくらりとレーザー砲を撃っては退却する敵のカドリール戦法は、輸送機を背にして防戦一途の護衛機隊を疲弊させた。

 応戦で右往左往を強いられ、編隊に生じた隙へ爆弾が撃ち込まれる。大半は念力で安全圏へ弾いたり、起爆装置を破壊したが、すり抜けるものもあった。

 火達磨になった輸送機を諦めて、護衛機隊が部隊を再編する。移動する際にミサイルが背後からロックオンする。

 劣勢とみた仰山は、モーダルシフターの追加投入を命じた。「ドーピング、はよ!」

 白銀色の壺が甲高いうなりをあげ、術者たちにチート成分を注入する。

 追い回されるままだった護衛機隊は勢いを盛り返し、姑息なカドリール戦法を深追いして打ち破った。

 ブレーメン戦闘指揮所のモニター画面には、輪形陣に楔を入れるがごとく敵編隊が進む様子が映っていた。

「いったい連中はどんな魔法を使ったんだ? 戦闘純文学者も、ライブシップもなしで」 予想外の進展にアバスが脂汗をかく。

 雌シャチはつぶらな瞳にモニター画面を映していたが、やがて針で突かれたように身震いした。突然の水圧変化を受けて、ガラスがびりびりときしむ。

「きゃあ、やめてくださいな!」 腹を上にして雌シャチは妖艶な悲鳴をあげる。

「どうした?!」 アバスが手元のインカムを取り上げる。「衛生兵! モピッタ将軍が……。衛生兵!」

 看護婦達が応急機材や薬品コンテナを携えて駆けつける。白目を剥いて倒れたアバスを白いミドルソックスが踏み越え、脇に破れおちた白衣が積もる。

 白ビキニになったメイドサーバントたちは次々に水槽に飛び込み、モピッタにチューブをつなぐ。そして、すぐに首を横に振った。

 腹を向けた雌シャチが水面に浮かび上がった。アバスは軍服やスカートを到着した衛生兵にハサミで切り裂かれ、黒ビキニ姿のままストレッチャーに乗せられた。

 水槽の陰でミスター念力が口元を緩めていた。


 ■ 淘汰圧戦争


 いま、一匹の亡霊が徘徊している。スコーリアという名の亡霊が。ウラル山脈から西の軍隊という軍隊は屍の山と化し、基地という基地は灰燼に帰した。GPSないしGLONASS衛星は地に堕ち、南半球からはロランCの電波が息絶えた。特にアフリカ、ラテンアメリカなど第三世界では警察機能を兼ねた軍隊の消失が紛争に油を注ぎ、死亡率が二桁に跳ね上がった。


 二隻のライブシップが逃げ惑う支配者たちの頭上に浮遊している。オーランティアカ姉妹のライブシップであるが、その魂は別人のもの。

 神々しいオーラで夜景に燃え立つニューヨークを街の底からまぶしいほどに漂白している。


 ━━さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」(ルカ書)


「チートは人の中に在りし、神の賜物」 ハウが唱えると、金持ちの醜態を見守る貧者達が挙手した。さぁっと黄金のビームが天にのびる。



 ━━もし、あなたの目があなたのつまずきを引き起こすのなら、それをえぐり出しなさい。片目で神の国にはいるほうが、両目そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。(マルコ福音書)


「邪氣眼(チート)は人が持つべき、真理のまなこ」


 スコーリアが叫ぶと、人々の目がどろりと溶け落ち、青く血走った眼球が雨あられと降り注ぐ。



 ━━兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。(コリント人への手紙)


「欲望より、いと高きこころ(チート)」


 ハウが諭すと、贅を尽くした豪邸や着飾った男女が銀色の炎に包まれる。



 ━━まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。(マタイ伝)


「うわあああ」 毛皮や宝石をまとった婦人が身に着けている物をすべて路上に投げ出す。やせ細ってぼろ服を着た人々は、冷やかに笑っていた。


 皮肉なことだ。神を討った筈の異世界人が現実世界に渡来した結果、神を呼び込んでしまった。

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