現実世界の戦争を終わらせるための戦争
■ 中央諸世界政府
「そうですか……やはり食物連鎖の底辺を覆す時が来ましたか」
中央諸世界の女帝はごつごつした貝殻の縁から、ぎょろりとした単眼を光らせ、答えた
濁った水中に薄日が射している。まるで人が腕組みする様に絡まった藍藻植物が、規則正しいパターンで湖面まで茂っている。半径一万キロのぶよぶよしたピンク色の肉塊。その表面に化膿した傷口の如くスープの湖が点在する。
全宇宙に散らばるライブシップ達を、娘の様に可愛がる女帝と側近達の宮廷だ。
地球を離れる事、五万光年と言っても想像し難い。具体的には、地球から銀河中心を隔てて等距離にある惑星状星雲である。最新の電波生物学では、わし座知性極といい、宇宙空間由来のアミノ酸が滞留するなど知的生命体が芽生える好条件が地球なみに揃っている場所だ。特権者戦争末期に冥界が崩壊した直後、人間未満の魂はみな、この知性極に至った。
最高支配層、霊長貝の王宮。
「はい、有史以来、人間の身勝手な都合で失われた命達が開戦を求めております」 側近が意見した。
「彼女たちにもう少し慎むようお願いできませんか?」 女帝は大きな泡を吐息のように吐く。
「イブに落ち度があったという公式見解が一切通じませぬ。アダムが特権者の存在に気づいておれば人間なる猛毒が繁殖しなかった、と」
「いっそ生物の雄と言う雄を抹殺すれば気が済むのですか? 彼らはいずれ私達から分化したのですよ」 なんとか戦争を避けたい女帝は模索する。
「既に知識層が論破ずみです。過剰な殺戮を好むのは人間だけであると。アダムの過失が元凶で、動物の雄は繁殖のつなぎに過ぎず……」
退屈な女帝と側近の議論を闖入者が打ち切った。「中央諸世界を抹殺せよと叫ぶ人間を抹殺しましょう」「「「そうよそうよ」」」
近衛貝たちが、王宮藻への自爆特攻を企む暴徒貝に対し、水流を噴いて応戦している。「陛下、開戦を求める声で国中が爆発寸前です。ご決断を」
戦争はいつの時代も、国民感情ありきで始まる。
■ 戦略創造軍・女子クローニング・ファクトリー(メイドサーバント専用)
紅と紫の夫婦魂が専用クローン棟へ入ろうとした所、僧兵に呼び止められた。
思念が飛んでくる。「死者の復活は違法になりました」
紫が閃き、紅が灼熱する。「そんなの聞いて無いわ!ありえない。モビックハンターの蘇生権は国連憲章の絶対条項よ」
「絶対壊れない絶対は無いんだよ」 僧兵は袈裟を脱ぎ、印を結んだ。強力な解呪が夫婦魂をギリギリと苛む。
どうやって取り殺してやろうかしら、と紅が思った瞬間、仔犬を亡くした少女のような純粋な哀しみが襲って来た。
「野郎! いきなり純粋思念で斬りかかるか」 紫が反撃に出る。僧兵とて人間だ、邪な煩悩の欠片くらいあろう。例えば性欲だ。俺の妻を虐めて興奮してんじゃないか?
心の僅かな隙をこじ開け、僧兵の大脳に憑依を試みる。
「ダメっ! 罠よ」 紅が制止する間もなく、紫は僧兵の自制心にがっちりと抑え込まれた。
紫自身が持つ漢の煩悩が魂からにじみ出る。それは僧兵の無垢な心に濾過されて、聖なる酸となって紫の心を蝕んだ。
「うわぁぁっ。すいませんすいません俺が悪うございました、ぐわぁっ」 自責の念で紫がみるみる萎んでいく。
「あなたっ! この!」 紅はありったけの念を振り絞って、僧兵の周囲に物理的な霊障を及ぼした。頭上の鉄管が外れ、僧兵に廃液が降り注ぐ。
彼は、塩素ガスをまともに食らって虫の息だ。
紅は夫を助けようと僧兵に接近する。死にかけた彼の心から夫は自力で逃れよう。
ところが、どこから湧いたのか、パンパンに膨張したピンク色の魂が紅を阻んだ。「お初ね。シア婆さん」
「のきなさいっ。誰がババアですってぇ?」 紅いシアの魂はピンクに体当たりした。
「母さんも凶暴だけど、あんたも輪をかけて凶悪だねぇ。わたしゃ、サンダーソニアの娘。あんたの孫だよ」
「えっ?」 ぎょっとしてシアが固まった。
「わ、わろっぷ。時間稼ぎ……ご苦労……あとは、たの……」 僧兵は寝たきりで何やら妙な踊りをしつつ、息絶えた。
大地を震わす読経がシアをつんざいた。バラバラに心が引き裂かれる苦痛を慈悲の念が和らげる。
大乗、小乗、さまざまな経文が、巨大な漢字フォントとなって、彼女の心を愛撫し、彼女を恍惚の域に招く。
「バカね、自分で塩をまくなんて。命がけの浄化(エクソシスト)、耐えられるかしら?」 ワロップの量産型魂に言われると、改めて命の薄っぺらさを感じる。
無数のピンク魂が夫を取り囲んだ。
「連れていくわよ。いいわね?」
「ああん……いや……いいっ……だめぇ」
シアがよがり声をあげている間に、塩素ガスが工場に充満した。従業員が次々と息絶え、漏れ出た水蒸気とガスが結合した。
カッ、シアの細胞片を含めた保管庫が爆散し、全体に火が回った。発電用量子燃料の臨界爆発が起き、島国が消し飛んだ。
■ 彗星王国
彼女の復帰はジャンヌダルクの再来ともてはやされた。ハイフォン彗星王国上空に突如としてワープアウトした艦を見た人々は瞬時に勝利を確信した。
はち切れんばかりのヘソ出しルックに、ジッパーが下がりっぱなしのスカートからはみ出たパツパツのブルーマー。特大餃子かと思う耳。驚くほど劣化した彼女が帰って来た。だみ声の名モビックハンターが最強の強襲揚陸艦を引っ提げて首相官邸を電撃訪問した。
「わたすがワロっ……うっぷ……ワロっちゃいましたよ首相。人類と帝国が諸世界を攻撃ですって? ども、シアです」
揚陸艦クローン培養システム陣がワロップに一矢報いた結果の産物が、劣化メイドサーバントの偽シアだ。どうしてこうなった? とワロップの魂は焦っている。
「帝国のお食事がよほど美味しかったんですね。まぁ、お掛け下さい」
アバス首相は戸惑いつつも、シアに士気高揚のため、女王就任を打診した。
■ ダモクレスの剣
量子共鳴ネットワークを傍受したカルバリーはシア彗星王国女王の戴冠式を謀略放送だと斬り捨てた。
「でも、現実から目を逸らすなって教えてくれたのは隊長よ」 モーリーは呼び癖が抜けていない。
「仮にあいつが傀儡でないとして、意図は何? 元人間よ。魂まで売り渡したの?」 カルバリーは小首を傾げた。
シアは、メイドサーバントになって以来、ハンデを克服しようと躍起になっていた。不妊は養子縁組で、禿頭はウイッグで、邪魔な翼は重ね着で、非モテは話術と身のこなしで、解決した。
そんな女が失恋したぐらいであそこまで堕落するか? そういえば、コヨーテはどうした? 浮気性な女ならさっさと総統の代わりを見つけるだろう。
「どこかおかしいでしょ? まるで中の人が変わったみたい」 妻の何気ない一言で、カルバリーは閃いた。
「そうだ! なぜもっと早く言わない?」 彼女は、停泊中の自艦にテレパス通信でアクセスし、搭載武器の点検ルーチンを作動した。
「抗ライブシップ・バクテリア弾頭には精密誘導モードがあるのよ。魂に確実にロックオンする。暗殺用で死刑執行官には無縁の物」
「どうするつもりなの?」
「彗星王国に直接ブチ込むわ。ワープカタパルトの調整が手間だけど。あいつが偽物ならダモクレスは本物の居場所に向く」
「もし、本人だったらどうするの?!」
心配げな妻の目線に彼女は冷酷な笑いで応えた。
「あんな馬鹿は死ねばいいさ」
■ 外野/ガイアの叫び
「おお、あれが地球か!」
「地球だ」
「あの青い星がまもなく我々の物に」
扉を抜けたフランクマン帝国の艦隊は、一気に現実世界の地球へ向かった。ようやく亜光速船の実用化にこぎつけた、未開の文明に外敵を阻む力は無かった。
「わっはっは。侵略者を気取るのは気持ちいいものだな。諸君!」
本性を発揮した狼男は、メディア王妃に地球人向けの宣戦布告を任せた。
実世界のアマゾンで中古一円からあるSF小説にありがちな定番シーンだ。陳腐ではあるが、安定した役得でもある。
「きっと、こんなこともあろうか博士があらかじめ猛特訓した孤児五人にロボを委ねるのよ」
「いや、地上戦のさ中に、生身で帝国の試作メカを奪う曲芸を演じてくれるのよ」
「ちがうわ。選ばれし血脈の末裔が都合よく目覚めて、ヒロインと共闘するのよ」
「あなた、ぜんぜんわかってない! 不幸なデブスがトラックに轢かれて……」
「やめんか!」
ドクターがハウとスコーリアの低レベルな論争に水を差す。
「美少女が衣服を下着に至るまで、ちんたらちんたら分解し、重々しいパーツを変身用のパンツごと召喚して着るのだ」
突如、襲来した巨艦に驚いた地球側は豆鉄砲を浴びせて来た。
仏領ギアナのクールー基地から、NATOの武装シャトルが急遽打ち上げられる。まったりと補助ブースターを切り離す。
北米の各地から迎撃ミサイルが線香花火のごとく、パラパラと散発される。月面のマスドライバーが懸命に岩塊を撃ち出す。
「蟷螂の斧だな。何とも歯ごたえのない。先生、この程度かね?」
総統の冷やかしにムッと来たドクターは、後ろ手で何やら隠し持っていたカプセルを握りつぶした。蚊が鳴く様な音がした。
「戦闘純文学などと言う個人の主観に根ざした詐欺的飛躍に比べたら、自然な進歩は亀より鈍いでしょうな。チートは違いますよ。神の恵みとはいえ潜在能力の前借りに過ぎない。生物学的な進化を一時的に加速しただけであって、『こう思ったから、いきなりこうなった』はあり得んのです」
「ふむ、進化を歪めてはいかんかね? しかし進化に要する時間短縮が生み出す恩恵を考えたまえ」
「継続は力なりと申しましてな。経験が成長を、成長が人を造ります」
「では、いきなり完成体で現れた創造主はどう説明するかね? 特権者は我々を強い人間原理で苛んでいるがどうかね?」
それまで黙っていたメディアが、医者と総統の激論に水を差した。「力の由来はさておき、弱者を踏みにじるのはどうかしら」
狼男が舷窓を見やると、全長二百メートル級の葉巻型をしたモーダルシフターがゆっくりと宙を漂っている。「あれが力の行使に見えるかね?」
現実世界の地球。
ハリウッド映画その他で予習し尽された宇宙人の襲来がいよいよ現実となった。政府も市民もこれまた、やり尽くされた感のある反応を各自の信念に基づき粛々と行っていた。
最後の晩餐を愉しむもよし、シェルターに潜むもよし、友好親善を模索するもよし、祈るもよし、モヒカン刈りにするもよし、混乱に乗じて世界制覇を目論むもよし。
「戦争の無い世界? あたしはお約束のあれをするわ」
「ずるい! スコーリア、わたしの分も残しておいて」
チート娘二人組は南北両半球を翔けめぐった。
緯度線を境に地雷原や迫撃砲が睨みあう紛争地帯。領空侵犯したハウをルックダウンレーダーが執拗に追い回す。スクランブルした第五世代戦闘機の一個飛行隊が彼女を現認し、超音速AAMを放つ。
彼女は、アクティブ・ホーミングの矛先を後続機に向ける。方向転換によるショックウェーブが彼女のスカートを揺らす。
スクランブル隊の後方に火球が連なり、敵機は慌てて引きかえす。
対空砲火がスコーリアをめった刺しにせんと、火の粉を空に注ぐ。しかし、次の瞬間、対空陣地がこつ然と消滅していた。
中東。有刺鉄線で囲まれた自治区。半裸の子供達が金網の外に停まった戦車兵を罵倒している。沸点の低い学徒兵は威嚇射撃に飽き足らず、迫撃砲を持ち出した。
砲弾が放物線をゆっくり描いて、乳飲み子と乳母の頭上をめざす。
ハウがすぅっと指を滑らすと、砲弾がそれ、戦車のリアクティブ・アーマーが突如、破裂した。爆発炎上する戦車からパーツが飛び散り、ワンブロック離れた地区を威圧する戦車に命中、誘爆する。
現実世界に決して起こり得ない事象が起きている。彼女たちがおもちゃ箱をひっくり返す様に、世界の軍備を台無しにしている間、モーダルシフターが唸り続ける。
虚構の力を現実世界に汲み上げ、チート能力を平等に分配する。言い換えれば、奇跡の再分配である。戦闘純文学者の様に個々が神の御業を勝手気ままに操るのではなく、皆が平等に神への階梯を歩むのだ。
自治区では子供達が興味本位にハウのマネをすれば、戦車が面白いように爆ぜ続ける。
世界は、神のみ国に近づきつつあった。
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