第27話

27、

 総稽古レペティシヨン・ジェネラールは、ドイツ語で言う〈ゲネラルプローベ〉、所謂〈ゲネプロ〉と同じ意味で、原則的には本公演といっさいが同じ形で行われる、総仕上げ的な通し稽古のことである。

 十二月二十二日火曜日ーー。

 明後日の本公演を控え古代劇場では、市のお偉いさんや賛助会員、舞台関係者、報道関係者などを招待して、本番さながらの試演プレビューが行われようとしていた。昨晩の奇禍ーーイルーニュ・タワーズの数棟が〈地盤沈下〉によって崩壊し多数の死者が出たーーを鑑みて取り止めるべきとの意見もあったが、中止には至らなかった。

 真冬にしては奇妙に生暖かい夕べだった。開演の二時間前から三々五々に人びとが集まり出した。プレス向けに出演者が挨拶したり、写真撮影などが行われているからだった。古代劇場は通常のライトアップのほかに、各所に本物の篝火かがりびが焚かれ、まさしく往古の劇場テアートルムを彷彿とさせている。

 バズ・ブライチャートは漠然と、二十四日の本公演を〈神降ろし〉の場と考えていたようだが、シスター・ソニエールもマザランもわれも、今日の総稽古レペティシヨン・ジェネラール作戦予定日エックス・デイと見なしていた。『黄衣の王ル・ロア・オン・ジョーヌ』を〈鑑賞〉する者の数が多いに越したことはないだろうが、昨夜のタワーズの騒動があったからである。

 〈ビヤーキー〉の総数が、例の一棟の丸々を〈変化〉させたものだとするならば、タワーズの崩壊で全滅に近いダメージを受けているはずだった。つまり〈敵〉はいま手駒が豊富と言えない。ならばさらなる妨害を嫌って、間を置かず早急に仕掛けてくるのではないか。そしていま行方をくらませている〈敵〉の本体は、〈神降ろし〉の現場に必ず姿を見せるはずーー。

 三人は、劇場につながる三つのルートでそれぞれ〈敵〉がやってくるのを待ち構えていた。

 われは博物館から劇場に続く道で、警備員の格好でたたずんでいた。シスターは丘の麓の道路から劇場に直接つながる道、マザランは設備などを劇場へ搬入する口になっている裏の道路に、それぞれ同じく控えている。マザランが持てるコネを駆使して、警備メンバーに三人分をねじ込んだのだった。

 三人はハンズフリー無線機を装備して、随時状況を確認し合っていた。いずれ魔術に長けた者たちではあったが、〈敵〉に我らの所在を悟られないためにはむしろ、魔術的な思念伝達よりも、機械的な通信手段の方が適しているのは皮肉である。

《〈敵〉の正体に間違いはないのだな?》

《はい》

 無線越しの問いに、シスターが答えた。もっともわれとても彼女の見立てを疑っているわけではなかった。近い道筋の推測によって、われもまた〈敵〉の現身うつしおみに見当をつけていたからだ。

 〈敵〉は『黄衣の王ル・ロア・オン・ジョーヌ』を上演すべく画策してきた。そのためには、それだけの力を持つアントワーヌの〈上つ方クラース・スュペリユール〉に働きかけねばならない。イルーニュ・タワーズが彼奴らの巣窟になっていたこと、そして〈敵〉が〈ニトクリスの鏡〉で造り出した魔術的分身がクリス・ローランドであったことを考え合わせれば、自ずと〈敵〉の正体は見えてくる。

 すなわち〈敵〉の本体は、市長ノナ・ローランドなのだ。

 殺された市議会議員オウェン・モリスを射った銃が、〈ビヤーキー〉メンバーのトーマ・アルシェの銃と一致したことも見過ごせない。言うまでもなくオウェン・モリスは、ノナ・ローランドが古代劇場に演劇イベントを招致した際に介入したことを指弾していたのだ。

《ということは、十月四日にダヴィド、バロー、印刷会社社員が目撃したのは、ノナ・ローランドだったことになる》

《おそらく……》

 シスターがしぶしぶといった体でマザランに応じた。シスターの声が冴えないのは、折角穏便に済ませた〈敵〉の措置を無にしたのが、ニエマンス司祭の軽率な行動だからだろう。

 バズ・ブライチャートの記憶によるとその日の十月四日、市長は随行員と共に北欧に視察旅行に行っていたはずである。だからこそ、幹部職員の不適切な行為がスキャンダルになったのだ。

 もしその視察旅行の日程のさ中に、アントワーヌ市の古代文明博物館で、海外にいるはずの市長に出くわしたら、さぞや不審であろう。そこでノナ・ローランドが何をしていたのかは定かでないが、まさしく三人はマザランの言う通り、〈マズイときにマズイ場所に居た〉のだ。

 本来ならば今日この日ノナ・ローランドは、自宅のあったイルーニュ・タワーズ倒壊事故を受け、こんなところに顔を出す余裕などないはずだった。なんとなれば、倒壊事故に巻き込まれて息子のクリス・ローランドが死亡していると報じられているからだ。のんびり観劇するのは不自然すぎる。しかし〈敵〉は必ず来る、と一同は確信していた。

 時刻を確認するとすでに、十九時三十分を回ろうとしていた。いつぞやキャルと来たときのように、丘の上から瞬く街明かりが見渡せた。だがその光はどこか不吉に、もやがかかったように朧に霞んで見えるのだった。

 開演まで三十分。われは再度、ノナ・ローランドを発見したあとの手順を、頭の中で確認した。

 ノナ・ローランドがHasturを顕現させるのを阻止するためには、ローランド本人を無力化すればいい、というのが三人の結論だった。『黄衣の王ル・ロア・オン・ジョーヌ』の上演自体も問題ではあるが、上演するだけで〈神々ディユ〉を召喚べるとは思えない。そんなお手軽ならば、十九世紀にパリで上演されたときにHasturが顕現していなければなるまい。

 つまり、上演に際してプラスアルファで何らかの〈介入〉が必要なのだ。そしてそれを行うのはノナ・ローランド本人以外には考えられなかった。逆に言えば、プラスアルファの〈介入〉ーーつまりローランド本人ーーを阻止すれば、降臨は止むということになる。

 そのために使用する魔術道具は、すでに選定してあった。

 われの腰には、警備員の格好にそぐわない不自然に膨らんだウェストポーチがあった。中には小ぶりな瓢箪カラバスが入っている。瓢箪カラバスは世界で最古の栽培植物の一つと言われ、古代から水筒などさまざまな用途で利用されてきた。腰のそれは表面が代赭色で塗られ、くびれた部分に紫と金の紐が巻いてあるものだった。

 この魔術道具が想像力の源泉になったとおぼしき物語を、マザランが教えてくれた。中国の小説『西遊記ル・ヴォヤージュ・アン・オクスィダン』に出てくる、〈紫金紅葫蘆しきんこうころ〉という道具だそうだ。作中では、金角・銀角という二人の魔物が使っている。

 シスターは、同じく『西遊記』に〈幌金縄こうきんじょう〉という名で出てくる道具。マザランは、やはり中国の小説『封神演義ル・インヴェスタァチャ・デ・ディユ』に、少年神・哪吒なたの武器として登場する〈火尖鎗かせんそう〉を手にしている。

 幌金縄こうきんじょうは意のままに操れる縄で、相手を拘束したりくびり殺すこともできる。火尖鎗かせんそうはその名の通り火焔を吐く槍で、敵を消炭に変える。三人がそれぞれの道具で、ノナ・ローランドを索敵し、〈見つけ次第殺害シュート・オン・サイト〉するのが、計画の概要である。

 われの手にする紫金紅葫蘆しきんこうころは、物語の上では、呼びかけに答えるだけでその者を瓢箪カラバスの中に吸い込み、入った者は身体が溶かされることになっているらしい。

 実際はやや異なる。より細かな指定をすることで、特定の〈真名ル・ヴレ・ノン〉のみに反応するように出来るのだ。言うまでもないが、魔術において真の名前を知られることがタブーなのは、洋の東西を問わない。ノナ・ローランドの〈真名ル・ヴレ・ノン〉が判れば、彼の者だけを特定的に排除できる。そしてノナ・ローランドの、〈敵〉の〈真名ル・ヴレ・ノン〉は、シスター・ソニエールが教えてくれたのだった。何故にシスターがそれを知っているのかと云うと……。

《何故ならば、わたしと〈敵〉は共に、とうに消滅したヤズディの分派のすえで……実の姉弟だからです……》

 弟の名はシフォック・チェリク。シスター・ソニエールの本名はナズリーン・チェリクと言うらしい。

 つまり姉弟は、敵味方に分かれて闘争リュットをしていたことになる。それもシフォックが暴走する以前からだ。シスターの告白にマザランは絶句していたがわれには、さもありなん、と思えた。教会エグリーズとはそういう組織なのである。

 いやーー。

 人類とはそもそも、自分や仲間以外にならば、容易に斯様な無慈悲を為さしめることができる存在なのかも知れない。

《二年前、弟が教会エグリーズから逃亡したとき、わたしは弟を止めることができませんでした。弟の胸中の憎悪を察することも出来なかった。多くの仲間を死なせてしまいました。だから今度こそは、弟を止めねばなりません》

《なあ、公演そのものを中止させるわけにはいかないか?》

 マザランが提案した。その案にも一理あった。上策とは言えないかもしれないが、たとえばテロリストを装って、劇場関係者に脅迫のメッセージを送れば、一先ず公演を延期させることが出来るのではないか。

《そのことですが……》

 シスターが応答した。

《実は今朝、教会エグリーズから報告があって……司教協議会CEF宛に、正体不明のメッセージが入ったらしいのです……》

 彼女も教会も、シフォックの狙いである『黄衣の王ル・ロア・オン・ジョーヌ』の上演に気づいてはいた。しかしあまり早く公演そのものを強制終了させてしまうと、延期になるだけだったり、逆に強硬な反撃を受ける可能性もあった。今となってはその恐れも杞憂ではなかったと言える。相手は街の行政のトップに化けており、つまりは市警と言う実力組織を握っていたのだ。

 いずれにしても、強制終了にはタイミングを計らねばならないと思われたが、今朝の報告を受けた彼女たちは、手立てが遅きに失したと悟らずにはいられなかった。それは、タワーズ棟内のプールサイドでバズ・ブライチャートも見たある物と関連があるのだった。

《地図?》

 マザランが訊く。

 彼女とブライチャートが見たのは、アントワーヌ市の地図である。市を構成する八つの区がそれぞれ色分けされていて、鉄道や目印になる建物が描かれているやつだ。ラウンジの大きな電動スクリーンに映し出されていたものだ。

 バズ・ブライチャートは気づかなかったようだが、地図にはところどころ印が書き込まれていたらしい。シスターの記憶では、印が着いている場所には様々な施設があったという。駅、市庁舎、警察、マーケット、TV局等々。

 そのことと、正体不明のメッセージがカチリと噛み合った。教会エグリーズに届いたメッセージは、市の全図に、古いアニメ映画に出てくるような爆弾マークが書き込まれた画像だった。地図の端には〈ショーを止めるなショウ・マスト・ゴー・オン〉〈脅しじゃないぞ〉という文言があったという。

《それで、日中に教会エグリーズの特殊処理を担当するセクションが、地図のある一箇所に向かったのですがーー》

《嘘だろ……》

 マザランが息を呑んだ。

《残念ながら爆破装置が見つかりました》

 おそらく〈ビヤーキー〉は他の地図の各所にも爆破装置を仕掛けている。そして上演を強制的に終了させようとすると、市内各所で即座に爆破が起こるようにしているのだ。〈ショーを止めるなショウ・マスト・ゴー・オン〉とはそういう意味だ。

 様々な可能性が検討された。

 ハッタリの可能性もないではない。だが逆に地図以外にも多くの爆発物が設置された可能性もあるかもしれない。地図を陽動に使うわけだ。いずれにしても、爆弾設置が事実ならば、公演そのものを阻止するのは危険すぎる、と教会エグリーズは判断したのだった。

《Hasturが顕現したら、爆弾どころの騒ぎじゃすまないだろうけどな……》

 われは呟いたが、想像の中だけで、頭でっかちにトロッコ問題を考えるのとはわけが違うのは理解できる。

 そのとき無線機が反応し、マザランの声が飛び込んできた。

《ノナ・ローランドを確認した。だが……》

《どうした、上司殿パトロン?》

《……ローランドに同行者がいる。知った顔だ。あのダイナー〈カンサス〉のウェイトレスだ。どうして彼女がーー》

畜生ピュタンッ!》

 ギリリ、と歯軋りがわれの口から洩れた。

 キャルが、〈敵〉の手のうちにある。

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