第25話

25、

 マザランの話はきみの理解の範疇を超えていた。きみの知っている〈冷戦ラ・ゲール・フロワッド〉とはドイツ対中国のことで、アメリカ対ソ連ではなかった。しかし、マザランがやって来た世界ーー正確には彼のいた時代の未来ーーは違ったらしい。

「俺の望みはただ一つ。俺がやって来た世界に還ることだーー」

 そう言うとマザランは黙り込んだ。

 部屋を照らしているのは、穏やかな暖炉の明かりだけだった。薄暗くも心地よいこの部屋にいると、彼の経てきた道程、恐るべき冒険の数々は、老爺が孫に語り聞かせるおとぎ話のようだった。

「なるほどーー。だからあなたは、〈彼〉を利用して、次元の裂目を通ろうと言うのですね?」

 シスターが言う。

「……」

「異なる時空連続体を移動するには、膨大なエネルギーを必要とする。しかし、〈彼〉の磐船いわふねならば可能性がある……」

 〈彼〉とは誰のことだろう? きみは首を傾げたが、口を挟むのははばかられる雰囲気だった。

「あなたは親切ごかしていながら、〈彼〉を利用したいだけなのではありませんか?」

「かもな。しかしそっちこそ、どうなんだ? 清廉潔白とは言わせないぜ」

 シスターの質問に今度は、支局長が反撃する。

「あんたらは何を隠している? 十一月の〈血の風車ル・ムーラン・サングラン事件〉では、司祭のニエマンスが死んだ。だからあんたはアントワーヌに来たんだろ? シスター、あんたはニエマンスの尻拭いに寄越されたんじゃないかね?」

 ぼんやりと二人のやり取りを聞いていたきみは、マザランの指摘にあらためてハッとなった。きみの頭からは〈血の風車ル・ムーラン・サングラン事件〉のことは隅に追いやられがちだった。しかし無論ここにも、符号があるのだった。

 〈血の風車ル・ムーラン・サングラン事件〉が発覚したのが十一月八日の朝だ。つまり犯行は七日の深夜ということだ。一方、ダヴィド事件が七日の夜十一時ごろで、バロー事件がやはり夜の十一時ごろ。そしてこれらの全てに〈ビヤーキー〉が関わっている。

 しかるに、きみが探り当てたバローとダヴィドの接点であり、印刷会社社員が殺された古代文明博物館のパネル納品は、その一ヶ月前の十月四日の出来事だ。

 一ヶ月の空白は何を意味しているのか。きみは以前、事件を整理したときに検討した項目を、頭の中で反芻した。

 

 ・〈ビヤーキー〉はすべての事件の犯人なのか。

 ・そうだとしたら、何故犯行が同じ日の、それも近い時間に集中しているのか。

 ・四者を殺害した目的は何か。すなわち、共通の動機が存在するのか、それとも別々の動機なのか。

 

 〈ビヤーキー〉が全ての犯人であることは、もはや疑うべくもない。では四者ーーダヴィド、バロー、印刷会社社員、ニエマンスを殺した動機はなんだろう? きみが疑問点を述べるとマザランは、

「ニエマンスは別としても、三人は同じ博物館にいたんだ。つまり三人そろって、何か都合の悪い場面に居合わせたってことじゃないのか?」

 と、シスターを横目に言う。彼女は眼を伏せる。ふん、とマザランが鼻を鳴らす。

「言いにくいようだから俺が話そう。もっとも状況証拠から組み立てた憶測だがな。ダヴィド、バロー、印刷会社社員は、納期の遅れで深夜近くに古代文明博物館で作業をしていて、そこで何事かに、あるいは何者かに際会したんだと思う。マズイときにマズイ場所に居ちまったんだ」

 仮にいま、〈ビヤーキー〉を統べている者を〈敵〉と呼ぼう。

 それは〈敵〉にとって見過ごせないことだった。こんな場合、目撃者をどうするか? 今までの〈敵〉の行動パターンを見るにつけ答えは一つ。皆殺しだ。〈ビヤーキー〉を使嗾して全員殺してしまい、もしどうしても必要な場合は、〈ニトクリスの鏡〉で偽者を作ってすり替えれば完璧だろう。

 だがしかし、ただ殺してしまって、三つの殺人が博物館と結びつけられる事態が出来してしまえば、〈計画〉に支障をきたさないとも限らない。

 また、〈鏡〉を使うには一定の手順ーー呪文や儀式ーーが必要で、すぐには対処できない。ここにジレンマが生まれたわけだ。

 そこで〈敵〉は、身につけたいつもの魔術マジ・オルディネールを咄嗟に行ったのだと、マザランは推理した。

通常の魔術マジ・オルディネール?」

「司祭殺しの現場に、妙なオブジェみたいのがあったのを知っているか?」

 マザランの問いにきみは頷く。例の気味の悪い道具〈栄光の手ハンズ・オブ・グローリー〉だ。

「シスターの機関は、〈栄光の手H・O・G〉を標準的な装備として採用している。そうだよな? 咒偈ゲアスと組み合わせることで色々な魔術を行えるから重宝するんだ。さっき彼女が召喚魔術のため生贄にした人造眷属セルヴィトゥール・シンティックは、本来〈栄光の手ハンズ・オブ・グローリー〉を量産するための素材として生み出されたものだ……」

 素材マテリオという単語にきみは、ビクッとなる。盗み見たシスター・ソニエールの目が、わずかに底光りした気がする。が、マザランはかまわずに話し続けた。

 〈敵〉が行ったのは、おそらく忘却呪術だ。正確には、三人の頭の中の〈不都合な記憶〉を一旦、封印したわけだ。ところが、これに気づいた者がいた。

 魔術は痕跡を残す。魔力の痕跡は魔術で見つけることができる。

 〈そいつ〉は、魔術の痕を追跡した。そして〈栄光の手H・O・G〉が使用されたことを突き止めた。〈そいつ〉というのは……。

「ニエマンス司祭か……」

 きみの呟きに、シスターが答えた。

「ニエマンスはーー要領だけはよかったみたいです。到底、実戦向きではなかったですけど。たぶん独自の情報網があったのでしょう。それに、アニュビスは元々彼の下にいたのです。人造眷属セルヴィトゥール・シンティックは魔力を探知する鼻が利く……〈栄光の手H・O・G〉という、もの馴れた魔術道具なのも幸いしたでしょう……」

「〈三つの願いトゥロワ・スウェ〉の話を知っているだろう?」

 きみは、マザランの質問に首肯する。〈三つの願い〉は、ボーモン夫人やペローの童話で有名なおとぎ話だ。

 貧しい夫婦の許に妖精が現れ、何でも叶う〈三つの願い〉を叶えると言う。妻が思わず「ソーセージが欲しい」と思い浮かべるとソーセージが現れる。これを見た夫は願いを無駄にしたと激怒し「妻の鼻にソーセージが着いてしまえ」と願う。結局、三つめの願いを「妻の鼻からソーセージを外す」ことに使ってしまい、二人の暮らしは元に戻る……。

 二十世紀の英国作家ジェイコブズも、名高い怪奇小説「猿の手」でこのパターンを踏襲している。シスターたちの使う〈栄光の手H・O・G〉とはすなわち、標準装備化された〈猿の手〉のことであるらしかった。マザランは続けた。

「ニエマンスは、魔力の痕跡を逆行分析して、〈栄光の手ハンズ・オブ・グローリー〉の使用と突き止めた。この時点で〈謎の魔術の痕跡〉は〈既知の技術〉になった。ニエマンスは、使われた〈栄光の手ハンズ・オブ・グローリー〉をアニュビスに捜させて、〈敵〉の元から奪ったんだ。そしてその〈栄光の手H・O・G〉を使って、〈三つの願い〉の残りに当てた。三人の記憶を元に戻したんだ」

「……」

「だがそれは、ニエマンスの存在を〈敵〉に知らしめることでもあった。〈魔術は痕跡を残す。魔力の痕跡は魔術で見つけることができる〉からな。術が解けたことを知った〈敵〉は、のんびりと構えているわけにはいかなくなった。考えても見ろ。記憶になかった過去の出来事が、不意に頭の中にクッキリと現れたんだ。三人もの人間が同時にな。当然、これは何だと考え始める。今度は〈敵〉は隠密行動を取らなかった。たぶん〈栄光の手H・O・G〉がもう手元になかったんだろう。調達している余裕もなかった。だから手駒の〈ビヤーキー〉を使って目撃者たちを一気に抹殺したんだ。言い換えれば、目撃者を殺したのはニエマンスだ。で、ニエマンスもまた殺された」

「……」

「教会は神の名の元に欺瞞を重ね、多くの命を奪っている。あんたらにとやかく言われる筋合いはないね。それよりも喫緊なのは、〈敵〉が何をしようとしているかだ。シスター・ソニエール、あんたそれを知っているんだろう?」

 パチパチと薪の爆ぜる音が流れた。シスターが喋り出す。

「……以前にお話ししたラヴクラフトの描く世界では、基本的に〈神々ディユ〉は封じられていて動くことが出来ません。〈闘争リュット〉はもっぱらしもべたちーーわたしも含まれますーーが行います。しもべたちの行動原理は、主に二つです。神々の秘密に近づく者を抹殺すること、そして神々の封印を解く方法を探求しその再臨を助けることーー」

 ゆえに〈敵〉の狙いは当然、彼らの信奉する旧支配者グラン・アンシアンの再臨である。その手段こそがーー。

「『黄衣の王ル・ロア・オン・ジョーヌ』の上演……」

 マザランが呟く。

 『黄衣の王ル・ロア・オン・ジョーヌ』は、戯曲そのものが読む者を狂気と破滅に引き摺り込むと言われ、特に第二部は絶対に読んでいけないとされている。況して今般の劇で使用する小道具〈蒼白の仮面マスク・ブルーブロン〉は、ミスカトニック大学所属の〈本物〉ーーかつてパリで上演された際に役者が使用し、その後、呪物として封印された曰く付きの品物ーーである。

「そんな恐ろしいものを……みんな観て大丈夫なんですか?」

「危険だろうな」

 マザランがあっさりと言う。

「おそらく観た者の何割かは、それだけで正気を失う。そしてその狂気の集積が〈ディユ〉の再臨をもたらす。少なくとも〈敵〉はそう考えているんだろう」

「仮に……仮に〈ディユ〉が再臨したとして、どうなるんです? 人間はーー」

 シスターが答える。

「もちろん、そんな存在が再臨してしまったら、到底わたしたちの手に負えるものではありません。〈邪神抑止デイスウエイジャン・ホラー〉は、あくまで〈神々ディユ〉同士の力の均衡を利用したもので、〈神々ディユ〉自体には人類には手も足も出ないのですーー」

「さっきシスターがプールに呼んだのは、〈ディユ〉ではないのですか?」

 きみが訊ねる。

「確かにあれも強力な神格の一柱です。ですがそう頻回に召喚ぶことの出来る存在ではありません」

「じゃあ、どうすれば?」

 きみは絶望感に駈られて積めよった。〈ビヤーキー〉ですら手に負えないのに、その親玉とやらが顕現したならば、どんな恐ろしい事態が引き起こされるのか、考えただけでも身震いがする。

 シスターは、意外な答えを返してきた。

「実は、まったく打つ手がないわけではないんです。どうしてわたしたちが、ブライチャートさんの夢の中で話をしていると思いますか?」

 そのとき、夢の世界に異変が起こった。

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