第25話
25、
マザランの話はきみの理解の範疇を超えていた。きみの知っている〈
「俺の望みはただ一つ。俺がやって来た世界に還ることだーー」
そう言うとマザランは黙り込んだ。
部屋を照らしているのは、穏やかな暖炉の明かりだけだった。薄暗くも心地よいこの部屋にいると、彼の経てきた道程、恐るべき冒険の数々は、老爺が孫に語り聞かせるおとぎ話のようだった。
「なるほどーー。だからあなたは、〈彼〉を利用して、次元の裂目を通ろうと言うのですね?」
シスターが言う。
「……」
「異なる時空連続体を移動するには、膨大なエネルギーを必要とする。しかし、〈彼〉の
〈彼〉とは誰のことだろう? きみは首を傾げたが、口を挟むのは
「あなたは親切ごかしていながら、〈彼〉を利用したいだけなのではありませんか?」
「かもな。しかしそっちこそ、どうなんだ? 清廉潔白とは言わせないぜ」
シスターの質問に今度は、支局長が反撃する。
「あんたらは何を隠している? 十一月の〈
ぼんやりと二人のやり取りを聞いていたきみは、マザランの指摘にあらためてハッとなった。きみの頭からは〈
〈
しかるに、きみが探り当てたバローとダヴィドの接点であり、印刷会社社員が殺された古代文明博物館のパネル納品は、その一ヶ月前の十月四日の出来事だ。
一ヶ月の空白は何を意味しているのか。きみは以前、事件を整理したときに検討した項目を、頭の中で反芻した。
・〈ビヤーキー〉はすべての事件の犯人なのか。
・そうだとしたら、何故犯行が同じ日の、それも近い時間に集中しているのか。
・四者を殺害した目的は何か。すなわち、共通の動機が存在するのか、それとも別々の動機なのか。
〈ビヤーキー〉が全ての犯人であることは、もはや疑うべくもない。では四者ーーダヴィド、バロー、印刷会社社員、ニエマンスを殺した動機はなんだろう? きみが疑問点を述べるとマザランは、
「ニエマンスは別としても、三人は同じ博物館にいたんだ。つまり三人そろって、何か都合の悪い場面に居合わせたってことじゃないのか?」
と、シスターを横目に言う。彼女は眼を伏せる。ふん、とマザランが鼻を鳴らす。
「言いにくいようだから俺が話そう。もっとも状況証拠から組み立てた憶測だがな。ダヴィド、バロー、印刷会社社員は、納期の遅れで深夜近くに古代文明博物館で作業をしていて、そこで何事かに、あるいは何者かに際会したんだと思う。マズイときにマズイ場所に居ちまったんだ」
仮にいま、〈ビヤーキー〉を統べている者を〈敵〉と呼ぼう。
それは〈敵〉にとって見過ごせないことだった。こんな場合、目撃者をどうするか? 今までの〈敵〉の行動パターンを見るにつけ答えは一つ。皆殺しだ。〈ビヤーキー〉を使嗾して全員殺してしまい、もしどうしても必要な場合は、〈ニトクリスの鏡〉で偽者を作ってすり替えれば完璧だろう。
だがしかし、ただ殺してしまって、三つの殺人が博物館と結びつけられる事態が出来してしまえば、〈計画〉に支障をきたさないとも限らない。
また、〈鏡〉を使うには一定の手順ーー呪文や儀式ーーが必要で、すぐには対処できない。ここにジレンマが生まれたわけだ。
そこで〈敵〉は、身につけた
「
「司祭殺しの現場に、妙なオブジェみたいのがあったのを知っているか?」
マザランの問いにきみは頷く。例の気味の悪い道具〈
「シスターの機関は、〈
〈敵〉が行ったのは、おそらく忘却呪術だ。正確には、三人の頭の中の〈不都合な記憶〉を一旦、封印したわけだ。ところが、これに気づいた者がいた。
魔術は痕跡を残す。魔力の痕跡は魔術で見つけることができる。
〈そいつ〉は、魔術の痕を追跡した。そして〈
「ニエマンス司祭か……」
きみの呟きに、シスターが答えた。
「ニエマンスはーー要領だけはよかったみたいです。到底、実戦向きではなかったですけど。たぶん独自の情報網があったのでしょう。それに、アニュビスは元々彼の下にいたのです。
「〈
きみは、マザランの質問に首肯する。〈三つの願い〉は、ボーモン夫人やペローの童話で有名なおとぎ話だ。
貧しい夫婦の許に妖精が現れ、何でも叶う〈三つの願い〉を叶えると言う。妻が思わず「ソーセージが欲しい」と思い浮かべるとソーセージが現れる。これを見た夫は願いを無駄にしたと激怒し「妻の鼻にソーセージが着いてしまえ」と願う。結局、三つめの願いを「妻の鼻からソーセージを外す」ことに使ってしまい、二人の暮らしは元に戻る……。
二十世紀の英国作家ジェイコブズも、名高い怪奇小説「猿の手」でこのパターンを踏襲している。シスターたちの使う〈
「ニエマンスは、魔力の痕跡を逆行分析して、〈
「……」
「だがそれは、ニエマンスの存在を〈敵〉に知らしめることでもあった。〈魔術は痕跡を残す。魔力の痕跡は魔術で見つけることができる〉からな。術が解けたことを知った〈敵〉は、のんびりと構えているわけにはいかなくなった。考えても見ろ。記憶になかった過去の出来事が、不意に頭の中にクッキリと現れたんだ。三人もの人間が同時にな。当然、これは何だと考え始める。今度は〈敵〉は隠密行動を取らなかった。たぶん〈
「……」
「教会は神の名の元に欺瞞を重ね、多くの命を奪っている。あんたらにとやかく言われる筋合いはないね。それよりも喫緊なのは、〈敵〉が何をしようとしているかだ。シスター・ソニエール、あんたそれを知っているんだろう?」
パチパチと薪の爆ぜる音が流れた。シスターが喋り出す。
「……以前にお話ししたラヴクラフトの描く世界では、基本的に〈
ゆえに〈敵〉の狙いは当然、彼らの信奉する
「『
マザランが呟く。
『
「そんな恐ろしいものを……みんな観て大丈夫なんですか?」
「危険だろうな」
マザランがあっさりと言う。
「おそらく観た者の何割かは、それだけで正気を失う。そしてその狂気の集積が〈
「仮に……仮に〈
シスターが答える。
「もちろん、そんな存在が再臨してしまったら、到底わたしたちの手に負えるものではありません。〈
「さっきシスターがプールに呼んだのは、〈
きみが訊ねる。
「確かにあれも強力な神格の一柱です。ですがそう頻回に
「じゃあ、どうすれば?」
きみは絶望感に駈られて積めよった。〈ビヤーキー〉ですら手に負えないのに、その親玉とやらが顕現したならば、どんな恐ろしい事態が引き起こされるのか、考えただけでも身震いがする。
シスターは、意外な答えを返してきた。
「実は、まったく打つ手がないわけではないんです。どうしてわたしたちが、ブライチャートさんの夢の中で話をしていると思いますか?」
そのとき、夢の世界に異変が起こった。
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