走る者たち

 ユークたちがグレイに乗って『獣の抜け道』の広場から離脱したのを確認したレンは、デスト・スカルスパイダーに向かって対面する。


 昨日の集団モンスター戦で多くの経験値を獲得したレンもレベル31になっていたが、それでもレベルが14も離れた敵とは今の今まで戦った経験はない。


 むしろ自分の方がレベルが高いということが多かったことから、完全な格上相手と退治したのはそれこそレベル不明となっているマキナテック・ガーディアンや、第一エリアボスのブラッディハウルベアくらいしかいなかった。


 デスト・スカルスパイダーの方を一瞥すると、物理攻撃に強そうであるのは一目瞭然であった。それでも、ここである程度足止めしておかなければユーク……というよりも依頼主が危険となる。


 最悪ユークだけでも生き残れば、グレイでメリッサを第二の街へと送り届けることは可能だろう。だが、ユークが倒されてしまえば従魔が倒れていなくても共にリスポーン地点へと戻されてしまう。そうなると万事休すとなる。


「だから、黙って足止めされてくれよな」


 そう言ってエレメントモノクロームを構えるレン。


 しかし、デスト・スカルスパイダーはそんなレンの姿には一瞥するだけで、すぐさま走り去っていったグレイの方向に向かって移動を始めようとしていた。


「お、おい! ちょっと待てよ! そっちにゃ行かせないっての!」


 慌てたレンは、足止めというよりもただ注目させる為に攻撃を放つが、その攻撃はデスト・スカルスパイダーの強固な外骨格によって弾き返されてしまう。その際にエレメントモノクロームの刀身には嫌な音が響き、そしてレンは腕がかなり痺れていることに気付く。


「攻撃が通用しないとは思っていたが、まさかその差がありすぎてこっちが逆にダメージを受けるとはな……!」


 レンのHPは自分が与えた攻撃が通用せずにそのまま反射したことによるダメージを受けていた。それだけの実力差が、今のレンとデスト・スカルスパイダーとの間には存在していた。


 そして、そんな攻撃には全く気付かないと言わんばかりにデスト・スカルスパイダーはレンの存在を無視してグレイの方を追いかけていく。


 かなりの巨体ではあるが、器用に8本の足を互い違いに踏み鳴らして、素早く追いかけていく。


 あの速度であれば、グレイに追いつくのは時間の問題かもしれない。


「くそったれ! 無視するんじゃねぇ!! ……あーもう! だったらアイツらに追いついてから、なんとかしてらやぁ!! 『スタートダッシュ』! 『ハイクイック』! 『ブレードステップ』! 『瞬脚』!!」


 レンは何より自分を無視された事に怒りを覚え、習得している【加速術】のスキルを発動する。


 『スタートダッシュ』は走り始めに限りAGIを2.5倍にする効果、そして『ハイクイック』は一定時間AGIが上昇するという効果を持つ。


 そこに『ブレードステップ』使用時にAGIが50追加される『瞬脚』を使用することで、今のレンは加速し始めたタイミングに限り【月歩☆】使用時のグレイを更に上回る速度を手に入れた。


 恐ろしいところは、これらのスキルやアーツは戦闘でも利用できるという点だ。


 勿論、『スタートダッシュ』は加速し始めのみの効果なので、すぐに元の速度に戻りはするのだが、それでも戦闘時に使われたら一瞬で間合いを詰められてしまうこととなるだろう。


 残念ながらその効果が初めて使われるのは、戦闘時ではなく味方に追いつくという行為に対してとなるのだが。


「待ってろよ、ユーク!」


 そして、音を置き去りにするかの如く駆け出したレンは、デスト・スカルスパイダーをも追い抜いて、ユークたちが乗るグレイへと向かって走り出したのだった。


 ︙

 ︙


「――っていう事だから、追い掛けてきたぜ」

「いや、それで追いつくのが恐ろしいわ。グレイの全力で10分差は相当だぞ」


 レンを見捨てて第二の街へと逃げ出した俺たちだったが、それから15分程度経った際に真横にレンが走ってきていたのにメリッサが気付いて、全員が驚愕していた。


 そりゃ、「ここは任せて先に行け!」と送り出してくれた相手が普通に横にいたら誰だって驚く。


 よく追いついたものだと思ったが、そこは速さに重点を置いた男だ。おそらくは色々な手があるのだろう。詳しいスキルとかは俺たちには教えてくれなかった。


 ……うん、今度の運営イベントでは絶対に当たりたくないな。先に走っていたグレイにも追いつくとか、絶対に勝てない。


 そんなレンだが、流石に走り続けて行動ゲージ切れ寸前だったので、今はグレイの上に座って休んでいる。いつも走りっぱなしなレンの、珍しいすがたを見ることができた。


「……それで、本格的にどうするよ? 5分くらいは時間は稼げたと思ったが、それでもかなりのスピードだった。俺の加速には追いつけなかったみたいだから今はまだ大丈夫かもしれないが、直に追い付かれるだろ」

「マジか。まぁ、レベル45だったもんなぁ……。そりゃ追いつくか……」


 今のところ後ろを見てもデスト・スカルスパイダーの姿は見えないが、それもグレイが頑張って走ってくれたお陰で多少なりとも差を付けられたからだ。


 それにデスト・スカルスパイダーは別に地面を使って走るしかできないわけじゃないはずだ。それこそ最初にリーサを糸で捕獲したように、木の上ならかなり速く移動できるはず。


 そう思っていると、急にグレイが走っていた場所から飛び跳ねて、少しだけ右の方に向かう。


 急に揺れたものだから、女子たちが悲鳴を上げていたが、誰も落ちてはいないようだ。


 何があったのかと元いた場所を見れば、そこには粘着性の強そうな太い蜘蛛の糸が一本の線として頭上の木々から地面に向かって走っていた。


「マジか! やっぱり上から狙ってやがる! グレイ、絶対に捕まるなよ!」

「グオオオオオン!!〔無論です、主殿!!〕」


 グレイはやる気に満ちた叫び声を上げ、更に加速する。流石にこの辺りになるとリリーやフィーネ辺りも厳しいかもしれない。


 するとフィーネの手がグレイの毛からスルリと抜けてしまう。


『あっ』

「いやぁぁぁぁぁ! フィィィィネェェェェェ!!!」


 ふわりと体が浮かび上がるリーサは思わず泣き叫んでしまうが、次の瞬間にはそんな彼女たちを包み込むかのように蔦が走り、グレイと括り付けていく。他にもリリーとナサ、ミュアとメリッサ、レン、サザンカと蔦が走っていく。


「――ますたー、かりゅあがんばった」

「カリュア! よくやった!」


 俺の前でVサインを見せるカリュア。どうやらカリュアが背中の蔦を走らせることで皆を飛ばされないようにするシートベルトのようなものを作ってくれたようだ。これで、グレイは問題なく走ることができるだろう。


「よし、グレイ! 【月歩】でかっ飛ばせ! 『モンスターエンハンス・アジリティ』!」

「グオオオオオ!!〔うおおお! 【月歩】!!〕」


 俺が従魔士のジョブスキルである『モンスターエンハンス・アジリティ』を発動して、グレイのAGIを上げると、更にグレイは【月歩☆】のアビリティ効果を発動して加速する。


 本来なら戦闘時には使えないものの、それは戦闘フィールドが展開されていればの話であり、今はその条件には当てはまらない。


 グンと加速することで、俺は頭の上にしがみついているゼファーの重みも相まって首を持っていかれそうになったが、何とか耐えた。


 そして、まるでジェットコースターに乗っているかのように勢いよく周囲の背景が過ぎ去っていく。


 『獣の抜け道』の出口は近い。デスト・スカルスパイダーとの差は、少しずつつき始めたが、それでも振り切るのは難しいかもしれない。


 何故なら、『モンスターエンハンス・アジリティ』と【月歩☆】で加速したグレイを補足できてはいないものの、蜘蛛の糸は相変わらずその近くに着弾していたからだ。


「取り敢えず、もうすぐ出口だが……出たところでこいつが引き下がると思うか?」

「思えませんわね……」


 レンの呟きに思わず本音を漏らしてしまうメリッサ。うん、俺も激しく同意見。


 そんなときグレイも流石に疲労したのか、【月歩☆】の効果も切れてスピードが落ちてしまう。


 くそっ、あと少しだったのに!


「キシャアアアアアア!!!」


 グレイのスピードが落ちたことでチャンスだと思ったのか、木の上からデスト・スカルスパイダーが顔を出し、グレイの進行方向の前に立ちはだかる。


 流石に現状、攻撃をされたら一撃死はないものの、かなりのダメージを追ってしまうのは間違いない。そうなると、メリッサがかなり危険となってしまう。


「くそっ、ここまでかよ……!」


 そう俺が呟いた時、目の前のデスト・スカルスパイダーは襲いかかろうと前に足を踏み出したが、その瞬間にデスト・スカルスパイダーは縦に真っ二つに裂けて左右に倒れていった。


 一瞬、何があったのか分からなかった俺たちだったが、その向こうに道の出口から溢れる光が逆光になって映る人影を見て、俺は何が起きたのかを理解した。


「……やれやれ。【天啓】が何かを知らせてくれたと思えば、よもやこんなところでまた出逢うとはな……冒険者ユークよ!」


 そこに立っていたのは、昨日俺のギルドランク昇格試験の試験官をして俺たちをボコボコにしてくれたSランク冒険者。


 レベル100でEXランクジョブ『救世剣士フューチャーセイバー』の使い手であるアドミスがそこに立っていたのだった。

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