夏休みのはじまり

 ――海の日の前の週の金曜日


 俺、九条悠人くじょうゆうとは教室のど真ん中で早く学校が終われ終われと、時計に念を送っていた。……無意味? んなことは分かってるよ。


 うちの高校では海の日よりも前に一学期の終業式を行うことが通例となっていた。つまり、今日が終われば夏休みである。


 今は終業式が終わって、夏休み前最後のホームルームの時間である。高校入学してから初めての夏休みなので、周囲のワクワクした雰囲気がすごい伝わってくる。やれ夏休みはバイトをするだの、家族で海外旅行にいくだの、騒ぎ立てる声が聞こえてくる。


 しかし、通知表が渡され、そのまま大量の夏休みの課題が配られているという状況で、すっかり辺りはお通夜状態になってしまう。


 課題については既にそれぞれの授業中に渡されたものもあれば、ここで初めて課題の存在を知る教科もある。


 周囲を見れば、成績が悪かったのか通知表を見て顔を真っ青にする者がちらほら。


 うちの高校では学期末試験の結果が悪ければ勿論追試があるが、それとは別に普通教科に対しては一学期の評価が悪かった教科に対しては、夏休みに補習が行われることとなっていた。


 その補習は夏休みの部活の合宿に被せないために夏休み開始直後から七月いっぱいは行われることとなるので、休みの約四分の一が奪われることとなるので、そりゃあ顔も青くはなる。


 俺の場合、絶対に補習を受ける訳にはいかない理由があったので、試験も課題もバッチリこなした。おかげで成績もクラスのかなり上位の方である。


 その理由というのが『アルターテイルズ』を夏休み中みっちりやり込むため、である。


 超難関のβテストにはまぁ当然ながら落選してしまったのだが、特典付きのファーストロットの抽選販売に当選したのだ。


 なので、本サービス開始日にはプレイすることができる。因みにこの教室で初回特典付きに当選したのは俺だけである。流石に自慢したら、推理漫画みたいな事件が発生しかねないので黙っている。


 あとは、大量の課題を見て焦りを見せる生徒や、あとに回してどう遊ぶか考えている生徒の姿もある。


 まぁ俺の場合、課題は基本的に面倒くさそうなやつは今日明日明後日の三日間で終わらせる。というか前もって渡されている課題は大方終わらせていた。


 夏休みの課題なのにそれ以前にやるのはオーケーなのかと思うかもしれないが、まぁ最終的に休み明けに出せれば問題ないから大丈夫でしょう。……大丈夫だよな?


 まぁ、それもこれも全てはアルターテイルズを課題に悩まされずにガッツリやるためだったのだが、元々宿題は早めにやるタイプだったので、俺にとってはルーチンワークのようなものだ。


 まぁ流石にゲームやりっぱなしなのもアレなのである程度はちゃんと勉強はするが。


 俺の場合、両親が海外赴任しているので今は家に一人暮らしとなっている。うっかりゲームにのめり込むと餓死しかねないから、課題をやりつつ食料とかを買っておく必要はあるだろう。


 あぁ、今からプレイするのが楽しみだが、まだ3日あるんだよなぁ……。


 小さくついたため息は、きっと誰にも聞こえなかったと信じたい。




 そんなこんなで終業式後のホームルームの時間は終わりを迎え、楽しい楽しい夏休みが始まる。


 夏休みの予定を立てているのか、和気あいあいと会話するクラスメートを後目に帰宅準備をさっさと済ませる。


「よう悠人。帰ろうぜ」


 そんな俺の側に一人の男子生徒が近づいてくる。適度に遊ばせている茶髪の爽やかなイケメン――俺の親友にして幼馴染の桐原蓮司きりはられんじであった。


 廊下で通り過ぎた女子生徒が10人中10人振り返った伝説を持つ超イケメンな蓮司であったが、本人はかなりのゲーマーで、口を開けばずっとゲームのことばかり話している。


 女子に話しかけられてもゲームの話じゃなければ興味がないと言わんばかりに話を終わらせようとする。女子によりもゲームとか小学生かよ、とよく言っていたが、それもまた蓮司のいいところであるとも思っていた。


 小学校からの腐れ縁で、家もマンションと一軒家の違いはあるものの、かなり近い。この学校を選んだのも蓮司がここを選ぶからというのも大きい。


 そんな蓮司もアルターテイルズは入手済み……というか、実はβテストの参加者である。因みにこの高校全体でも蓮司以外にβテスターはいない。まぁ全国で100人だから当たり前といえば当たり前なのだが。


 βテスターはファーストロットパッケージをβテストの協力報酬として無償で貰えることになっていた。羨ましいにも程がある。


「そうだ、悠人。帰りにカフェシルクに寄ってかないか?」

「お、いいな。久しぶりにキヌさんのコーヒー飲みたい」


 そう告げては浮足立っているクラスを後にしようとすると、一人の女子生徒の視線が不意に重なる。綺麗なツリ目気味の黒い瞳の中に俺たち二人の姿が見えた。


 立川朝菜たちかわあさな――それが彼女の名前である。


 確かにクラスメートではあったが、その美貌故にどこか浮世離れしており、近寄りがたい雰囲気が漂っていた為に俺自身は話しかけたことはない……筈だ。


 というか、他のクラスメートともまともに話をしている姿を見たことがない。まぁ何となく自分とは違う次元の存在に思えるし、仕方ないのかもしれない。いつも彼女の周りだけ、雰囲気が何か怖いし。


 そんな彼女が自分を睨みつけてくる理由は、正直俺には思い出せなかった。何か怒らせるようなことでもしたか?


「…………」


 しばらく無言で俺の方を見つめていたが、蓮司が話しかけてきた瞬間、そっと目を逸らして彼女の方も下校準備を始める。


「何だったんだ……?」

「そりゃあ、お前に気があるってやつよ」

「んなもんねーよ。……えっ、ありそうなの?」


 俺は蓮司の発言に狼狽えるが、「ねーよ!」と笑いながら言われたので、蓮司の脛を思いっきり蹴りつけてやった。蓮司は脛を抱えて悶えていた。余計なことを言うのが悪いんだぞ。

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