羨望~克哉~

第43話 初恋

 異性を好きだという気持ちとは、どういうものなんだろう。


 あの頃はそう思ってばかりだった。


 柴本莉緒から「一年の時から好きでした。付き合ってください」と言われたのは、クラス替えで新しい顔ぶれになった教室で、ようやくそこで居心地がよくなり始めた六月初めの金曜日のことだった。


 そのときの俺の返事は、「え?あ……えーと、どうしよう。ちょっと待って、考えてみる」と、酷くあやふやなものだった。だって、女の子に好きと言われたのもはじめてだし、付き合うって、何をどうすればいいのかわからなかったんだ。


 莉緒とは小学校が違ったので、一年生のときに同じクラスになった時に、初めてその存在を知った。莉緒が言うには、一番最初に席が隣だったそうだ……まあ、隣といっても通路を挟んだ隣だったそうだが。ただ、そんなこと、俺は全く覚えていなかった。


 が、徐々にそれを思い出したのだから、莉緒とのお喋りも悪くないと思った。そういえばそんなことあったっけ……という具合に、莉緒の口からはいろんな細かなエピソードが出ていた。


「よくそんなこと覚えているね」


 そう言うと、決まって莉緒はこう言った。


「だって……好きな人のことだもん、覚えてるよ」と。


 そう言われて悪い気はしなかった。むしろ嬉しいという気持ちの方が強かった。それが『好き』ということなのだろうか……


 ちゃんと返事もしないまま、なし崩し的な感じで日々を過ごした。学校では付き合っていることを内緒にしたいという俺の気持ちを汲んでくれ、不自然なほど無視していたし、なんなら莉緒は他の男子とよくお喋りしていた。そんなふうに学校では無視を決め込んでいた俺とは、しょっちゅう電話でお喋りをしていた。今日あんなことがあったんだ、こんなことをしたんだ。あの子はどうとか先生がどうしたとか、他愛もない話をよくした。


 学校では付き合っていることを内緒にしたい。ちゃんと返事をしていない俺のこの言葉を、莉緒はどう受け取っていたのだろうか……OKだと受け取ったんだろう。『付き合っていることを内緒に』なんだから。


 莉緒はそんなお喋りのあとのおやすみなさいの言葉の前に、よくこう聞いた。


「ねえ、私のこと好き?」


 嫌いじゃなかった。お喋りは楽しいし、違うクラスで起きていることを聞くのも面白いと思っていた。楽しいや面白いは好きということなのだろうか?よくわからなかった。ただ、嫌いではなかった。


「うん。…… ……好きだよ」


 その言葉を言う時は、毎回声が小さくなった。心の中では、何か小石がいくつも転がっているみたいだった。


 夏休みにははじめて二人だけで会った。誰にも見られたくない俺の意向を汲んで、莉緒の家、莉緒の部屋で会うことになった。莉緒の両親がいない時間、莉緒の妹がいない時間、本当に二人だけだった。


 二人での時間、何をどうして過ごせばいいのかわからない俺は、宿題を持ち込んだ。「一緒に宿題をやる」それが自分の中に作った、二人で会う理由だった。


 その日、二人で宿題をかなり進めることに成功していた。もともと俺は勉強はできる方だったから、あまり勉強が得意ではない莉緒に教えてやれることが多かったし、莉緒はそれを真面目に聞いていた。


 小さな机を挟んで、とてもその距離は近かった。


 うつむいていた莉緒の緩んだ服の胸元からは、白いブラジャーに包まれた膨らみが見え、胸が跳ね上がった。その瞬間、顔を上げた莉緒と目が合い、俺が見ていたことなど全く気付かずに、屈託なく微笑んだ莉緒を初めて愛おしいと思った。


 その日、莉緒の部屋を出るその瞬間、「待って」と、背中に莉緒を感じた。膨らんだ莉緒の胸を背に感じ、ドキっとして振り返ると、莉緒を抱きしめた。


 その夏は、そんな風に数回莉緒と過ごした。


 秋が過ぎ、冬が訪れるころには二人のその空気感に何か色がついていたかのように、二人が付き合っているのではないかと噂になり始めていた。が、二人が揃って否定していたため、それは噂の域を出なかった。


 その頃、俺は教室の中での居心地の悪さを感じていた。


 莉緒は、可愛い子だったのだ。モテる子だったのだ。俺が学校では付き合っていることを内緒にといったのは、それがわかっていたからだということもある。そんな莉緒と付き合っているのではないかという噂は、莉緒のことを好きだという男子には面白いものではなかったのだ。中でもクラスで一番の不良といわれるそいつが、マジで莉緒を好きだったのだ。

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