第40話 烙印

 未知留には罪の烙印が押されているのに、私にはないんだな。いや、違う……


「その傷をつけた人は、もういないよ。怖い人はもういない。怖いことももうない。嫌なこともない。逃げられたんだよ、未知留ちゃんは……」


 言っていて、いや、未知留が言ってることの答えにこれはなっていないとわかっていた。未知留が言いたいことはこんなことじゃない。それもわかっていた。


「未知留ちゃん……その傷、治せなかったの?」


「若いころ、一生懸命働いてお金貯めて美容外科に行ったこともあった。でも、生まれた時のままの、元通りにはどうしたってできないって思ったの。何度も手を入れて綺麗にしてみても、きっと鏡の向こうに私は消えないあとを見つけてしまう。悩んで悩んで、そんなことしているとき、貯めたお金に手を出されて……こんな痕があったから男の人と付き合うことなくもなくて、酔う男の人も怖かったし……でも、それでも好意を持ってくれる人がいて……優しくされて信じて、ある日、通帳と一緒に消えた。その時、この痕は消さないって思ったの。簡単に人を信じちゃいけないって、毎日鏡見て自分に言い聞かせて……」


「辛いこと、たくさんあったんだね」


「時々考えたの。最初から、火傷なんかしないでいたらどんな人生だったんだろうって。あの場所にずっといることができたら、どんな人生だったんだろうって。住職さまや清恵ちゃんのお母さん、村の人たちは優しい人がたくさんだった。あそこにずっといられたら、私はもう少し幸せな人生だったのかなって。もちろん今が不幸って思ってるわけじゃないの。好きな絵も描いてるし。でも時々思う……時々じゃない、よく思ってたの。この火傷がなかったら……って」


 清恵は熱くなる目頭で、それが涙にならないよう何度も瞬きをした。


「そうだね、未知留ちゃんがずっとあそこにいて、一緒に中学に行って、高校生になって……学校帰りにたまには一緒にカフェなんかにも行ったりして、好きな人の話や将来の夢を語り合ったり、そんなことができたらよかったね。ごめんね……できなくしちゃったのは私のせいでもあるね」


「そうしてずっと考えてて、ある日、見つけたの」


 話が嚙み合っていないなと清恵は思った。私への返事ではなく、未知留は自分の世界に入り込んで話をしているように見えた。そんな未知留の目に何が映っているのか確かめようと、その自分には向いていない目を見つめて、清恵は問いかけた。


「何を?」


 未知留の目が清恵を捉えた。


「戻り時計」


「戻り時計?……って、何?」


「何だろうね?私にもよくわからなかったの。こんなものが存在するなんて、本当に存在してるなんて、自分でやってみても信じられない話だった」


「やってみてって?どういうこと?話が全然わからないんだけど」


 なんだか怖いと思った。未知留の眼はその日初めて見た生気に満ちて、清恵の目を捉えて離さない。


「私ね、これを使って時間を戻ったの。本当にできるのかどうか私も信じられなかったし、だから一度やってみようと思って……とりあえず、怖い気もして1週間前に戻ってみた。そしたら本当に戻って、これが本物だとわかったの。でも、その時は過去に戻っても何もしないで現実に戻ってきた。本物か確かめたかっただけだし、私も動転してて……」


「ちょっとまって。まだよくわからないんだけど、過去に戻るって……」


 未知留の話は突拍子なさ過ぎて、全く理解が及ばない。


「この戻り時計を使うと、過去に戻ってやり直して現実に戻れるの」


 簡単な説明のほうが案外すんなりと心に入ってくるんだな。清恵は未知留の言いたいことがわかった気がした。が、いや、何バカなこと言ってるんだ。過去に戻れるって?そんなことあるわけない。あるわけないが、それを信じるほど未知留は追い詰められていたことを知った。


「未知留ちゃん、それを使って火傷しない過去にしたいの?」


「そう。そうすれば火事もしなくて済むし、ずっと清恵ちゃんとあそこで生きられる」


「で?本物だと確信してから、その過去のやり直しを試してみたの?」


 そんなわけないか。未知留の顔には火傷のあとが残ったままではないか。聞いてからそう思った。


「まだ……なの。過去を変えてどんな未来になるのか怖い気もするし……だからね、賭けてみようと思ったの。清恵ちゃんともう一度会えたら、私の絵に気付いて会いに来てくれたら、そうしたら清恵ちゃんに全部話して……それでね、一緒に行ってもらおうかと思って……」


「え?……一緒に?」


「そう。あの日の一年前、私が火傷する前に……お父さんを……」

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