第39話 火傷


「こんなところで会えるとは思ってなかった」


「本当にね。驚いたわ。私たち夕べ清風荘に泊まったの。そこでなんだか懐かしい景色だなと思って絵を眺めていたら、女将さんからここでその作家さんが展示してるって聞いてね」


「そう。懐かしいって思ってもらえたんだ。遠い記憶の中にある景色を思い出しながら描いているの」


「これ、も?」


 未知留はその絵を見つめながら頷いた。


「私がもっと有名な作家になれれば、いつかは清恵ちゃんの目にも留まるかな。なんてことも少し考えたりもした」


「清恵……知り合いなのか?」


「うん、まさかのまさか、小学生の頃に引っ越しちゃった幼馴染」


「はじめまして。清恵さんとは……考えてみたら、もう四十数年……いえ、もう五十年近くぶりなんです」


「そうでしたか。はじめまして。清恵の夫の雅文です。五十年近くとは、随分と長いこと会えてなかったんですね。それでもお互いわかるって、すごいことですね。せっかくだから二人でどこかで積もる話でも……私は今日はこの辺りを一人で観光しているので」


「えっ?いいの?一人で大丈夫?」


「子供じゃあるまいし、お前もゆっくり話したいだろう?」


「未知留ちゃん、どう?」


「うん、もちろん。ご主人、すみません。せっかくの夫婦二人の旅行なのに」


「いや、全然問題ないですよ。場所が違うだけで、いつも二人ですから」


 そう言って、最初から絵にあまり興味のなさそうだった雅文はギャラリーを後にした。


「とは言ってもここ離れるわけにはいかないから、そっちでお茶でも入れるわ」


 未知留に案内された奥の衝立の向こう側には、小さなカフェスペースがあり、未知留がコーヒーを入れてくれた。


「これもよかったら」


 そう言って差し出してくれた裂いた竹でできた小さな籠の中には、個包装のクッキーやチョコが入れられていた。


「ありがとう。こういうギャラリーって、今まで入ったことがなかったから、こんなスペースもあるなんて知らなかったわ」


「絵に興味なかったの?」


「いくつか美術館に入ったことはあるけど、こういう個人のギャラリーって、買うことを念頭に入れてってイメージがあって、買うつもりがないと足が向かないわね。なんか観るだけなのは悪い気がして」


「そういう人は多いのかもね。こちらとしては、買うつもりがなくても興味持って覗いてくれると嬉しいんだけど。特に私のように無名作家だと、興味持ってもらえるだけでも有難いわ。それで、もし気に入ったがあったら……なんてね。無名だからそんなに高額でもないから」


「今日、こうして観させてもらって、入ってしまえばそこまで避ける場所でもなかったかもと思ってたところよ。私にも買えそうな絵もあったし、未知留の絵だからか、ものすごく懐かしさを覚えたわ」


「……よかった、そう思ってもらえて。私ね、……いつか、いつか私の絵を清恵ちゃんが目にすることがあって、それで……私を訪ねてくれたらいいなって思ってたの」


「え?」


「ごめんなさい。なんか変なこと言ってるよね。会いたければ私の方から訪ねればいいのにね。私には清恵ちゃんの居場所がわかってたんだし、もし結婚してあそこにいなくても、清恵ちゃんの実家を訪ねれば、いつでも会えたはずだもんね。ごめんね、一度も連絡しなくて……清恵ちゃんには私の居場所がわからなかったよね。私、手紙書くって言って書かなかった。だって怖かったの。あそこから逃げたかった。もうあそこにはいかないって思ってた。もしバレたら……だって私たち……」


「未知留ちゃん」


 徐々に大きくなる声に未知留の興奮が伝わってきた。清恵は未知留の興奮を止めるように、その声に被せるようにその名を呼んだ。


「ごめん」


 立ち上がって慌てるように周りを見渡した未知留は、人気のない空間に胸を撫で下ろした。


「私の方こそ、ごめんね。未知留ちゃんのこと、もっと探せばよかった。学校とか役所とか、児相とか、児童養護施設とか、聞いたり探し回れば見つけられたかもしれないのに。手紙書くねって言ってたのに手紙くれないから……子供の頃には、あんなことして嫌われたのかと思ったの。でもある程度の大人になるころには、未知留ちゃんはあの頃のこと、忘れたいのかもと思ったの。だから……」


「忘れたかった。怖かったこと、嫌だったっこと……あのことも、全部なかったことにしたかったし、それができると思ってた。でも、これが……これが……毎日鏡を見るたびに、なかったことにできないって思わされていた」


 未知留が左手でかき上げた髪の下には、あの日の一年前にできた火傷のあとがケロイドとなって、若い頃にはさぞ美しかったであろうその顔に、何かの烙印のように残っていた。

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