第10話 戻り時計

 和彦の四十九日の法要を終えてひと月が経つ。自分だけの都合で、自分だけの気持ちで、起きたい時に起き、眠りたい時に寝て、食べたい時に食べるという、そんな自由ができるというのに、雪乃は今までのリズムを崩せずに、いつもと同じ時間に寝起きし、同じ時間にご飯を食べていた。ただ、食べるものだけはいわゆる手抜きで、たくさん買い置いている即席の味噌汁、前の日に買って食べきれなかった出来合いのおかずで朝食を済ませることも多くなった。和彦の注文で毎朝食べていたヨーグルトも切らすようになっていた。朝食以外の食事も、今までは和彦の身体のことを考え、野菜を多く取り入れていたが、最近は野菜を買うことも減っていた。


 これじゃあいけない。分かっていたが、自分一人だと食べる量もそんなにはいらない。何かを作ろうという気になれない自分がいる。それを察した晴美が手作りしたものを時々持って来てくれるので、それを小分けにして数日かけて食べたりしていた。


 その晴美が昨日、「二階はどう?」と言っていたこともあり、雪乃は少し二階の様子を見てこようかと、市の指定のごみ袋を二枚持ち二階へと上がった。


 寝室は、何がどこにあるのかは雪乃がほとんど把握しており、マットだけになったベッド以外はタンスや押し入れに自分がしまったものがそのままの状態で収まったまま片付いている。


 晴美の部屋だったところは、晴美が結婚するときに自分でほとんど片付けて行ったため、それからは誰が来ても泊まれるように押し入れに布団が入っただけの部屋になっていた。そこはいつものように風だけ通しておこうと窓を開け放った。


 さて、和真の部屋だ。ここは和真が大学で家を出たあとも、いつ和真が帰ってきてもいいようにそのままにしておいたが、就職し結婚し、主が戻らないことが確定したその部屋は、和彦が趣味の部屋にすると言って使うようになった。そのため、雪乃は細かなところまでは何がどこにあるのか把握していない。


 和真の学習机の上には、最後にいつ開いたのかわからないパソコンが、埃をかぶって隅に置かれていた。和彦は夫婦二人で出かけた旅行で撮った写真や、里山公園での四季の移り変わりなどを写真に収め、パソコンに取り入れてから、下のテレビで雪乃が見られるようにDVDに入れたものがたくさんあった。あれもいつか和真と晴美が持っていてくれるといいなと、自分たちが残していくものに想いを馳せた。


 そういえばカメラはどこだろう?和彦はカメラを二台持っていた。一つは一眼レフのカメラで、旅行先にはいつも持っていた。もう一つの手に納まるほどのデジカメは、重いカメラを持って歩くのが大変になってきた頃から、里山公園に行く時にはそれを持つようになっていた。その小さなカメラはリビングにあることを確認している。一眼レフはどこだろうと、大きさからして……と、学習机の一番下を開いた。


 やはりここか。その一眼レフのカメラは、雪乃がキルト生地で作った巾着に入ったまま、そこに入れられていた。和彦のぬくもりに触れたくてカメラを取り出すと、奥にもう一つ、箱に入った『何か』に気が付いた。なんだろうと取り出し、その箱を開けた。


「時計?」こんなのあったかしら?引き出物だったかしら?それか、和真のかな?


 月の形がしたその時計はまだ新しく、貰い物を使わずにしまい込んでいたのだろうと、箱に戻そうとしたとき、底にある古びた紙に目が行った。綺麗な月の時計と古びた紙の異様さに、その紙が何か隠したいものであったのではないか、そこに一瞬、夫の秘密を感じた。


 取扱説明書?……なんだ、誰かからの手紙かと思った雪乃は、ただの説明書だとわかりホッとすると同時に、やはりその古さに違和感を覚えた。



   戻り時計取扱説明書


後ろの過去ボタンを使い、過去の戻りたい日時をセットする。


後ろの未来ボタンを使い、過去の戻りたい日時から戻りたい時点をセットする。ただし、今現在より未来の時点へは戻れない。


セットをしたら、両端にある二つのボタンを同時に押す。


戻り時計は計三回まで使用可能。


 戻り時計?これは、何だ?ただの時計じゃないってこと?過去に戻って、何かをやって、戻ってこられるってこと?それぞれの日時を自分で決められるということかしら?なんなの、この時計……


 それよりも、なんでこんなものが……


 雪乃の頭の中は、?でいっぱいになっていた。


 これは和真のではない。直感でそう思った。和真のものなら、ここに置いておくはずがない。自分の目に、手に届くところに置くだろう。これは和彦のものだ。そう思い、雪乃は大きな不安に包まれた。


 和彦は、これを使ったのか?使ったのだとしたら、どう使ったのだろう?


 ……何のために?


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る