真夜中に咲く花

夢裏徨

真夜中に咲く花

 耳が痛いほどの静けさの中でイライザは一人、グラスを傾ける。


 先日の騒動で、この都市は片翼を失った。この都市が生き残るために必要な決断だった。しかし、片翼を失った代償は大きい。未だに都市内のエネルギー供給が安定せず、館内の照明は暗く落とされていた。

 だからというわけではないだろうが、イライザがいる東公園内に人通りはない。南国のビーチをモチーフにした西公園のような華やかさは元々なかったが、四季折々の花を楽しめる場所として、流れる空気の穏やかさが親しまれていたというのに。


 中央に設置された蓮池の縁に腰かけたイライザは、ふと右手を水に浸す。ひんやりとした水は淀みなく水底が見えている。まだこの水を浄化してやれているのだと、少し安堵した。


 カクテルグラスに口をつけると、この場にはそぐわない、甘く、爽やかな味がした。


 誰かが近づいてくる足音に、イライザは顔を上げる。廊下の暗がりから現れたのは、やるせない表情であちらこちらを見回している男。


「残念ね、今日は貸し切りなの」

「ならちょうどいい。他人に気を遣わなくていい」

「私にも気を遣ってくれない?」

「堅いこと言うなよ」


 ずかずかとイライザの近くまでやってきた男、ピョートルは、蓮池の反対側、イライザの背後に腰かけた。彼がぐびっと瓶からラッパ飲みしたそれは、ウォッカかウィスキーか。


「あんたも寝酒?」

「すぐに寝ればそうなるのかしら」

「夜更かしは美容の大敵なんだろ?」

「そう……夜なのね」


 ぼんやりと返せば、ピョートルも押し黙る。


 ここは、人類の科学技術を結集して建築された海底科学都市。昼夜問わず明かりが灯り、一日という時間の単位を曖昧にした街。そこから一転していまや一日中暗いものだから、昼だとか夜だとかいう感覚を失って久しい。


「あなたこそ、夜更かしできるほど若くないんじゃなかったのかしら?」

「いいんだよ、別に。明日もどうせ同じ一日だ」


 吐き捨てられた言葉に含まれるのは、都市から出ていくことすら叶わない現状への嫌悪感か。


「あんたはなんだ。ここでずっと時間潰してんのか?」

「————咲く時間帯が、決まっている花があるって聞いたの」

「……は?」


 ピョートルが虚をつかれたような声を出す。彼も似たような目的かと思ったが、どうやら違ったらしい。


「一年間通ったけれど、見逃した花もあるんじゃないかって」

「案外ロマンチストだったんだな、あんた。まぁ、あいつこだわりの公園をわざわざ見にきた俺も似たようなもんか」


 会話が途切れた。

 科学都市のために奔走した数年間、特に最後の一年は過酷だった。軽口を叩くだけの余力も残らないほどに。


「あんたは、科学都市に携わったこと、後悔してるか?」

「なぜ?」

「なぜって、そりゃあ……」


 言いよどむピョートルに、イライザは立ち上がる。つかつかと足音を響かせて蓮池をまわり、ピョートルの目の前に立ちはだかる。つきつけたグラスの中で白い液体が揺れ、氷がからんと音を立てた。


「私は、やれることをやったわ。これはその上での結末よ。だから、私も受け容れましょう——もし私たちの選択が誤りだったとしても、それを知った上でもう一度同じ人生を繰り替えしたとしても、私は同じ道を選ぶでしょう。たとえ私たちが朝日を拝めなかったとしても、いずれ夜は明ける」


 ピョートルは目を閉じ、あぁ、と息をつく。納得と諦めの混じった苦みを帯びていた。


「あいつ、花なんかにこだわったんならついでに天井も気合入れてくれりゃよかったのに。そしたら今頃、満天の星空でも拝めたかもな」

「お客様のご意見としてまとめておくわ」


 イライザは天井を仰ぐ。

 空は、見えなかった。

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