龍に捧げよ 第4話

 麻仁は自宅の奥宮で一心に祈っていた。

 緊張のせいか、少しばかり折り重ねた両手が震えている。



 それは先日、麻仁が沙羅の自宅を訪問した時のこと。

 彼女の父から預かった封筒は、宵宮で行われる祭祀の案内であった。

「うちの神光祭の宵宮で、神賑奉納の舞楽があるのは知っているね。申し訳ないんだが舞楽の巫女を、貴船さんがやってくれないかい?」

「ええっ! あたしですかっ!」

 驚きのあまり、麻仁は思わず預かった封筒を落としてしまい、慌てて拾う。

「どうだろう、頼まれてもらえないかな?」

「え、いや、あたしは、その、会長……お嬢さんじゃダメなんですか?」


 街全体をあげた神光祭のメインとなる山鉾巡行。

 その前日の宵宮に行われるのが、最後に龍の遣いとも化身とも言われている萌黄色の千早を纏った<鳥の巫女>が、能楽堂で奉納する舞だ。

 その条件として『よわい十八となる娘』と古来より定められており、大通りを封鎖して行われる夜祭りの様相を呈した他の舞楽とは一線を画す、立派な神事だった。


「うちで奉職している巫女たちはたいてい大学生より上だし、氏子や崇敬会は宵宮に舞楽もあるから、挙手する子も減ってきてね。それに沙羅は当社の娘で当日は仕事も多いから。そこで他の神職にも当たってみたら、同じ学校で生徒会のよしみから貴船さんのお嬢さんの名前が挙がったんだよ」

「あたし早生まれだから、まだ十七なんですけど……でも数え歳だと十九……」

「それは気にしなくていいよ。お嬢さんも沙羅も現代なら今年十八なんだから」

 変わらず愛想よく振る舞っていた沙羅の父だったが、わずかに苦笑する。

「そんな大それたこと、ホントにあたしでいいんですか……?」

「ダメかな? 他のお社にも声を掛けてみたが、なかなか人選に厳しくてね。すぐに巫女舞をできる十八歳の子っていうと、かなり限られてるからね」

「……あっ、あの、夏休みは自分も巫女の勤めがあるので、都合がつくかまずは親に相談します」

 麻仁は動転してその場は話を預かり、早々に退散した。


 帰宅して父に話をしたところ、事前に沙羅の父から相談を受けていたらしく、同じ街にある神社同士のよしみでもあるので、その話は素直に受けるのが良いということで、手伝いの巫女・藤谷に都合を相談してみることになった。

 なによりあの神光祭である。娘にいつもどおりの家業を手伝わせるよりは貴重な経験になるだろうと親心あっての判断だ。

 藤谷に連絡をして手際よくシフトを組んだ父はその晩、礼かたがた、さっそく沙羅の父に娘の参加を告げる電話を掛けていたのだ。

「どうしよう……うまくいくかな? 会長は怒ってないかな……」

 祈りを終えた麻仁は、岩肌から染み出る手水に触れた。

 水たちはなにか注意か警告をしているように、彼女の肌を細かく叩く。

「あたしのこと心配してくれてるの? ……そりゃそうよね。失敗したら、どっちのお社にも泥を塗ることになっちゃうもんね」

 それでも、まだ水は麻仁に向けて声を上げた。

「ありがと、ちゃんと巫女舞ができるように頑張るから」

 山門で一礼し、麻仁は奥宮を後にした。




 一方の沙羅は、自宅ですっかりと腐っていた。

 宵宮で肝心の巫女舞を奉納するのが、まさかの同窓であり、よその神社の巫女である麻仁だと知らされたからだ。

 昨日は狼狽して父と大ゲンカをしてしまっただけでなく、ショックのあまり奉職にも生徒会にも出られず寝込んでしまった。

 加えて、この慌ただしいタイミングで改めてオカ研が取材をしたいというメッセージがステーシーから入っていたのだ。

 だが、相手が教員という立場ゆえ強く断ることもできず、気乗りしないままステーシーに押し切られた格好の沙羅は、巫女装束ではなく私服で待ち合わせ場所に向かった。


 山門の外では、ステーシーひとりが手を振っていた。

「ハーイ、サラ。待たせたわね」

「あら、ステーシー先生だけですか? 斉藤さんと小池さんは……」

 沙羅は周囲を見回し、残るオカ研メンバーを探した。

「彼女たちは部活に夢中になりすぎて、テストの成績が悪かったから補講よ? 今日はワタシの個人的な趣味で来たのよ」

「でしたら申し訳ありませんが、わたくしもお祭りの前で忙しいのですわ。できれば一度で済ませていただきたいのですが……」

「だから、ワタシが代理で取材を終えるのよ。斉藤ちゃんたちにはキチンと教えとくわ」

 悪びれることなく肩をすくめるステーシーに、沙羅も呆れた様子で深く息を吐く。

「こないだ、マニと一緒に来た時に見せてもらった絵詞があったでしょ? サラのおうちの龍の伝説と、水に関係する場所を見たいわね」

「……でしたら、こちらへどうぞ」

 沙羅はステーシーを美御前社の前に案内する。


 拝殿の前を横切り、境内を東側へと歩く途中に舞殿があった。

 それを見たステーシーは先導する沙羅に声を掛けた。

「もうじき、神光祭ね。宵宮ではここで十八歳の女の子が<鳥の巫女>の舞をするのよね」

 すると、沙羅は足を止めて舞殿をじっと見る。

「そうですわ。でもわたくしは家の手伝いをしていますので、関係ありませんの」

「あら、関係ないわけないじゃないのよ。ここのおうちの子でしょ? ワタシもサラが舞を踊る姿を見たいわ」

 それにはなにも答えず沙羅は歩き始めた。

 ステーシーもお構いなしに先を歩く彼女の背中に声を掛ける。

「ワタシも休みが取れたら、絶対に宵宮に来るからね」

「結構ですわ。どうせわたくしはお父様の手伝いで忙しいので、お会いする時間もありませんわ」

「そんなに舞がしたいの? せっかくこの神社が祀ってきたドラゴンを目覚めさせる大切な『あるもの』を象徴する巫女なんだから、サラのおうち以外の子にその役目を託されるのも当然なんじゃない?」

 それを聞いた沙羅はふたたび足を止める。

「ステーシー先生……オカ研はそこまで詳しいんですの?」

「秘密であるほど人の口には戸を立てられないものだわ。学校のオカ研とは言わないけど、世のオカルト好きの調査力は舐めちゃダメよ」

 ステーシーは沙羅の両肩に手を置いた後、彼女を強く抱きしめた。

「ごめんなさいね、あなたの生徒名簿を見させて貰ったわ。お母さまはずいぶん早くに亡くされているそうね。いいのよ、サラ……ここは学校じゃないわ。何か困ったことがあればワタシを頼っても」

 突然に抱きしめられた沙羅も最初は困惑していたが、遠い昔に死別した母の記憶や、暖かくも柔らかな慈悲深い母性を思い出すと、しだいに目を閉じてステーシーに身を預ける。

「サラの誇りや名誉、逆にそれに苦しむ重責や悩みも……このお祭りで巫女舞をすることは、ここの神社の血筋であることの最大の喜びと感じていたのよね? 言うなれば<鳥の巫女>はサラ自身であるということよね、違う?」

 沙羅もステーシーの胸元で顔を埋めたまま、小さくうなずく。

「でもね、十八歳しか踊れないお祭りの形式的な舞なんてほっときなさい。あなたは立派なここの娘であり、ドラゴンにまつわる神社の巫女なのよ。誰にも何も言わせないでいいじゃない。サラこそ<鳥の巫女>よ」

 その発言には沙羅は首を細かく横に振る。

「ですが、わたくしはしょせん何者でもないのかと……家のお勤めも生徒会も、全て望まれるままに努力してきたというのに……」

「そんなの気にしなくてもいいわ」

「ですが、巫女舞をされるのは同じ生徒会の貴船さんですし……わたくしもどうしたらよいか……」

「そうなの? マニが?」

 ステーシーは沙羅の頭を優しく撫でるが、視線はよそに向けてしばらく思案する。


「……いい、サラ? これを見てちょうだい」

 ステーシーは沙羅が下げていた首飾りを手繰り寄せる。

 すると、それは淡い青の光を放っていた。

 驚いた沙羅は思わず上体を避けるが、ステーシーは自身が着けている首飾りも手に取る。

 彼女の石は深紅の輝きを放つ。

 まるでふたつの石は、反響し呼応しあうように輝いていた。

「サラ、あなたが本物の<鳥の巫女>よ。ここからはワタシのだいじな話……」

 にわかに信じがたい光景に、目を大きく見開き石を見る沙羅の紺碧の瞳には、ふたつの色が彼女の網膜の上で混じり合い、吸い込まれていった。



 沙羅の神社を出たステーシーはスマートフォンを取り出す。

 やがて電話が繋がった相手と日本語ではない言葉で会話を始めた。

 歩きながら通話をしていても、見慣れている人々は外国の観光客が母国語で電話をしているようにしか見えず、その内容も咄嗟に理解できる者は周囲には居なかった。

「ハーイ、ワタシよ。久しぶりね。こっちの方は順調よ。こうやってみんなと会話できるのも、いつぶりかしらね?」

 日本有数の観光地とはいえ、外国人である以上は日本人の視線を多少は集める。

 それでもステーシーは堂々と会話を続けた。

 それが、この古都では最もありふれた異邦人の姿だから。

いにしえの伝承がまた復活するなんてワタシも正直、興奮しているわ。そのシャーマンの候補はまずひとり。その娘はおっとりしてるから信じて疑わないはずだわ。だいじょうぶよ。それにしても、もう片方はどうしたらいいかしら? 鍵守りの血を引く娘だけど、彼女はママを早くに亡くしたみたいで、その伝承や力の解放までは知らないみたいよ?」

 そこでステーシーは言葉を止めて、眉を寄せる。

 電話先の相手の話を慎重に聞いているようであった。

「そうなの? 彼女を使って問題ないかしら? だって鍵守りの血族なのよ……わかったわ。それにしても、二人のシャーマン候補は偶然にも純潔のジャパニーズ・ミコだなんて、おあつらえ向きで素敵じゃない?」

 相手の話に耳を傾けていたステーシーは、笑みを浮かべてうなずいた。

「だったら、どっちも予定通りに進みそうよ。もうじき<方舟>の封印は解けるはずだわ」


 ステーシーは鴨川に掛かる橋まで来ると、欄干に両肘を預けた。

 橋の上は水面から涼しい風が抜けていくが、鋭い陽射しと熱波は街を揺らめかせ、歩いているだけでも額に汗が滲む。

 波打った髪を掻き上げると、そこでようやく、ひと心地ついた。

 眼下の川は普段よりも水量が少なく、まるで川底が透けて覗けるようであった。

 それを見ながら小さく笑う。

「後はワタシが上手くやっておくわ。そっちも抜かりなくやってちょうだい。ワタシたちの作戦ミッション<ドラゴン>も、もうすぐ次の段階ね」

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