龍に捧げよ 第2話

 教員に預かった遣いのものを渡すために沙羅の神社までやってきた麻仁。

 まず沙羅の自宅を訪問しインターホンを鳴らして待つが、留守なのか反応はない。

 仕方なく神社のほうに向かった。


 ここ最近、何度も通った朱色の楼門を、今日は制服のまま、門の前で一礼してくぐる。相変わらず平日といえど参拝客で賑わっているが、神光祭の期間というのもあるのだろう。人の往来がにわかに活気づいている。

「失礼します」

 麻仁は社務所に挨拶をして事情を説明すると、中に通された。


 するとそこには、巫女の装束ではなく動きやすい私服で女中たちと、せわしなく次の神事の準備をしている沙羅の姿があった。

 麻仁の姿を見止めた沙羅は、受付の巫女に誘導されて玄関へと向かってきた。

「あら? 貴船さん、生徒会を休んでごめんなさい。忙しくて準備の人手が全然足りなくて……今日はどうなさいましたの? またオカ研絡みですの?」

 麻仁は苦笑しながら首を横に振ると、教員から頼まれていたものをカバンから取り出した。

「今日はちゃんと学校の用事ですよ。これ、先生に預かった生徒会の資料です」

「ありがとう。助かりますわ」

 沙羅は手に持った荷物を受付の巫女に預けて、麻仁から学校の資料を受け取る。


「やあ、貴船さんところのお嬢さん。久しぶりだね」

 そこに沙羅の父親が姿を現した。

「いつも父がお世話になっています」

 麻仁は深々と頭を下げた。自分の家よりも大きな神社の宮司の登場に、失礼のないよう思わずかしこまる。

「こちらこそ。学校で沙羅が迷惑をかけてないかな」

「そんなことはしてませんわよね?  ねぇ、貴船さん?」

 即座に否定し、同調を促す沙羅。麻仁もただうなずくしかなかった。

「神輿の御霊みたま入れに宵宮、山鉾巡行……いよいよ神光祭も佳境だよ。毎年この時期がくると足も腰も痛くて、もうすっかり歳だね」

 大袈裟に肩をぽんぽんと叩きながら沙羅の父は笑う。

 娘の同窓の前で気を遣わせまいと少しくだけた振る舞いをする様子を見て、さすが自分の父と違って立派な神社の宮司さんは余裕が違うと、麻仁も感心する。

「そう言えば貴船さんのお父さんに以前お願いしていたことが……沙羅、悪いが奥で準備の続きを頼むよ」

 何かを言い含んだ沙羅の父は言葉を止めて、娘を下がらせた。

「それでは、貴船さん。ごきげんよう」

「会長もお忙しいでしょうから無理しないでください」

 沙羅は頭を下げると、社務所の中へと消えていった。


 娘が居なくなったところで、沙羅の父は封筒を手渡す。

「ご自宅に戻ったらこれをお父さんに渡してもらえないかな。前にご相談していた件と伝えてもらえれば、きっとすぐにわかるよ。お嬢さんにも関係あると言えばあるんだがね……」

「はぁ……あたしにもですか?」

 麻仁はきょとんとしたまま、手元の封筒と沙羅の父の顔を交互に見た。



 その日の日没後。

 巫女の勤めを終えた沙羅は社務所に戻った。

 更衣室で巫女装束から私服に着替えながら、スマートフォンを取り出す。

 文化祭のキャッチコピーを決めるはずであった今日の定例会議を欠席してしまい、スケジュールの再調整として生徒会用のグループメッセージを送信するべく、電源を入れた。

 するとそこには、ステーシーからの受信メッセージがあった。

『こんどオカ研の取材でサラのお宅にお邪魔したいわ。空いてる日を教えてもらっていい?』

 それを読んだ沙羅は、盛大に溜息をつく。

「まったくもう、テストが終わったばかりで生徒会の業務も神光祭の祭祀も、まだたくさんあるというのに、オカ研の取材だなんて……かといって顧問であるステーシー先生のことも無下にできないし……困ったものだわ」

 ステーシーへの返信をどうすべきか、それよりも生徒会へのグループメッセージを送信せねばと、沙羅がスマートフォンを眺めたまま思案していると、更衣室の戸がノックされた。

「沙羅、ちょっといいかい?」

 扉の向こうから声を掛けたのは彼女の父だった。

「お父様、まだなにかお勤めがあったかしら?」

「いや、勤めのことじゃないんだ。こんどの神光祭だがね」

 何の話題かと、急ぎ私服に身を包んだ沙羅は、扉を開けて父を招き入れる。

「どうされたの?」

 父は娘の胸元にある首飾りをちらと見る。

「沙羅、まだ母さんの形見の石を着けているのか。奉職の間だけでも外しなさいと言っただろう……いや、今はそれではないんだ。宵宮での神賑奉納だが、悪いが裏方の仕事に回って欲しいんだ。どうしても人手が足りないからな。頼んだぞ」

 それを聞くなり、沙羅は色をなして父に食って掛かる。

「どういうことなの? 宵宮なら舞殿での巫女舞の神事があるじゃない。ようやくわたくしも十八になったのに、大役である舞を奉納できないなんて、どうして!」

「キミはここの宮司の娘だ。主催社としての雑務も多いし、沙羅が巫女舞までするのは公平性に欠けるだろう。どうか、わたしの顔を立ててくれないか?」

「そんな……普段だってお父様のお手伝いばかりだと言うのに、これ以上顔を立ててくれだなんて……お父様だってご存知でしょう、このお社に伝わる由緒を! 巫女舞を奉納できるのは、龍神様のおそばでお祈りをできる選ばれた者で、<鳥の巫女>と讃えて呼ばれるのよ! それを、どなたが舞を奉納するというのよ!」

「しかるべき人にお願いをしたよ。了承も取り付けた。手伝いのことは悪いとは思っている。普段自由にさせてやれないのも申し訳ない。だが、巫女舞の件だけは理解してくれ」



 口惜しさに顔を歪める沙羅は、父を置いてぷいと部屋を出ていった。

 自室に戻った沙羅は、椅子に深く腰掛けて天井をぼんやりと見ている。

 そして、首飾りの紐を手繰ると、石を両手で握り一心に祈り続けた。

「わたくしがここのお社の、正統な<鳥の巫女>の候補だというのに……」

 すると、石は彼女を慰撫するかのように、柔らかなの輝きを放った。


 祈りを終えた沙羅は机の上に置かれた写真立てを見た。

 わずかに面影の残る沙羅を膝の上に乗せた女性の写真。

 母は幼い沙羅を残して夭逝ようせいした。

 もはや、母とともに過ごした記憶は薄らいできている。


 幼い頃に母が聞かせてくれた神話。

 それはこの家に遺る大切な言い伝え。

 この石は、無二の力を持つ巫女に託されるものであると。

 母も祖母も曾祖母も、さらにその母も祖母も。

 女系に代々伝わる大切なこの石は、御守りなのだと。

 この街に伝わる龍の封印に大きく関係しているという。

 だが、そこから先はよく憶えていない。


 それでも神社の娘として生まれて、この石を形見として持ち、ここで奉仕できるのは選ばれた巫女としての喜びであり、生き甲斐でもあったのに。

「お母様、わたくしは……巫女はやはり必要とされていないのかしら……」

 沙羅は背を丸めると、力無く自身の顔を覆った。




 それから数日後の朝。

 麻仁はいつものように制服に着替えて学校に向かった。

 補講期間ではあるものの、文化祭に備えた生徒会の定例会議への参集が、沙羅から告げられたからだ。


 麻仁が生徒会室に入ると、椅子ではなく机に腰掛けた副会長の畑中が、さっと右手を上げて挨拶した。

「やぁ。こないだどうだったよ、マニ? 会長から怒られなかったか?」

「資料を渡すだけで怒られるわけないでしょ。だから別にあたしじゃなくても良かったのに……」


 しかし、定例会議の時刻が間もなくに迫っても、沙羅の姿は無い。

「会長はやっぱ祭りが忙しいんじゃないか? こりゃ、今日の会議も延期かな?」

 畑中は時計を見ながら、頭を掻く。


 しばらくのち生徒会室の扉が横に滑った。

 ようやく沙羅が到着したが、少しばかり急いだのか息を乱し、また神光祭で続く祭祀の疲れからか、やや精彩を欠いており覇気もなかった。

「皆様、先日はお休みを頂いてしまい、申し訳ありませんわ。それに今朝はバスに乗り遅れてしまい……わたくしったらお恥ずかしい」

 滅多に見せない沙羅の失態に、同学年の麻仁や畑中も驚いた様子で見ていた。

「まぁ、ともあれ、会長も揃ったところで、ぼちぼち始めっか?」

 畑中の音頭で、京極がホワイトボードの前に立つと皆に向けて語り始める。

「先日、会長がおっしゃってた宿題。文化祭のキャッチコピーの選定を始めましょうか。ここからは副会長に代わり、書記のあたしが議事を進行させてもらいますね」


 だが、沙羅は手元のプリントを見ながらも、ぼんやりとしていた。

「……八坂さん、始めちゃっていいの?」

「あっ、えぇ……京極さん、お願いしますわ」

 沙羅は自身へ向けられた京極の視線に気づき、慌てて返事をする。

「なんかぼーっとしてるな、会長」

 畑中が隣に座る麻仁に向けて小声で耳打ちした。

「これから祭祀も増えてくるから、お疲れなんじゃないかな?」

「ふーん……その前の二年間はそんな感じ無かったのにな」

 麻仁と畑中は改めて沙羅の様子を窺う。

 手元の議題表を見つめる沙羅の視線はどこか虚ろで、幾度となく溜息をついては髪を指先で流していた。


 ホワイトボードに議題を書いた京極は、皆の顔をゆっくりと見回す。

「とりあえず、まずは挙手でキャッチコピーを決めてきた方は発言してください」

 最初はわずかに互いの顔を見合わせて黙っていた後輩たちだったが、他人の出方を窺う者と、さっさとノルマを終わらせてしまおうと率先して挙手する者もいた。

 ホワイトボードの上には、メンバーが考えてきた文言が埋まっていく。

「それじゃ、三年生からも発表をお願いしますね」

 京極に促されて、畑中は頬杖をついたまま喋り出す。

「あたしはやっぱ、飛翔するものなら、場外ホームランのボールで『オトメりょく全開でかっ飛ばせ!』だな」

 いかにも彼女らしい、畑中の乱暴な案に後輩から笑い声が上がる。

「そしたらあたしは、桜吹雪が舞うイメージで『咲き誇れ、百花繚乱』っていうのにします」

 これもまた漫画やアニメが好きな京極らしいものに、納得する後輩たち。


 沙羅はわざわざ自席で起立して、自身の案を披露した。

「わたくしは飛ぶものではないのですが、この古都で流れた悠久の時間と、鴨川の水に浮かぶ友禅流しを重ねて、『紡ぐ伝統と歴史』というのはどうでしょう」

 やや堅い印象はあるものの、彼女らしく、美しくコンパクトに纏めたことに皆も感嘆の声をあげる。

「三年生はあとはマニだけだね。じゃあ貴船さんお願いします」

 京極に催促されると、麻仁は驚いて両肩を大きく揺する。


 あの日、風呂場で思いついたものは大変に良い案だと自負していたのに、他のメンバーの案を聞いているうちに、内容の幼稚さや未熟さが際立ち、ひとり恥ずかしさに悶えていた。

 麻仁は緊張の色を浮かべて、ゆっくりと語り出した。

「あたしは、テーマが『飛翔』なので、学生らしく自由にいこうという意味と、自分たちを鳥に見立てて……」

 そこまで言ったところで、顔を紅潮させ伏せたまま、さらに小声で続ける。

「副題は『羽ばたけ! 麗明ガールズ』というのは……どうかと」

 麻仁の性格をよく知っている後輩には、貴船先輩のやや弾けた提案は完全に意外と捉えられ、形容しがたい声を上げる一同。

 畑中は頬杖する肘が滑り、京極も文字を綴る手が止まってしまった。


 もちろん面を食らったのは沙羅も同じであった。

 彼女らの案は真剣さに乏しいと捉えた沙羅は苦言を呈さずにはいられなかった。

「貴船さんと畑中さんは、少しくだけ過ぎではありませんの?」

 畑中は肩をすくめて、隣りの麻仁の肩を叩く。

「ちょっとぐらいくだけた方が学生らしいっての。なぁ、マニ?」

「はい、あのっ! 確かにちょっと軽いかもしれないけど、あたしたちが作っていく文化祭や体育祭や、学園生活で経験したことや、卒業した後でも……これから苦しい事や大変な事があるかも知れないけど、ひとりひとりが鳥のように自由に大空を舞うような可能性を秘めた力とか、光輝く未来をアピールしたい、とそんな祈りを込めて作りました」

 必死に説明をする麻仁の話を受けて、困惑の色と共に表情を次第に険しくさせていく沙羅。後輩たちは貴船先輩に対して会長がまたご立腹なのでは、と戦々恐々としていた。

「……わかりました。続きをお願いしますわ」


 つぎに庶務の後輩が全員に小さな紙を配っていく。

「おかげさまで割と候補が多くなりました。まずは得票数の多いものを三本ほど選んで、決選投票としましょうか。これらの候補から良いと思うものに挙手をお願いします」

 生徒たちは挙手をしながら次点の作品を決めていく。

 畑中が自らの『かっ飛ばせ!』に投票しないあたり、手っ取り早く課題を終わらせるための捨て駒であったのは、麻仁には容易に分かった。

 やはり二年間の作業の慣れだろうか、後輩たちが先輩を立てたのか、決選投票に残ったのは麻仁と沙羅、そして京極のものだった。

「じゃあ、これらの中からいいと思うものを無記名で結構ですので、選んでください」

 庶務の生徒が紙片を回収し、集計をしていく。

 すべての紙片を開き終わり、手元のメモを念入りに数え直した京極が、ペンを置いた。

「お待たせしました。一位の総得票数が十二票で、今回は……すいません図々しく、あたしの案が採用になっちゃいました」

「……決まりましたわ」

 沙羅の合図を先導に、一斉に拍手が行われ、京極が皆に一礼する。

 肝心の沙羅は遠い目をしていた。もはや副題の内容や優劣は二の次で、心ここにあらず、といった様子だった。

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