龍に捧げよ 第1話

 期末テストを間近に控えた麗明学園は生徒の動きも少なくなり、放課後の学内は非常に閑散としていた。


 生徒会は定例会議のため全員が参集していたが、これがテスト前の最後の会議だ。

「皆様、お待たせいたしました」

 担当教員や他の委員会と打ち合わせをしていた沙羅が、遅れて生徒会室に入ってきた。その手には、文化祭で使用するパンフレットの下刷り原稿を持っている。

「今年の文化祭のテーマは『飛翔』と決めたわけですが、校門の入口に置く書き割りやパンフレットに載せる副題が手つかずだったので、皆様と決めたいと思いますわ」

 テーマである『飛翔』も生徒会や実行委員の全員による投票で決めたのだが、文化祭の副題――すなわちキャッチコピーがまだ未決定であった。


 これもまた頭を悩ます議題で、麻仁たち三年生も過去の二年間、先輩とあれこれアイデアを持ち寄って、苦労して決定した経緯がある。


 いざ決めるとなると、無言になってしまう一同。

 ヒントとなる取っ掛かりの単語を散発的に出してみるが、流れる時間と共にホワイトボードは脈絡ない言葉で埋まっていく。

 過去の議事録とホワイトボードを見比べながら、書記を務める京極が溜息まじりにつぶやく。

「三年間やってるけど、毎年このキャッチコピーで悩んじゃうよね。すごいヘンなものじゃなければ、先生たちが反対しないってのは助かるんだけどさ」

「でしたら、京極さん。逆に言えば、なんでもよろしいんですわよ。校風もあるし、歴史のある学校だから『伝統を繋ぐ、その先へ』とか『未来を切り拓く』とか、それらしい言葉でも」

 そこに副会長の畑中が割って入った。

「どうだろう? ざっと出たアイデアを見回しても、どれもピンとこないな。せっかく『飛翔』なんだから、なんか空飛ぶものと絡めた方がいいんじゃないか?」

「そうですわね……」

「だからさ、逆に空飛ぶものからヒントを決めた方が早いって」

「だとしたら、その『何らかの空飛ぶもの』も決めなくてはいけなくなりますわよ」

「そんなの凧でも飛行機でも、もっと言えばUFO……とか?」

 自分で言い出して少しばかり苦しくなった畑中は、適当に束ねたポニーテールを大きく搔き乱すと、肩をすくめる。

「そしたらこの議題は棚上げにして、もう少しみんなで煮詰めていこうぜ。時間ばっか食うからさ。美術部への書き割りやパンフレットの発注だって、まだギリ間に合うだろ?」

 沙羅は壁に掛かる時計を見た。

 確かにこの議題にばかり時間を割いていられないと判断し、一同に向けて手を叩いた。

「わかりました。そのかわり皆様に宿題ですわ。テストが終わるまでの間、ゆっくり考えて、次の会議で披露していただくことにしますわ。皆様がイメージする『空飛ぶもの』と、キャッチコピーを考えていただきましょう」

 麻仁はテストとキャッチコピー、同時にふたつの課題を抱えてしまったことを憂いたが、今この場で特に思いつく優れたアイデアもなく、黙っていた自分も悪いので、これもまた学業のひとつであるならば仕方なしと割り切った。



 帰宅した麻仁は机でテスト勉強をしていた。

 教科書と睨めっこをしている間も文化祭のキャッチコピーについて考えてしまい、そちらに専念するとなぜか良いアイデアは出ず、テストも次第に心配になり教科書を開いて、また勉強……を繰り返す。

 けっきょく時間ばかりが経過し、夜になる頃にはどちらも行き詰ってしまった。

「あ~あ……お勤めを藤谷さんにぜんぶお願いしちゃったじゃないの」

 時計を見ながら、麻仁は神経質そうに髪を手櫛で何度も流していく。

 すると、部屋の戸がノックされた。

「ねえちゃん、風呂あいたぜ」

 右源太が濡れた髪をタオルで無造作に拭きながら、声を掛ける。

「うん。ちょっとやめにしよっと」

 麻仁も一旦熱い湯に入り、気持ちを切り替えることにした。



 バスルームに向かうと双子が二人そろって入浴して遊んでいたのだろう。壁という壁に石鹸やシャンプーの泡が残り、おもちゃが乱雑に置かれていた。

「まったくもう! 今年で四年生でしょ! ほんとにいくつになっても子供なんだから!」

 ぶちぶちと文句を言いながら、シャワーで浴室の壁に付いた泡を流していく。

 そして髪が濡れないようタオルで包み浴槽に浸かると、堅い物を踏んだ感触が足裏に伝わった。

「ひゃあっ!」

 恐る恐る湯船の底を撫でると、小さな石がいくつか落ちていた。

「ホントにあの子たち……お風呂出たらお説教だわ」

 石を両手で包むと、掌の中で碧緑や鮮黄の光を放っている。

 驚いた麻仁が石をまじまじと見ると、室内灯の下では光は消えた。

「なんだ、オモチャの蓄光石じゃないの。どうせ電気を消して『ラグジュアリーな露天風呂ごっこ』して遊んでたんでしょ」

 そこで麻仁も一瞬、電気を消して試してみようかと逡巡したが、浴室の一角にある双子のおもちゃゾーンに放り込むと、そこにいくつかあるプラスチックのアヒルに目が行った。

 尻尾を引っ張ると、胴体に隠れた紐が伸び、それを放すと背中の両の赤い羽をばたばたさせながら、水面を前に進んでいく。

 面白い仕掛けに、思わず麻仁は二度、三度と泳がせて遊んでいた。

 アヒルのおしりに小さなくぼみがあり、そこにアタッチメントを付けられるようになっていた。浴室には同じ形状の小さなアヒルが何羽かあり、それらを紐で繋げて先頭の親鳥の尻尾を引っ張ると、カルガモ親子の隊列のように、アヒルたちは浴槽の水面を前進していった。

 その時、今年の文化祭のテーマであった『飛翔』がふと降りて来た。

 鳥が羽を動かす様子と、アヒルのおもちゃ――。

 これだ。

 思いつく限りに単語を並べ、『飛翔』に相応しいキャッチフレーズを捻り出した。




 授業の予鈴を待つ時間。

 生徒たちは配布された答案用紙を裏返して、緊張の面持ちで開始を待つ。


 暦は七月上旬を迎え、テスト期間に入っていた。

 神光祭の中でも山鉾巡行のある月半ばは、祭りに参加する生徒の父兄や協賛者も多く、市内はバスを中心に運休となり、交通規制もある。

 そのため一学期の期末テストは早めに実施され、以降は補講期間――すなわち赤点さえ取らなければ、大半の生徒は実質休みとなっていた。

 とは言え、冬の受験は待ってはくれない。

 麻仁たち三年生は、この間も塾に通ったり勉強に明け暮れる生徒もいる。

 だが、彼女たちを除いては――。


「いや~、オカ研的超常現象を追ってて勉強してないから、たぶんテストはぜんぜんダメだったね」

 休み時間、あっけらかんと笑い出す小池に、斉藤も大いに賛同した。

 麻仁も苦笑しながら話を聞いていたが、オカ研メンバーとは違い、いくら勉強をしても苦手な英語が散々だったのには、彼女自身も笑うしかなかった。

「ところでさ、顧問のステーシー先生から、こんど生徒会長んちに取材を頼むって聞いたよ。マニの話と併せて聞くと、きっと文化祭のレポートが良くなるからってさ」

 つい先日の市内観光から一気に沙羅との仲を進めていたステーシーに、麻仁も驚いた。悩むより行動に移すのは生徒も顧問も同様だった。

「でもさ、マニんちもお祭りだったのに、毎年この時期にテストじゃ可哀想だわね」

 何日かに及ぶテストの間、麻仁の家では七夕の日に水神に感謝を捧げる水祭りを行う。自分は宮司の娘ではあるが麻仁は学業優先のため、藤谷が巫女として祭祀に参加していた。

「しょうがないよ、あたしは学生だし。勉強やテストもお勤めだと思えば」

「でもさ、今年ってすごい水不足じゃない。水の神様に雨乞いでもしたら?」

「確かに雨が少ないよね。雨乞いしたくなる意味もわかるよ」

 北部丹波の山岳地帯のダムは渇水し、早くも取水制限が実施されていた。

 飲料水は琵琶湖から供給されており目立った混乱はまだ無いが、山深い麻仁の自宅周辺も多分に漏れず、川の水量はわずかに減少しているのも事実だった。

「やっぱ、マニに龍のイケニエになってもらうしかないんじゃない?」

 冗談を言いながら、小池は怪しく笑うと麻仁の髪を三つ編みにしていく。

「せめて、龍神様に雨を降らせてもらう<水の巫女>様って言ってよ」

 ホラーが苦手でオカルトに縁遠い神社の娘から、そんな言葉が出た事に斉藤は驚いた様子で麻仁の肩を叩く。

「マニも龍神伝説を調べてくれてるの?」

「まぁ、調べてるっていうか、ふたりのおかげで知ったっていうか……」

 彼女たちの顧問でもあるステーシーと共につい先日、市内を回って龍の伝承を追ったことは黙ってはぐらかす。

「マニんちの<水の巫女>も、やっぱり龍のイケニエかもしれないよ?」

 小池は手で留めていた三つ編みをぱっと離すと、麻仁の髪は一気に広がり、まっすぐに垂れ下がる。

「別にうちの水祭りは、単に水に感謝するお祭りだからぜんぜん違うよ」

「お祭りって言えばその点、生徒会長んちはいいよね。テストが終わってから宵宮と山鉾巡行でしょ? やっぱ市街地の大きな神社のお祭りだと、スケジュールも学校に配慮してもらえるもんね」

 そういう理由ではないとは思うが、神社の格の話題になると、麻仁は乾いた愛想笑いをするばかりだった。



 期末テスト最終日。

 緊張の日々から解放されたためか、生徒会のメンバーはいくらか肩の荷がおりた柔和な顔に戻っていた。

 しばしの和やかな雑談をしながら、生徒会長の沙羅の到着を待っている。

 もちろん今日の議題は文化祭の副題、キャッチコピーとなる添え文句の選定だ。


 ところが、扉を横に滑らせて入ってきたのは、生徒会の担当教員だった。

「遅くなって悪いな。今日の定例会議だが、八坂くんは欠席だ。すぐにお宅に戻って祭りの手伝いをするそうでな。資料を再配布してくれ、とのことで預かっているものを渡す」

 沙羅の自宅である神社が主催する神光祭も、これからが佳境である。麻仁は七夕の水祭りはテストのため学校に来たが、他の例祭では生徒会を欠席することもあり、生徒会メンバーも彼女たちの家業を理解した上で、相互のフォローをしてくれていた。

 だが、沙羅が来ないと知った途端に畑中は気を緩めて、教員の前だというのに大きく両腕と背中を伸ばす。

「会長がいないんじゃ、こりゃ今日の会議は中止だな。みんなそれぞれ自分の持ち場で仕事してくれよ。それにちょうどよかった、まだあたしキャッチコピー考えてきて無かったんだよ」

 生徒会の後輩や文化祭の実行委員のメンバーは一斉に笑うと、畑中の指示に従って作業に取り掛かり始めた。


「それじゃ、後は頼んだぞ。鍵は最後に教員室に返却するように」

 教員は退室まぎわに、なにかを思い出したように振り返る。

「あ、そうだ。畑中くん、あとでちょっと頼めるか」

「……なんすか?」

「八坂くんに登校日や各委員の活動スケジュールを渡したいんだ。教務課で承認した文化祭の決裁資料もな。たしか八坂くんのご近所だろ? これを届けてくれないか」

 畑中は一瞬だけ教員に背を向けて、うげっと声に出さんばかりの面倒くさそうな顔をした。だが、すぐさま向き直ると、すまし顔で静かに述べる。

「ご自宅が神社同士なので、勝手のわかる貴船さんがよろしいかと思います」

 それを聞くなり、麻仁が目を丸くして畑中の顔を見ると、片目をつぶり両手を胸の前で会わせて謝罪のポーズを取っていたので、負けじと座った目でじっと見返す。

「そうだな……じゃあ貴船くん。悪いが頼まれてくれないか?」

 畑中の雑談を交えながらの進行管理でなんとなく穏やかかつ緩慢な一日が終わる。 

 それから麻仁は教員のもとへ向かうと、遣いのものを受け取った。



「それで結局、こんな近くまで来るんだから! だったら頼まれてもよかったんじゃないの?」

「まぁまぁ、そう言いなさんな。悪かったって!」

 隣をゆく麻仁の肩をばんばん叩きながら、連れだって歩く畑中。

 彼女の自宅であり家業でもある、料亭と宿泊所を兼ねたお座敷は、沙羅の神社の南山門から歩いてすぐの花街かがいにある。

「別にいいじゃない。あたしみたいに、なにかとお社のことで比べられることもないし、ふたりとも気の強い人同士だから波長も合うでしょ?」

「麻仁こそ、神社の娘で巫女同士なんだから対等だろ。あたしら門前で商売やらせてもらってる立場としては、会長と波風立てる方が面倒なんだよ。ともかく気をつけてな! また蛇に睨まれた蛙みたいに縮こまってないで、会長にはどーんと構えてろよ!」

 畑中は気楽に手を振って、沙羅の家の境内の入り口まで送り出した。

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