古都と異国のブリコラージュ 第4話
ステーシーは奥宮に鎮座する船形石のすぐ近くまでやってきた。
悠久の時間をこのままの姿で過ごしたであろう、苔蒸した石を愛おしく見つめる。
「やっぱりここは良い所ね。日本はみんな穏やかで心優しい人だってのが分かるわ。こうして自然の物にも神を感じて敬い崇めているからよ。それにしても、ワタシが学生の時に民俗学で教わった内容と、ある国の伝説に同じようなものがあって、とても驚いたわ」
間近の船形石を見つめながらも、遠い目をして語るステーシーに、話の続きを促す麻仁。
「それはどんな内容なんですか?」
「聖母<グランマザー>とともに降臨した天使は、<
「大地母神みたいなものですか? その<グラウンドマザー>って」
ステーシーは教職の顔に戻り、悩ましげに麻仁に相槌を打つ。
「マニはもうちょっとヒアリングの練習も必要ね。『偉大なる母』ってことよ。でもそうかもしれないわね。サラのおうちで似たような絵詞が描かれた額を見たわよね? 荒ぶるドラゴンは、見る側面を変えれば正義の味方にも悪の権化にもなるのよ」
「それこそ、会長のお宅のご祭神もそうですよね。
麻仁はステーシーの話に納得した様子でうなずきながら、鎮座している船形石に視線を移す。
「聖遺物を守護するのは、<グランマザー>の能力を受け継いだシャーマンたちらしいわ。そして彼女たちシャーマンは遠く東の果てにある国に到達し、かの地に永く鎮めてドラゴンに守護させた、そして今もその末裔が守護しているとされているの」
「その国が日本だと伝わってるんですか?」
「それは何とも言えないわ。でも限りなく日本が濃厚だという話よ。さっきもカフェで話したとおり、この国には知られていない秘密がたくさんあるからね」
柔らかい陽に照らされた笑顔を向けながら、船形石に手を添えるステーシー。
麻仁も彼女の話に真剣に耳を傾ける。
「でも鳥や水の巫女と、<グランマザー>の血を引くシャーマンたちが出てきたり、封印された<神の舟>と<方舟>、それを守護するドラゴン、どちらの神話も本当によく似てるわよね」
「聖遺物って前に映画で見た、アーサー王の聖杯伝説みたいな感じなんですかね? やっぱりダビデの星と関係あるとか?」
「聖杯もダビデとは関係ないけどね。そうかもしれないわね」
やはり世界史は得意ではなさそうな麻仁の問いに、ステーシーも困惑したようにうなずく。娯楽映画なら、時代考証や背景が抜け落ちていても視聴者が楽しめるものならば、麻仁の知識が一般的なレベルなのだろうと思うと、嘆息しながら髪を掻き上げた。
一方の麻仁は異国の伝承や信仰に興味を持ち、ステーシーに質問を続けた。
「その封印されているっていう、聖遺物っていったい何ですか?」
「モノなのかチカラなのか詳しく分からないわ。もしかしたら失われた時を取り戻す時間遡行の技だとか、不老不死や巨万の富を得るとか、大空だけでなく宇宙も制覇するような、あらゆる権力を手に入れる象徴とも言われているのよ。それこそ世界がひっくり返るくらいのね」
「そんなものが本当にこの世に?」
「だからもし悪い奴がそれを手に入れたら、どうなるかしら」
信憑性のない伝説のひとつであろうが、その手の話が得意ではない麻仁には刺激的だったようで、両の握り拳を胸の前に添えて不安げに聞き続ける。
よもや、そんな危険なものが自宅でもあるこの神社に無い事を願うだけだった。
「でもマニや、あなたのファミリーが守ってくれているから、だいじょうぶよね」
冗談めかして笑うステーシーだったが、まさに折に触れて頭に届く妙な声を聞いた麻仁は、それこそが<グランマザー>からの託宣だったのでは、とぎこちない笑みを返すしかなかった。
その時、後方から麻仁には何やら聞きなれた声が近づいてきた。
グローブを持ってキャッチボールをしに来た双子の弟に出くわす。
「あれっ、ねえちゃんだ」
「やべっ!」
「……あんたたち! いつも奥宮の境内で遊んじゃダメだって言ってるでしょ!」
姉にまずい物を見られて、慌てて背中にグローブを隠す双子。
逆に弟たちに見られてまずい事もないのだが、繕った髪型を見られるのが照れくさいのか、慌ててステーシーが作ってくれたお団子をほどいて髪を下ろし、厳しい姉の顔に戻る麻仁。
「そっちの外国のお客さんは誰?」
左源太からの質問に対し、麻仁に紹介される前に頭を軽く下げてにっこりと微笑むステーシー。
大きく湾曲した胸元のシャツのストライプ柄を見て、姉にはない妖艶な大人の魅力に思わず息を吞む双子だった。
「すいません……あたしの双子の弟なんです」
「あ、そうだ。ねえちゃん、さっき母ちゃんがスイカを買ってきて冷やしてくれたから、食べよ。お客さんも一緒に食べていきなよ」
途端に大人の女性に対していい顔をする右源太。
まだ素性の知れない相手に少しだけ警戒している左源太。
キャッチボールはどうしたのか、双子はそのまま二人を本宮まで案内していった。
麻仁の父は息子たちと共に歩く外出中の娘の姿を発見して、友人の観光案内はもう終えて帰宅したと思ったが、横に立つ外国人参拝客の姿が気になり近寄ってきた。
「お父さん、あのぉ、この方が一緒に観光していたっていう、学校の英会話のステーシー先生……」
「ハジメまして。貴船さんのパパ、急にお邪魔してすいませんデス」
学校での片言の英会話講師のふりをして挨拶をするステーシー。
なるほど、これが生徒たちの前で演じている姿か。そう思うと少し可笑しくなってしまう麻仁だった。
自分のことを笑っているのがすぐにわかり、芝居をしている教員は、隣の生徒を横目にちらと見る。
今度の授業で当ててやるんだから――瞳にはそんな復讐の色も含む。
父も会釈で返すが、わざわざ休日に学校の先生と一緒に市内観光というのは言い訳で、もしや娘が落第間近の成績なので補講をしたのでは、と要らぬ心配をしてしまうのだった。
「父ちゃん、スイカあったでしょ? 母ちゃんに頼んで切ってもらおうよ!」
「なんだい、もう食べるのか。まだよく冷えてないかもしれないよ?」
参拝客の立ち入らない境内の奥にも、山から染み出した湧水を留め置く石組みの水場があり、そこにぷかりと浮いた西瓜をすくい上げると、母に包丁を入れて貰った。
「さあ、どうぞ。一番大きいやつ食べてよ!」
切り分けられてお盆に並んだ西瓜を指して、ステーシーに促す右源太。
何を張り切っているのか、と弟を無視するように麻仁は一番手前の西瓜の切れ端を取る。
「なんだよ、ねえちゃん。お客さんが先だろ」
「こんなにあるんだから無くなりゃしないわよ。先生も遠慮してたから、子供のあんたたちが先に取ればいいのよ」
「ねえちゃんはいつも一番先に一番大きいの選んで取ってくじゃないか!」
「だから手前から取ったでしょ! いま言うこと?」
日常を暴露された恥ずかしさから、耳から頬まで真っ赤にして食って掛かる麻仁と右源太のやり取りに誘われて笑ってしまうステーシーだった。学校ではいつも控えめだが、弟の前で自然に振る舞う麻仁の様子に、周囲の年頃の生徒と同じ素顔が見られた気がした。
左源太は姉の学校の先生だという外国人女性を横から見つめていた。
ステーシーがその視線に気づき、再びにっこりと微笑むと、左源太は緊張の面持ちで視線を落とした。双子でも性格はだいぶ違うようだった。
そのまましばし西瓜を食べる一同。夏休みを先取りしたような平穏な時間だった。
「アラ、ここにタネが……」
ステーシーは元気よく食べ進めていた右源太の頬に付いていた西瓜の種をそっと取る。大人の女性の柔らかい指が触れると、西瓜の実と同じくらいに顔を紅潮させた。
まったく鼻の下を伸ばして何をしているんだか、と麻仁は弟の相手もせず西瓜を食べ続けた。
天高く頭上から降る陽光によって樹々の合間に落ちてできた影も、時間と共に傾き、次第に長く伸びるようになっていった。
「すっかり長居しちゃったわね。マニ、そろそろワタシは帰らないとね」
「なんかいろいろすいませんでした」
立ち上がる二人を見上げて、大人の女性との別れが迫っている事にがっかりする右源太。
「なんだ~。お客さん帰っちゃうのか」
「きっと、また会えますヨ」
ステーシーの手がそっと右源太の頬を包む。
いつかまたこの大人の女性と会える日を願って、瞳を輝かせながら大きくうなずいた。
「じゃあね、マニ。テストも頑張ってよ」
「はい、ステーシー先生もありがとうございました」
「これからはお友達なんだからステーシーでいいってば」
苦笑しながらステーシーは自身が着けていた赤い石が付いた首飾りをはずす。
「マニ。これをプレゼントするわ。ワタシの遠い母国のおまじないで、あなたが未来を拓いて幸せが届きますようにって、大切な女の子のお友達に贈る習慣があるのよ」
「ダメですよ。せんせ……ステーシーさんの大事な物なのに、貰えないです」
両手を振って固辞する麻仁だったが、ステーシーは強引に彼女の首に輪を通す。
「この石はそうやってどんどん人の手に渡るのが普通なのよ。いくら巫女だからって、学校や神社のお仕事がない時くらいはアクセサリーや髪型くらいオシャレしなさいよ」
麻仁はステーシーが掛けた首飾りの石をそっと右手で抱え、その輝きを見た。
西日に当たるその石は陽光を反射して真紅の輝きを放つ。
「ありがとうございます、ステーシーさん」
「それじゃあね、マニ」
次第に離れていく二人を遠巻きに見ながらも、双子は西瓜を食べ続けていた。
「いいな~、英語の先生って。おれも早く高校生になりたいな」
遠い目をして熱っぽく語る右源太。姉は女子校だから彼は決してステーシーには会えないが、その考えにすら至らなかった。
「……そうかな?」
浮かれる兄に向けてではないかのように、左源太がぽつりとつぶやく。
「おれ、なんか嫌だな……よくわかんないけど」
言いようのない不安を感じている様子の弟は、小学生からさらに大人になり勉強漬けになる未来への鬱々とした感情だと右源太は考えていた。またいつもの心配性だろうと。
下り坂の急峻な奥宮からの山道を、ステーシーは軽快に歩く。
麻仁の神社の最寄り駅まで渓流沿いに歩きながら、視線を水面に落とした。
そして自身の首にぶら下がっていたアクセサリーがあったあたりを手で撫でる。
「まさかこんなに早く願いが叶うとは、オカルトも捨てたもんじゃないって言うべきかしらね……素敵な出会いだったわ、マニ。まずはひとり。そして……」
絶え間なく流れ続け、反射する景色を歪ませながら下流へと向かうその水音を聞きつつ、ステーシーは帰宅の途についた。
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