古都と異国のブリコラージュ 第3話

 生徒会長・沙羅の自宅でもある神社の朱色の山門を抜けたところで、ステーシーは麻仁に声を掛けた。

「まだ暑さで体調を崩したばっかりだから無理しないように、ここで一旦お昼にしましょうね。今日はワタシがご馳走するから」



 麻仁とステーシーは門前町の中程にある小洒落たカフェに入り、パスタを注文した。

 週末の昼間とだけあって、店内のテーブルはすぐに満席になっていく。


 他の客達の賑やかな談笑が響き渡るなか、麻仁が頼んだアイスティーは氷の割れる音が鳴り、透明なガムシロップと紅茶がグラスの底で不規則なコントラストを描き、周りに付いた水滴が一筋の水となって伝わり落ちる。

 自宅の奥宮では幻覚を見たり、頭痛とともに脳内に聞こえる声に襲われたことで、いったい自分にばかり何が起きているんだろうと、麻仁は不安に駆られていた。

 パスタを巻き取るフォークがくるくると回る単調な動きは、答えの出ない堂々巡りの思案に似ているようで、次第に麻仁の口数が減っていく。


 その様子をみて向かいに座るステーシーは穏やかな笑みを浮かべている。年頃の生徒の悩みを察知できるだけの能力はある。なにせ彼女は教員だから。

「なにか気になることでもあるのかしら?」

 ワタシは大人だからいいじゃない、と注文したグラスビールを昼から傾けながら、対面する若い友人の顔を見つめる。

 当の麻仁は頭に妙な声が響くだのと言っても信じて貰えないかもしれないし、おかしな奴だと思われたくないので、その話は黙っていた。


 二人のあいだにしばし沈黙の時間が流れたが、麻仁はかろうじて絞り出した体裁の良い会話に逃げた。

「ステーシーせんせ……さんは日本に来る前から神社のこと知ってたんですか?」

「インターネットで少し見聞きした程度よ。でもワタシは日本にずっと行きたいと思ってたわ。だから学生時代に留学しに来たのよ。日本の大学で民俗学の先生についたの。神社はその時の日本文化研究の論文のテーマで、調べていくうちにどんどん魅了されたわ。それで帰国した後もずっと、またこの国で働くのも悪くないなって思ってたの」

「そういえば、日本に来る前はどちらからいらしたんですか?」

 そう聞かれると、ほんのわずかだがステーシーの表情が曇った。

「住んでたのはイギリスよ。でも帰る母国はないわ」

 悪い事を尋ねてしまったという気まずさで、麻仁は彼女の顔から視線を落とした。

 これ以上は詳しく聞くなんて到底できないが、きっとニュースでよく見る、いわゆる難民か亡命した人なんだろうと思い巡らせる。

「変なこと聞いてすいませんでした」

 麻仁は素直に大きく頭を下げた。

「だいじょうぶよ、気にしないで」

 ステーシーは麻仁の左肩にそっと手を置いた。

 そして、流した前髪がパスタの皿につかないよう麻仁の耳に掛け直す。その仕草で微かに指が耳に触れると、麻仁はまたどきっとした。


 上半身を戻してビールを一口飲んだステーシーは窓の外を見る。

 街の東を流れる、鴨川の水面がきらきらと太陽光を反射し、スパンコールのようにカフェの窓を細かく照らした。

 ステーシーがビールの注がれたグラスを細かく揺らすと、琥珀色の液体から小さな泡がいくつも浮き上がってくる。

 ステーシーは外の景色を眺めたまま、語り出した。

「マニ、知ってる? 神光祭の山鉾巡行がもうじきあるでしょ。あれの中にベルギーから来たタペストリーが掲げてあるのよ。しかもそこに描かれているのは聖書の一節なの。当時は鎖国してたし、キリスト教は禁止されていたのに不思議じゃない? あれが外国製で海外の神話だなんて昭和の時代まで気づかれなかった、だから掲げてても問題なかったっていう理由らしいんだけど、それってホントかしらね?」

 神光祭の話題かと聞けば、彼女は一体なんの話を始めたのだろうかと思ったが、先程失礼を働いてしまったと感じていた麻仁は静かに聞く。

「あと、御所の西には三本足の鳥居がある神社があるでしょ。渡来系の人たちが手厚く祀ったらしいんだけど、この鳥居がダビデの星の形ではないかと言われているわ。いわば日本に来た渡来系の人が日本の神社のカタチを借りて、他の宗教の祈りが捧げられていた可能性があるのよ」

 これまでとは打って変わり、単に寺社仏閣に魅入られた外国人というだけではなさそうな、オカ研の顧問らしい奇妙な知識と情報を披露してくる。

 それは神社の娘といえど、まだ高校生である麻仁にはよく知らない話ばかりであった。それゆえ、きっと先生が学生の頃に日本で研究していたという民俗学の話なんだろうと素直に感じた。


 窓の外から麻仁の方を向き直ったステーシーは、柔和な口調で話を続ける。

「仮に噂や推測の域を出ないとしても世の中わからないことがあった方が面白いじゃない。だからマニも心配しなくてもいいんじゃない? そのうち見えてくるものがあるわよ」

 そう言われたのは初めてではない気がした。父だ。あの奥宮で奇妙な体験をしたあとにも父は同じようなことを言っていた。

 いつか自分の中で見えてくる答えがあると。

 大人はいつもそんな風に言う。

 でもそれが例えば、奥宮が光ってたとか、不思議な声が頭の中に響いたなんて出来事であったとしてもだろうか――?



 店を出た後はどこに回ろうかという流れになったところでステーシーから提案があった。

「そういえば、さっき言った三本足の鳥居の神社は、まだ寄ってなかったわね。オカ研のレポートにもあるわけだし、せっかくサラからドラゴンの話も聞けたから見に行きましょ」

「つぎは蚕のお社ですか? わかりました」


 麻仁の案内で電車を乗り継ぐと、その神社が見えてきた。

 境内を歩いていくと、三本足の鳥居が鎮守の森の中に佇む。

「ねぇ、マニ。オカ研のレポートにもあったけど、あの御幣がドラゴンの額に刺さってるってホントなの?」

「ステーシーさんはビラビラのこと、ちゃんと御幣ってご存知なんですね」

「斉藤ちゃんと小池っちはオカルト全般だからね。ワタシの方が神社には詳しいかもね」

 ステーシーは飛び石に移り、鳥居のある池を囲う柵の間から観察していた。

「実際のところ、ここの神社はドラゴンとは関係ないと思うわ」

「やっぱりステーシーさんもそう思いますか? でもここのお社も水が消えたのは事実みたいで……」

「むしろ、ワタシはダビデの星説を推すわ……うーん、よく見えないわね」

 額に手を当てて分かりやすい覗き見の仕草をしながら、ステーシーは身体を左右に揺らすも、柵越しでは鳥居の全景をよく拝めないため、少し残念がる。

「本当に、あの鳥居はダビデの星なんですか?」

「それはワタシにも分からないわ。あくまで噂よ。でもさっき乗ってた電車のマークも六方向を指しているし、ずいぶんダビデの星っぽいと思わない?」

 市のシンボルであるアレがそう見えるだろうか――見慣れているせいか、麻仁にはぴんと来なかった。

 そもそもダビデの星の形がいまいち分からないせいでもあったが。

「ダビデの星の六芒星は日本では馴染みのある籠目でもあるのよ。伊勢神宮の石灯籠にも籠目紋が刻まれているのは知ってる?」

「そうなんですか? お伊勢様にも?」

 籠目と言われて、ようやく麻仁もぼんやりとその形状をイメージできた。

「だから、渡来系の人と日本人の信仰って、すごく近い物なのかもしれないわね?」

「これが本当にダビデの星だったら、やっぱりこの街は、大昔からキリスト教徒の人が住んでいた街なんですかね?」

「あら、マニは世界史も勉強しないとね。ダビデの星とキリスト教がどう関係あると思う?」

 木漏れ日の中で飛び石に立つステーシーは麻仁に向き直り語ったが、その顔は生徒の力量を試す教員の姿そのままだ。だが質問を質問で返された麻仁には、禅問答をしている体力は残っていなかった。それに彼女が得意な科目は日本史と古典くらいだから。

「ステーシーさん、そろそろ次に行きましょうよ」

 麻仁は移動を促し、ともに境内の森を抜ける。



 のんびりしているうちに午後の時間も残りわずかとなった。

 そこでステーシーから最後に寄りたいところとして、また提案があった。

「どうせなら、マニのおうちも見に行きたいわ」

「えっ! あたしのうちですか?」

 家とはもちろん神社のことだ。

 自宅の神社は山合いで移動に時間もかかるし、市街地にある荘厳な神社とは趣きが異なるので、恥ずかしい気がしてやまない。

 それに、もし境内でばったり家族にでも遭遇したらどうしようかという別の気恥ずかしさもあり躊躇したが、ステーシーにどうしても、と懇願されたのでせっかくだから麻仁も案内をすることにした。


 いつもの通学で使う電車とバスを乗り継ぐと、周囲はすっかり樹木の葉が蒼々と生い茂る風景へと一変した。

 豊かな自然に囲まれ、心なしか体感の気温も下がっている。

「ここがうちのお社です」

「これがマニのおうちなのね……凄いわ。ぜんぜん街の中の神社と違うじゃないの」

 周囲を見渡しながら、ステーシーは感嘆の声を上げる。

 辺り一面の緑の中に、朱色を纏い悠然と立つ鳥居の先に連なる石畳の階段を上がると、小高い山の中腹に開けた土地があり本宮が鎮座する。山の苔蒸した樹の幹に相対するかのような、白木の若々しい美麗な拝殿の近くでは、手水場のほかにも数カ所、切り立った岩肌から澄んだ水が湧き続けていた。

 湧水は年間を通して一定の温度を保っている。

 ステーシーが水に手を当てると、長く触れていられないほどに指先がひんやりしてきた。

「さすがにずいぶん冷たいわね」

「とても寒い冬の日だと、逆に温かく感じるくらいですよ」

 近所の人や参拝客は、境内から湧く水を汲んで持ち帰る。

 先程のカフェの窓から見た鴨川が湛えた水は、上流に位置する付近の山々から染み出す伏流水が集まり、美しい清流となって盆地へと下っていった姿だ。

 麻仁の家の神社が水の神を祀る所以である。

「いいわよ、マニ。こういうのが日本の神社らしくて素敵よね。妖精と人間が共存しているのが分かるわ」

 海外には万物に八百万の神が宿るといった日本の神道のような概念は無い。自然霊を日本語へ変換したものを彼女は妖精と表現したのであろう。精霊のほうがしっくりくる気もするが、褒めてくれているであろう彼女の発言を麻仁は素直に受け止めた。



 本宮のあとは奥宮へと案内するため渓流沿いの山道を登っていく。近所の料亭では、緩やかな傾斜の清水に川座敷を並べており、涼感を求めて客が食事をしている。

「あら、マニちゃん! 今日はおめかしして観光ボランティアかい?」

 飲食店や土産物屋の人々が、髪を纏めた麻仁とその隣の外国人の存在に気付き声を掛けた。

 共に歩く娘が地元の皆からも愛されている様子がよく分かる光景に、ステーシーも笑顔になる。

 市街地の神社とは異なり、雄大な自然に囲まれた、神が守護する清らかな湧水のたえなる流れに見守られ、人々も心穏やかに過ごしているようだ。


「ここから先が奥宮です」

 麻仁とステーシーは奥宮の山門に到着した。

 山肌から漂う深い森の濃密な緑の香りが鼻腔をくすぐる。

 週末の休みだからか、境内にはいつもより人影もある。

「ここはもっと凄いわ。より昔の宗教に近いわね」

「奥宮はこの神社が一番最初にあった場所なんです。ここも、龍神様をお祀りしているお社ですよ。奥宮の下には龍神様が棲む龍穴があると伝わっています」

「マニのおうちもオカ研のレポートに足した方がいいんじゃないかしら? 文化祭で発表したら、お参りに来る人も増えるんじゃないの?」

「はぁ……そうですかね」

 参拝客はもっと増えて欲しいので宣伝できる機会があれば乗りたいのだが、あまりオカルト方面で評判になって好事家こうずかが集まるのも、当社の娘としては微妙な心持ちであった。


 二人は山門からゆっくりと中に進んでいく。

 玉砂利を踏みしめながら、ステーシーは開けた境内を一望した。

「ねぇ、マニ。あれはなに?」

 拝殿の隣にある、苔の蒼に覆われた奇妙な台形の石組みを見つめるステーシー。

「船形石っていう<神の舟>です。水の女神様が大昔、この舟に乗って<水の巫女>様のご案内で、天界の神々の国からこの地に降臨されたと言われてるんです」

「<神の舟>、それに<水の巫女>……さっき、サラのおうちで聞いた話とずいぶん似てるわね」

 ステーシーは船形石に歩みを進めた。

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