古都と異国のブリコラージュ 第2話

 麻仁は電車移動の中で、ステーシーに問い掛けた。

「そう言えば、先生はなんでオカ研の顧問になったんです?」

「マニ、さっきも言ったでしょ? 先生じゃなくてステーシーって呼んでいいわよ」

 別に彼女が呆れたり怒っている訳ではないのだが、そう言われると逆に失礼を働いてしまったようで恐縮してしまい、わずかに肩をすぼめる。


「えっと、その、ステーシー……さんも、やっぱりオカルト好きなんですか?」

 ステーシーは如何にも外国人らしい振る舞いで、眉を上げて肩をすくめる。

「オカ研の顧問になった理由……それも一理あるわね。斉藤ちゃんと小池っちの情報収集力は大したものだわ。やっぱり若さと情熱よね」

 よくある苗字の生徒の、よくあるあだ名ではあるが、クラスメイトや麻仁自身が呼んでいる友人の愛称まで把握していた事に、わずかに驚く麻仁であった。

「それは、部活であの子たちが調査した内容を個人的に楽しむためですか?」

「教員をバカにしてるわね。そんな私利私欲は……そりゃ多少はあるけどね」

 ステーシーは波打ったショートヘアを手で掻き上げる。

「真に面白いものは、オカルトや都市伝説そのものじゃないわ。それに向き合う人間の本質って言うべきかしら? 噂話が伝播していく過程でその形を変えて口伝えに、もしくはウェブやネットで拡散していくのは、知的好奇心を掻き立てられるわ」

――さすがはオカ研の顧問。

 麻仁も苦笑交じりにうなずくしかなかった。



 そうして、あちこち市内の神社を回っているうちに、二人はひときわ大きな朱色の楼門の前にやってきた。

 麻仁には見慣れた、沙羅の家の神社だ。


「せんせ……ステーシーさん。ここがうちの生徒会長のお宅ですよ」

「ワォ。凄いわね。観光客の数も桁違いね。じゃあ入りましょ」

「えっ! やっぱり入るんですかっ!」

「ここまで来たんだから、入るに決まってるでしょ。当たり前じゃないのよ」

 がっくりと落胆する麻仁の手を引いて、ステーシーは境内の中へと進む。


 週末なので参拝に来た人の波でごった返しており、天候も手伝って境内は居るだけで汗ばむくらいの熱気が充満している。

 それもそのはずで、ちょうど祈祷が終わったようだ。

 これが七月の大祭、神光祭の神事であれば見物客の数はもっと倍増していただろう。


 祈祷を終えた拝殿の中に沙羅の姿を見止めた。普段の制服とは違う巫女のいで立ちなのは前回のオカ研の調査でも目撃したが、いざ祭祀用の正装に身を包んだ彼女は、何名か居る巫女に混ざっていてもわかる別格の気品だった。

 麻仁も思わず見惚れてしまうほどだ。

「あの先頭を歩いている巫女さんが生徒会長ですよ」

 小声でステーシーの耳元に囁き、その姿を指差す。

「オゥ! なんてことなの。素晴らしいわ」

 拝殿の手前からでは距離があるため、よく窺い知ることはできないが、高潔な威風を纏う沙羅の勤めを同じ巫女として、生徒会のよしみとして、麻仁はなんとなしに誇りに感じた。


「そういえば、ここにはドラゴン伝説があるのよね。地下にドラゴンの棲む穴があるとか」

 西洋の怪物ドラゴンとは異なり本来は雷や雨を司る龍神なのだが、ステーシーが日本通とはいえ相手も外国人なので、麻仁も敢えてそれを否定せず会話を続けた。

「こちらのお社は、御所を中心に東西南北に配した四神の方角に合わせて、東に鎮座しているらしいんですよ」

「それにしても、この神社はドラゴンのモチーフは一個もないわね。きっとみんなに知られてはいけない秘密なのかもしれないわね」

 ステーシーは拝殿や境内を見ながら、興味深そうにうなずいた。

 確かに沙羅の神社は旧都の四神の青龍を司ったり、境内には龍穴が伝わるものの、龍を前面に押し出して売っている様子はなかった。

 神光祭を主催し、門前町には古都の趣があり、市内の好立地の古刹はセールスポイントも多いから、龍伝説はあくまで付加価値――自分の神社とは異なる余裕を感じた麻仁はなんとなしに卑屈になってしまうのだった。



 などと考えに夢中になっていた時だ。

「貴船さんに、今度はステーシー先生まで……なにをされているんですの?」

 頭飾りを付けた巫女装束のまま祭祀を終えた直後の沙羅は、麻仁たちの姿を発見するなり近寄ってきていたのだった。

 彼女の声で意識を戻した麻仁は、慌てて言い訳を取り繕う。

「あっ、会長。その、あの……先生に日本のいいところを教えるための勉強というか……」

「まぁ! なんて可愛らしいのかしら! さすがジャパニーズ・ミコね!」

 緊張で固まる麻仁にはお構いなしにステーシーは沙羅をハグした。

 このあたりの強心臓は年上でもあり、教員と生徒という立場差のせいでもある。

「ミス・ヤサカ。担当クラスが違うから初めましてよね。ワタシのことを知ってるかしら? 英会話講師のステーシーよ」

「えぇ。オカ研の顧問でもあるステーシー先生、存じ上げてますわ……割と日本語がお上手でしたのね」

「それは今日がオフだからよ。くれぐれも学校では秘密にしてちょうだいね」

 呆れたようにステーシーと会話をしていた沙羅だったが、一瞬だけ麻仁に視線を向けたかと思ったらまた反らす。龍蛇に睨まれた蛙よろしく、麻仁は脂汗を流しながら固まっていた。

「貴船さん。オカ研の部員だけじゃなくて、その顧問のお手伝いまでされて、さぞテスト勉強や生徒会のお仕事は順調なのでしょうね」

「そうですね、なんというか……ホント偶然が重なっただけなんです!」

 

 そんな生徒同士の会話には気にも留めず、今度は自身のスマートフォンを取り出したステーシー。勝手に沙羅の写真を何枚か撮影しながらも、一方的に話し続ける。

「ワタシ、この街のことがもっと知りたいのよ。八坂さん……いいえ、サラ。ワタシとお友達になってちょうだい!」

「わたくしとですの? 先生と生徒がそんな距離感でよろしくて?」

「むしろオカ研の顧問も、ワタシの知識欲を満たすためのものよ。日本の深い神話や神道の教えをもっと知りたいのよ。サラの連絡先を貰えるかしら?」

「まずはともかく、社務所に戻りたいですわ。まだこの格好ですので……」

 沙羅は正装の装束を平服に着替えるべく、渋々戻ろうとした時だった。


 麻仁の頭の中に、誰かの声が聞こえる。

『人間の巫女……聞こえ……』

 あの晩と一緒だった。

 またあの女性の声がする。

『いけません……そなたと、やさ…………きょうの術が……』

 だが今回は意識が遠のくわけではない。

 麻仁の頭の中に声が響くたびに鈍い痛みが繰り返し走る。


 またしても視界が霞み脂汗が出てきた麻仁はうつむいて頭に手を添える。

「……貴船さん? どうされましたの?」

「やだ、だいじょうぶ、マニ? 熱中症かしら。少し疲れた?」

 慌てるステーシーたちに対し、心配をかけまいと振る舞いたいが喋ることもできずにいた。

 麻仁は頭の中で響く声に対し必死に問い掛けてみる。

『あなたは誰なんですか? なぜあたしのことを知ってるの?』

 だが声の主はもう何も答えない。

「とにかくどこかで休みましょ。歩くわよ、マニ」

「先生どうぞ、すぐに貴船さんを奥に」

 声が止むと次第に痛みも治まっていく麻仁だったが、背中に手を添えたステーシーに連れられ、社務所の中へ誘導されていく。

 こめかみを片手で押さえ、預けた腕に支えられながら麻仁はゆっくりと進んだ。

 脇で心配そうに介抱するステーシーは、自身が胸元に着けているアクセサリーが微かな熱とともに、淡い光を放っているのに気づき、横で苦しむ麻仁の顔を見つめた。

 沙羅も胸元に手を添えて、折り曲げた指の先に力を込めた。



 麻仁はエアコンの効いた社務所の和室に通された。

 柱に背中を預けると、ハンカチで額の汗を押さえている。

 そこに沙羅は冷たい水が入ったコップを持ってきた。

「ありがとうございます、会長」

「今日も暑いですから、熱中症だと思いますわ。ほんの少しだけお塩を入れましたわよ。一気に飲まない方がよろしいですわ」

 麻仁は受け取ったコップからゆっくりと水を飲んでいく。

「ごめんなさいね、マニ。なんか無理させちゃったかしら」

 一方的に連れ回してひとりで興奮していたようで、ステーシーは反省した。今日だけは友達とはいえ自分は教員だ。立場が違うために委縮させていたのならもっと気を遣うべきであったのだろうと、思い改めていた。

 いくらか落ち着いた麻仁は汗をぬぐったハンカチを小さなバッグにしまう。

「もう平気です。会長も先生もすいませんでした」

「マニ、まだゆっくりさせてもらったら?」

 ステーシーは受け取ったコップを沙羅に返そうとした時、彼女の後ろの欄間にあった横長の額縁に目が行く。


「……ねぇ、サラ。あの絵って」

「龍神様の神話を描いた絵詞えことばですわ。大陸から伝わった四神の青龍を、御所から見て東のこのお社が司るのですが、実際はこの街を守護するという龍神様の性質の方が強いかもしれませんわね。まさにオカ研で調査されているアレですわ」

 ゆっくりと立ちあがったステーシーは、額縁の絵を端から順に見ていく。

「サラ。ここに描かれている意味ってなに?」

「飢饉・干ばつ・疫病など、迫る災厄の時に龍神様が復活する、その祭祀を行うのが龍と対になっている<鳥の巫女>様ですわ」


 絵詞の真ん中あたりには、切り立った岩の上で両手を広げる女性の姿が描かれている。

「ひとたび<鳥の巫女>様が龍神様を復活させると、大きな破壊が起こるとされていますわ。それは人に仇なす鬼や魑魅魍魎の退治なのか、信仰を失った愚かな民の破滅なのか……全てはわたくしたちの祈りしだいだと説いておりますの」

 日本古来の深い説話に、ステーシーも嬉しそうにうなずく。

 眩暈が収まった麻仁も、沙羅たちのそばで額縁を見上げた。

「貴船さんのお宅も龍神様信仰のお社ですので、ご存知ですわよね?<鳥の巫女>様は街に数多くある龍穴の封印を司る。それはうちも貴船さんのお宅もよそのお社も、龍穴すべてですわ。言い換えれば『龍の巫女』とも呼べるわけですわね」

「由緒は異なるけど、この街にある神社はぜんぶドラゴンと巫女が関係しているのね」

 ステーシーも感心した様子で絵詞を見返す。

「わたくしの家系は代々、女性が婿に招いた夫が宮司を勤めることになってますわ。お母様の家系が連綿と繋いできたと聞いておりますの。ですので、当社が主催している神光祭では宵宮で<鳥の巫女>様をモチーフにした巫女舞や、龍神様が顕現しお力を発揮する場面を再現した舞楽をするのですが、他の舞楽とは違って、鳥の舞を奉納できるのはちょうど十八歳になった純潔の女子と決まっていますのよ」

 それを聞いたステーシーは、外国人らしくおおげさに両手を叩く。

「じゃあ、サラもちょうど舞をできる歳ってことね?」

「そういうことになりますわ」

 沙羅は少しだけ得意そうに首を縦に振った。


 だが、彼女の神社の由緒を聞きながら絵詞を黙って見ていた麻仁は妙な違和感を覚えた。

 沙羅の家は代々女系で婿が宮司を勤める。ならば彼女はある日の帰宅途中に、巫女の本懐は何かだなどと言い出したのか――。

 しばし考え事をしていた麻仁だったが、ステーシーが彼女の背中を軽く叩く。

「じゃあ、マニが動けそうならそろそろ、おいとましないとね? サラ、オカ研の追加取材のこと、忘れちゃダメよ?」

「すいません、会長。お騒がせしました」

 社務所の玄関まで見送る沙羅に、麻仁たちは別れの挨拶をして去っていった。

 二人の姿が消えたところで、沙羅も持ち場に帰った。

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