巫女の本懐 第5話
日没をとうに過ぎて闇に塗られた山道。
麻仁は奥宮までの道程を大きな歩幅で急ぎ歩んでいた。
――この謎を解明しないと、夜な夜なオバケの声が聞こえる神社なんて噂が独り歩きして、オカルト好きが夜な夜な大挙して集まるようにでもなったら、神様の沽券に関わるわ。
でもホントに本物の神様の声だとしたら少しはお社の箔がつくかな。
そんな淡い期待も寄せつつ真相に迫ろうという決意が、のしのしと力強く歩く足の運びに出ていた。
それに追い立てられている小さな歩幅の少年たち。
双子の弟、右源太と左源太だ。
「ねえちゃん、今日は塾だからお遣いはない約束だろ。なんで奥宮に行くんだよ」
「いいから早く歩きなさい。奥宮の謎を解明するのよ」
麻仁が普段より強気なのは弟の前であるのと同時に、学校の制服でも巫女の装束でもなく、私服ゆえ人目を気兼ねしないというのもあった。スウェットに半袖のパーカー、スニーカーのいで立ちで右手には懐中電灯を握る。
そして左手には傘、これは蜘蛛の巣を払う用途。
もし何か異変があっても、人数の多い方が多少は怖くないという理屈だった。
それに万が一、異変が起きたら姉に身を挺して露払いにもなるというので、双子の弟たちは麻仁から先導を強引に任命されていた。
弟は気まぐれに付き合わされる小間使い。姉なんてそんなもんだ。
「ねえちゃんひとりで行けよぉ」
「口より足を動かしなさい」
姉に圧を掛けられると、それでまた急かされる双子。
山の夜は早く、また周囲を歩く観光客や参拝者の姿も無い。
門前に並ぶ料亭からは軒先の照明がそれぞれの姿を照らすものの、やがて建物もまばらになっていくと、夜闇の恐怖感からなんとなしに三人とも身を寄せ合って歩く。
奥宮の境内に到着すると、麻仁はくまなく目配せしながら耳をそばだてた。
また例の声が届くのを今や遅しとじっと待ち構えてみるが一向に変化はない。
いったい姉が何を待っているのか理解できず、さらに姉からは指示もないため手持ち無沙汰に立ち尽くす双子。足元の小石などを蹴ってみる。
「ちょっと、フラフラしてないでそばに居てよ。男子なら女の子のことくらい守りなさいよ」
「ねえちゃんより俺らの方が年下だぜ?」
「関係ないわよ。弟ならあたしの盾くらいにはなりなさい」
弟の前なので強気ではあるものの、先日の体験からくる恐怖は完全に消えた訳ではなかった。あまりひとりぼっちにされてしまうのも怖い麻仁であった。
渋々、双子も麻仁のそばで待機するが、肝心の姉は耳に掌を添えて周囲の物音をただ聞くばかりであった。
「なんにも起きないわね……」
このままただ受け身で異変を待っていても建設的ではないと感じた麻仁は、今度はうろうろと歩き出す。
とりあえず黙って姉の後をついて回る二つの少年の影。
「あんたたちも様子みなさいよ。声が聞こえたり人が立ってたりしてない?」
またしても不気味な事を言い出す姉に、弟たちも面妖そうな視線を向ける。
しかし家庭での姉は大変厳しく、納得するまで素直に収まらない性分だとよく知っているので、この展開だと時間がもったいない。言われるがまま三人で手分けをして境内の様子を探るが異常はなかった。
奥宮の本殿には先程、麻仁が供えた夕御饌があった。軒下に不審な点がないかと、覗き込んで照らしてみるも、懐中電灯ほどの灯りではよく見えない。
「さすがに、暗いからわからないわね」
「ドロボーが床の下までもぐることあるの?」
「そうじゃなくて、龍穴が見えないかなって思ったのよ」
「それは絶対に見ちゃダメなものだって父ちゃんも言ってなかった? 龍のバチが当たるよ?」
「ちょっとクモの巣が多くて気持ち悪いわ。あんた代わりに入りなさいよ。龍穴の様子をつぶさにあたしに教えて、それで代わりに神罰でも受けなさい」
「いやだよっ!」
当然な左源太の反論も気にせず、麻仁はすっくと立ち上がり膝の砂を払う。
もちろん龍穴のようなものが実際にあるのかどうかも暗くてよく見えなかった。
付近の大きな樹の洞も確認するが、変化は見当たらない。
船形石はぎっしりと石が組み込まれており、さらにその間には小さな石が隙間なく詰まっている。麻仁は躊躇なく思いつく限りの石を掴むと、力を込めて引いてみたりしたがぴったりと噛み合っていて動くわけもない。
「これもダメね」
「ねえちゃん、もうじき閉門だぜ。三人でうろうろしてると父ちゃんに怒られちゃうよ」
うんざりとした表情で右源太が促す。
麻仁がポケットのスマートフォンを見ると午後八時に迫ろうとしていた。
「そうね、一旦戻りましょ」
この謎の時間がようやく終わり、双子はやれやれと安堵した。
「そしたら明日は、朝五時にまたここに集合よ」
姉の無体な注文に、今度はぎょっと目を剥く。
ともあれ弟たちを先導に本殿に背を向けて三人で歩き始めた。
異常が無いからこれで心配事も解消とはいかず、麻仁には溜飲の下がらない不快感にも似た感情が残った。
『なんなのよ……この子たちが居る時は何も起きないなんて、おかしいじゃないの』
ほんの少し腐った様子の麻仁とは異なり、姉の用事から解放された双子の足取りは軽い。
奥宮の山門前にもある山からの湧水を利用した小さな手水があるが、その脇を通り過ぎた時に、麻仁は足を止めた。
自分に向けて水が声を発しているようだ。
「……いったい、どうしたの?」
流れ落ちる水音を聞きながら麻仁がじっと見守っていると、足元を黒い影が動く。
「ひゃあっ!」
姉の足音と気配が近くに無い事を察した双子は、後方から聞こえた姉の悲鳴を聞きつけて駆け足で戻ってきた。
「ねえちゃん! どうしたんだよ!」
両肩を震わせる麻仁のそばには、一匹の黒猫が居た。
「なんだよ、ねえちゃん。猫にビビッてんのかよ」
「何言ってるの! どうしてこんな時間にここに猫がいるのよ!」
右源太と左源太が膝を折ると、猫はぷいとよそを向く。
そして身軽な跳躍で山肌の防土壁になったコンクリートの上に乗ると、麻仁の顔をじっと見ていたが、また森の中へと入っていく。
「こんなとこに野良猫? どっかの家の飼い猫かな?」
「案外、観光客が置いてった捨て猫かもしれないな?」
双子は互いに会話をしながらも猫を追いかけるでもなく見守っていたが、未だに身体を硬直させたままの姉に声を掛ける。
「ほら、ねえちゃんってば。単なる猫だよ。早く行こうよ」
「……うん」
再び歩き出した麻仁は弟たちの背中を追って歩いていく。
黒猫は去り行く人間の背中を見ながら、月に向けてにゃおと鳴きだした。
そんな人の姿が消えた夜の奥宮の境内では、拝殿が怪しく光っている。
それは拝殿そのものではない。
建屋の基礎がある真下、まさに建立されている大地から天に向かって光が溢れていた。
後日、学校の放課後。
教科書やペンケースをカバンにしまい、生徒会室に向かう準備をしていた麻仁のところに、オカ研の斉藤と小池がやってきた。
「マニ、こないだはありがとね。それで生徒会長が言ってた<鳥の巫女>だかの話ってわかった?」
その話をすっかり忘れていた麻仁は、慌てて父と会話した内容を伝えた。
「うちのお社にも<水の巫女>様っていう伝承があって、それと同じようなものみたいなんだよね……」
ところが、斉藤と小池は腕を組んだまま微動だにしなくなった。
「うーん……あたしたちの調査内容とちょっと違うんだよなぁ」
「どう違うの?」
「確かに龍の伝説と、その封印を解く巫女……つまり人柱かもしれない女の子の話は聞くんだけど、生徒会長やマニのおうちの伝承っていうか、街全体のウワサって感じなんだよね。そのへんが昔すぎてぼんやりしてるんだけど」
「もし本当に人柱だとしたら生き残ってはいないはずだから、やっぱりぼんやりしちゃうんじゃないかな?」
オカ研メンバーはそれ以上の考察はやめて、別の話題に切り替えた。
「ところで、マニんちは異変ってあるの? 街の寺社みたいに水が減ってきたりとかしてない?」
水が減るどころか、奥宮の周囲が光り輝いたり、変な声とともに夢みたいな光景が眼前に差し込まれる――そんなことを言ってしまったら、本当に自社がオカルト好きのたまり場になってしまうと慌てた麻仁は、適当に取り繕った。
「さぁ……うちはおかげさまで、山奥だし湧水も川の水もたくさんあるから平気」
「そっか。ともかく、また今度調査に手伝ってよね。着々と水の枯れた寺社は増えていってるみたいだから」
手を振ってオカ研の部室に向かう二人の背中を見守りながら、麻仁はほっと安堵の息を吐いた。
生徒会室では会長の沙羅が入室するまでのわずかな時間、麻仁は他のメンバーと雑談をしていた。
「ホントに決済やハンコくらいしっかりやってよね。こないだみたいに怒られるの、いつもあたしなんだもん」
「悪かったってば、マニ。勘弁な」
同学年である副会長、畑中が麻仁の肩を強めに大きく叩く。
書類の審査が甘いせいで代わりに沙羅から叱責されたことに、不満を漏らしていたのだ。
「それに、土曜日なんかオカ研と一緒のところまで会長に見られちゃうしさ」
「そりゃ自業自得ってやつだな、コソコソしなけりゃ良かったじゃん」
副会長職に就く彼女の自宅は、花街の歴史あるお座敷をしている。
総支配人と女将の両親の娘でありながら、女の身は気楽なもんだ、と跡目を継ぐことは考えておらず、大手の飲食チェーン店でアルバイトをしながら、時代に合わせた外食産業の在りようを肌で感じている。
おおざっぱ――よく言えば大らか――ゆえ、やや粗野な口調ではあるが、気遣いの良さと芯の強さはいかにも京の娘という風情で、頭の高い位置で適当に束ねただけの後ろ毛がぼさぼさに乱れたポニーテールが、彼女の性格を表しているようかのようだ。
確かに、彼女が和服を着てお座敷で楚々と給仕をする様子は、あんまり想像できないかも、といつも考えてしまう麻仁だった。
「でも、マニ以外に八坂さんに怒られてる三年っていないよね?」
同学年の書記長、京極が素朴な疑問をつぶやくと畑中も同調した。
「そうなんだよな、なんで会長はあんなにマニにだけピリピリするのかね? 神社どうしって仲悪いのかい?」
「そんなことはない……はずなんだけどね」
とは言ったものの、格の差を感じて勝手に萎縮しているのは麻仁のほうだ。だが逆に、沙羅が麻仁に強気に出ているのはその格の差ゆえと、周囲には見えてしまっていた。
「マニは生徒会に八坂さんが居るとわかってたら、一年の時に志願しなかった?」
京極からの質問に、麻仁はなんとも弱気な笑顔を浮かべる。
「かもしれないね」
やはり決定的だったのは、二年の冬に行われた会長選挙だろう。
切れ者で実行力ある沙羅への対抗馬はおらず、無投票で決定した――というか、既に同学年のメンバーを牽引していた沙羅が引き受けるだろうとの暗黙の了解が出来ており、敢えて立候補をする者など現れなかった。
そうして特に人数の少なかった当時の二年生は、すんなりと会長選を終えたのだった。
ただ、麻仁はせめてもの自分への防波堤として、沙羅とは気の強い者同士であり、自分とは気の合う畑中を副会長に推挙した。
そこに生徒会室の戸を引いて沙羅が入ってきた。
「皆様、お待たせしましたわ。掃除当番で遅れてごめんなさい。さっそく始めましょう」
生徒会は辣腕の沙羅のおかげで、文化祭までの工程は的確に消化されていた。
今まさに始まった定例会議でも、文化祭における各担当の進捗の遅れから、人員の再配置、後輩への指導などを細かに指示していく。
「さて、そんじゃあ他になにか質問はあるかな? 特に無ければ、会長から一言」
会議の最後に、畑中が促す。
「では本日の会議はこれで終了。さきほど挙がった議題とそれぞれの担当ごとに作業の続きをお願いしますわ」
沙羅の合図で着席のまま全員一礼してから、それぞれが持ち場へと散っていった。
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