巫女の本懐 第6話

 生徒会室を出て仲間と別れた後も、自宅でもある神社の奥宮での不思議な体験に、なんとなしに不安の残る麻仁は図書室へと向かい、なにか旧都に残る伝承に関する本がないかを物色していた。

 だが特に収穫もなく、無駄に過ごした時間に呆れながら学校を後にする。


 すると、突然に後方から声を掛けられた。とても聞き慣れた声だ。

「貴船さん。今お帰りですの?」

「あっ、会長。お疲れさまです」

 挨拶をしたものの麻仁は後に続く言葉に詰まった。今は別に生徒会業務で失敗をしたり叱責されたりしているわけではないのだが、畑中に言われた『実家が神社で巫女同士』であることが引っ掛かってしまい、妙に相手を意識してしまうからだ。


 そのまま二人は会話もなく並んで歩いていく。

 呼び止めたくせに沙羅も特に何を話しかけるでもなく、歩き続ける。

 麻仁もこちらが何か言葉を発していかないと、この静寂にいつまでも耐えられるものではないし相手に失礼だろう、と思ったが肝心の言葉が上手く出てこない。

 ぎこちない様子で麻仁は前髪越しにそっと沙羅を見つめる。

 麻仁は年頃の女子の中ではクラスでも比較的、背丈は高い方なので、少し見下ろすように視線を落とした。


 改めてすぐ隣を並んで歩いてみるとわかるが、沙羅の容姿は本当に日本人離れしている。

 親戚に異国の血を引く人物が居るのだろうか。

 屋内だとさほどわからないが、側頭部でふわりと巻き上げられた縦巻きの髪は淡い栗色で、西日を受けて輝く瞳の色は紺碧に近い。影のある深い二重の瞼には長い睫毛が綺麗に並んでいる。

 首からは飾りを下げており、制服の中にしまっている。校則でアクセサリーは禁止されているが、なにか神社で使う儀礼用の宝飾だろうか。略装届を出しているのかもしれなかった。

 首飾りの紐は鈴緒のように布地が交互に編み込まれているが、神事で使う紅白のものとは異なり、色彩は非常に抑えめだ。それは植物の茎や繊維のようにも見える。


 街では間もなくに近づく大きな祭礼『神光祭』の準備が行われていた。

 半纏はんてんや足袋が人数分に合うか整理している町内会の人々。

 軒下に掲げる提灯の埃を落とす家主。

 その様子を見かけ、麻仁と沙羅は同じ方向に視線を流した。

「もうじき、お祭りですね」

 二人に流れる無言の間を潰すように、咄嗟につぶやいてしまう麻仁だった。

 この場では最善だと思ったが冷静に考えてみると、さして意味もない発言だったのではないかと、馬鹿らしくなってしまった。

 だが沙羅は意外にもその発言に強く共感したようで、突然にぽつりと語りだす。

「わたくしたち巫女は祭祀さいしを手伝わされるのに、お祭り自体が女人禁制ってどうなのかしら」


 七月中旬に行われる神光祭の本祭りにおいて、煌びやかな装飾や極彩色を纏う三十ちかくの山鉾やまぼこが街を練り歩く様は圧巻だ。

 そして彼女の家こそが、神光祭に関連する神事の全てを執り行っている。

「でも、会長。女の子は宵宮で神賑奉納しんしんほうのうの神楽や舞楽をできるじゃないですか?」

「それは一部であって、祭祀では巫女舞をして、ご祈祷ではお神酒や玉串を授けるだけですわ……だとしたら貴船さん、わたくしたち巫女の本懐ってなにかしらね」


 麻仁にとって即答するには難しい質問だった。

 確かに、男性の神職が居れば神社は成り立つ。巫女として祭祀に同席することはあるが、神下ろしの呪術的なシャーマンの性質は今やほとんど無く、形式的に舞を奉納するくらいだ。

 まさかコンビニの店員ではあるまいし、社務所で金銭を預かり、授与品を頒布はんぷすることが仕事ではないと信じたい――。

 漠然とした表現しか出来ないが、麻仁はその問いに自身の願いを乗せてみた。


「神に仕える者として、信奉者の想いを汲み、添い遂げることだと思います」

「そうですわね。確かに共に祈ることはできますわ。でも参拝に来られる人たちだけを支えるのが、巫女の限界であり宿命ですわね。それが本懐であるならば、わたくしたちは本当に必要とされているのかしら」

 沙羅は隣を歩く麻仁ではなく、正面を見ている。しかし彼女の瞳は進む先の風景ではない、どこか遠い所を見据えているようであった。

 沙羅の横顔を見つめる麻仁には、彼女が思う本懐の意味を図りかねていた。

 参拝者のみならず、皆の幸福を願うのは麻仁も同じ気持ちではあるが。

「もし神社という形でなく、もっと神様の近い所で祈れるのであれば、それはあまねく人々にご加護を示せるかもしれませんわね」

「はい、じかに神様のお声を聞いたりお話ができれば、もっと託宣もできますね」

 救いを求めて来た者以外にも、神が万遍なく神威を施せばこの世は安泰であろう。

 もちろん言い換えれば、麻仁たちの父にとっては死活問題でもあるが。

 神々が救うべき民を選ぶのは、日頃の善行なのか、信仰心なのか――。

 ましてや寄進の額の多寡ではあるまい。



「でも会長。神様がご加護を示せるなら、みんなはお社に来るでしょうか?」

「どういうことですの?」

「穏やかで平和な暮らしをしてる時って、普通の人ならかえって神様を意識しないんじゃないですかね? 困ってるから神頼みをするわけであって」

「確かに人々の願いが等しく叶うなら、この世は他人の痛みを知り得ない、身勝手な人間ばかりになっていたでしょうね。だからこそ神様は時に試練を与えることで、人を祈りに向かせるのかもしれませんわね」

「たとえば試練っていうと、やはり龍神様の災厄とか……」

「あら、貴船さんもオカ研に影響されているんではありませんの? 絶望や破壊だけが全てではないと思いますわ。苦難の中で悩んで答えを出したり、前進して未来を拓く力を得ることこそ試練であり、神様の託宣ってそういうものだと思いません?」

 なるほど、と麻仁は頭の中で手を叩く。我が家には宮司である父がいるが、麻仁にはこうして立場の近い者とゆっくり信仰について語り合ったことが無かったため、非常に有意義な会話に満足した。いつか自社の広報で使えるかも、と必死に脳裏に焼き付ける。


 麻仁は沙羅の発言を受けて、自身の気持ちを改めて言葉にしてみた。

「あたしも神社の娘として、神様の存在って身近すぎる部分もあるし、逆に生活に占める部分も大きいんですけど……やっぱり現実に神様の御業みわざがあったら大変でしょうね。紙一重の幸運を奇跡と呼んだり、運悪く重なる苦難を不幸と嘆くのは簡単です。でもその感謝や祈りこそが信仰だし、良し悪しや是と非をしっかり人間に考えさせるのが神様のお力なのかなって思いますね」

「お寺のように参拝の対象がはっきり見えなくてご神体が神鏡なのも、まさに参拝されるご自身の在りようを映す鏡のようなものですわね。お参りポイントが貯まれば神様の元へ行ける訳でも無いし、本物の神様の前で『お客様は神様』気取りだなんて、理解できませんわ。神鏡にその醜い姿が映っていますわよね?」

「御朱印や御守りの転売とか、平気で神職にクレームするとか、ホント困っちゃいますよね。おみくじが凶だから交換しろだの、もう一回引かせろだの」

「拝殿の前で脱帽しない人も増えましたわね? ご参拝の前に出店で飲食をされる方とかも。それでいて神社に来たからいいことあるかな、なんて虫が良すぎですわ」

 そんな互いの本音や愚痴らしき発言には、思わず二人とも吹き出す。

 なにせ彼女たちはまだ高校生。いくら実家が神社でも巫女として奉職をしていても、大人のように割り切れない現実は多い。


 笑い終えた沙羅は先程よりも明るい表情を浮かべていた。

「ねぇ、貴船さんもご自宅でのお勤め、されてますわよね?」

「もちろんです。うちは小さい神社なのでいろいろ人手が足りなくて……」

 麻仁が自社を小さいと表現するあたり、沙羅の家に対して少し劣等感が現れるところがあるが、確かにどちらも旧都では古社である。

「お互い大変ですわね。宮司の家系ってのも」

「大変ですよね」

 宮司の娘どうし気苦労も多く、悩みも通ずるものはある。だが沙羅には由緒ある神社の子としての自負があり、礎を背負う誇りがある。それが彼女の自信となっていた。沙羅の言う大変さはその格式を汚さない重責であり覚悟なのであった。

 対して、麻仁にとっての神社とはその規模の大小や格式だけでは語れない、人々が集い祈り、心安んずる場所であって欲しいと願っている。いかに他者に寄り添うか。それが麻仁の望みではあるが神社の在り方としての課題でもある。

 二人の巫女の間にある少しばかりの考えの差が、雰囲気の違いを生む所以かもしれないが、それでも同じ境遇を語れる者がいて、それが同じ生徒会のリーダーだというのは、いまの麻仁にとっては嬉しいことであった。

「貴船さんのお宅も水祭りが近くて、お忙しそうですわね」

「いえ、会長こそまだまだ神光祭の行事たくさんありますね、山鉾巡行にお水取りに神輿渡御みこしとぎょとか」

 同じ街にある神社同士であり、ましてや同じ学校の生徒会のメンバーだ。父親同士も神社庁の同じ管内に所属し、交流はあるので、互いの家の年中行事はおおよそ把握している。

 だが、沙羅は天を仰いで嘆息する。待ち構える多くの神事とその準備にうんざりしているのではなく、それとは別の理由だった。

「そうですわね……そもそも神光祭は疫病退散の願いから始まったのに、信徒や氏子さんとは無関係の人達が勝手に祭祀をするなと騒ぎ立てて、まったく……利己的な方が多い世の中ですわ。それでもこうして開催できるだけでもありがたいですわね」

 まだ沙羅と麻仁が小さい頃、未知のウィルスが流行し、観光で成り立つこの街の経済は壊滅的な打撃を受けた。その際には感染防止の観点からやむなく、神光祭も何度となく中止となった。


 人は崇める神に祈り、神は信仰する民を守護する。

 それは単純なギブ・アンド・テイクでもないし、無条件に慈悲や加護を授けてくれる大盤振る舞いではないのは道理だ。

 目に見えない存在を畏怖することで、己を律し、生活を正す。それこそが信仰であり健やかな身心こそ疫病退散と同源とも言えるかもしれない。

 だが、わが国固有の美徳や価値観は、現代日本では失われて久しい。

 それがまた沙羅や麻仁にとっての憂いでもあった。

「そういえば、貴船さん。オカ研の資料ってどういう風に書かれているのかしら?」

「まだあたしも見てないので……テストが終わった頃に確認してみますね」

「できれば、龍神様のことを面白おかしく扱うのはやめて欲しいですわ。それは貴船さんのおうちのお社にも影響しますわよ。きちんと信仰の対象として書いて欲しいですわね」

「そうですね、いちおう注意しておきます」

 しばし会話をしながら帰宅するひと時の間、麻仁は少しだけ沙羅との距離が近づけたような気がした。

 やがて、澄み渡る空の青に浮かぶ朱色が映える巨大な楼門が見えてきた。

「お話しているうちに、バスにも乗らずにすっかり歩いてしまいましたわね。でも楽しかったですわ。それでは貴船さん、ごきげんよう」

 沙羅は別れの挨拶をし、境内へと去っていった。

 付近には大型観光バスが何台も集まり、多くの参拝客でごった返していた。



 麻仁はまたひとり自宅方面に向かうバス停まで歩き続けた。

 すると赤信号になったので、麻仁は横断歩道の一番手前で、後ろ手に回した通学カバンを腰のあたりに添えて待っていた。

 そこにちょうど一台の救急車がやってきた。

 乾いた機械のサイレン音は周囲の雑踏や生活音すらもかき消してしまう。一定の間隔で鳴り続けるけたたましい音を聞いていると、いま歩いてきた道と横断歩道の先に伸びる道、そしてそこを隔てている幹線道路、さらに世俗の空気とはまったく異なる緊張感に包まれているであろう救急車の中と、それぞれがまるで個別に切り取られた世界であると錯覚するかのようだった。

 青信号を静かに待っていた麻仁は突然に次第がぼやけ、サイレンと共に左右に明滅する紅い光が脳内に強く響きだした。

「……どうしたんだろ?」

 その刹那、麻仁のつま先から背中にかけて寒気が走った。

 足元のアスファルトよりもはるか地中深く、巨大な何かが蠢動している。

 地面が揺れるのではない。生物とも知れない気配だけが、地下を通り抜けていくようだった。

 その『気配あるもの』は突然に麻仁の足首を掴んだ。

 いや、掴まれたように錯覚しただけなのかもしれない。

 しかし異質なるその存在は、確実に麻仁の下肢だけでなく心をも捕縛してきた。

「いやっ、なに……?」

 途端に呼吸が乱れ、胸元が苦しくなる。

 続けざまに頭痛が襲い、麻仁は思わず手でこめかみを押さえた。

 視界はみるみる霞んでいき、四肢の力が抜けていく。

 麻仁は次第に体勢を保てず、上体から道路側に崩れそうになった。

 その刹那――。


「だいじょうぶかい?」

 突然に左肩に手が触れる。

 その瞬間、麻仁は我に返り、救急車が通り過ぎる。

 やがて歩道が青信号になった先に待っていたのは、何の変わり映えもない普段の街の風景だった。

「急いでいると危ないよ。それとも熱中症じゃないかな? 気をつけなさい」

 ちょうど巡回をしていた警察官が麻仁に声を掛けた。

 自転車を漕いで行く警察官を見送りながら、麻仁は多くの車両が通ったばかりの道路を見るなり、背筋を凍らせた。



 時を同じくして。

 沙羅はまっすぐ自宅へと向かわず、境内にある美御前社の湧水や力水の様子を見ていた。

 相変わらず水温が高く、そして湧き出る水の量も心なしか減っている気がした。

 それから、巫女の装束に着替えて神社で手伝いをするために自室に戻った。

 すぐに制服を脱がず、机に通学鞄を置き椅子に座る。

「境内の水だけでなく、市内の龍信仰のお社で水が枯れていること……やはり龍神様の復活が近いのかしら? 大きな災厄の前触れかも」

 そう独りごちて、沙羅は首から下げた装飾を手繰り寄せた。

 ちょうど胸元に来る飾りのところには青い大きめのビー玉かガラス玉のようなものを、六本の繊維質の輪でしっかりと抱えていた。

「お母様のご先祖が遺されたこの宝玉と、このお社に伝わるお話……」

 丁重に護られているその石を沙羅はぎゅっと握り、一心に祈る。

「古都を守る言い伝えを……どうか龍神様、<鳥の巫女>様、わたくしたちやこの街をお守りくださいませ」

 彼女の祈りに呼応するかのように、石は淡い青の輝きを放ち出す。

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