巫女の本懐 第3話

 地下鉄から路面電車を乗り継いでやってきたのは、芸能の神様を祀る神社。

 映画村が近いということもあり、芸能人がヒット祈願に参拝したり、テレビのロケなども頻繁に行われている、由緒ある社だ。


「ここの神社も龍神信仰と関係があるらしいんだけどさ」

 小池の発言を受けて麻仁はわずかに首を捻る。

「なんか普通……って言ったら神様に悪いけど、異常は無さそうっぽいよ?」

「それが違うんだわ。同じ境内にある弁天神社ってとこを見てみな」

 斉藤の先導で進んでいくと、境内に祀られた別の社があった。

「ここね、大昔は神社をぐるっと覆うように水が張ってたんだけど、今は水が無いんだよ。だから枯山水っぽくしてあるんだって。それにお賽銭箱の後ろからは水が出てたけど、今は止まってるんだよね」

 確かに、鳥居から社に向けて小さな枯山水のような参道があり、社の周りは一段低くなっていたが、そこに水の気配はなく玉砂利は干上がっている。そして賽銭箱の裏には水留めがあるが、それもすっかり空であった。

「きっと調整中じゃない?」

「マニさぁ、遊園地のアトラクションじゃないんだから。ここの水がみるみる減っていったのは、他の龍伝説がある神社やお寺で水が消えたのとほぼ同時なんだよ?」

「ホントにそうなのかな? だって大昔にあった水が無くなったんなら、今は関係ないと思うんだけど……お手水を止めているだけじゃない?」


 麻仁は深々と一礼してから、鳥居の奥の社をまじまじと観察する。

 ほぼ姿を消したという水たちの声を聞こうと、周囲に注意を向けた。

 だが、わずかに残る水の気配も無く、彼らの憂いも悲鳴も怒りもいっさい聞こえない。

 全くの無音だった。

「今のところ普通のお社かな?」

 麻仁を次の場所へ案内すべく、小池はスマートフォンを取り出した。

「水が枯れた所はまだたくさんあるからね。他もマニに見てもらうよ」



 先日のオカルトサイトの記事を表示させて、市内の龍の伝承が残る、もしくは龍を祀っている寺社で池の水が干上がったり、手水が枯れたところを順に確認していくことになった。


 しかし、梅雨の終わり前だというのに、ここ最近は驚くような高温の日が続いている。おまけに水辺を訪ねて涼を求めるならいざ知らず、行く先は渇水した噂のあるところばかり。

 移動と徒歩を繰り返すうちに、三人はぐったりと木陰に座り込む。

「なんだっていうのさ、ここ最近の暑さは……」

「マニさぁ、その髪あっつくないの? ちょっと切ったり髪型変えたりすればいいのに」

 別に斉藤と小池も、見てて不快であるという当て擦りではなく、家業の神社での奉職があることは理解しているといえど、いつも長い黒髪を下ろしているだけの麻仁にも、もう少しお洒落をしてみたらどうかと軽い気持ちで質問していた。

「でも家に帰ってお勤めを始めたら同じだもん。これが一番ラクなんだよね」

 しかし内心、麻仁には友人たちのように流行りの髪型がさっぱり分からなかった。普段は髪を下ろして、巫女の時は束ねるの繰り返し。お洒落に全く興味がないわけではないが、家業を優先するとなれば、髪型を変えるのはどうしても難しい。

「あ~、ラクって言い出したらオシャレはできないんだよ、マニ」

「そうそう! ラクしてたら、たのしい事なんて何にもないんだから!」

「ホントに?」

 人生を楽しむための手段であるお洒落は決して楽ではない。

 麻仁にとっては深い話だ。

「次の神社に行く前にちょっとコンビニ入ってアイス買おうよ」

 路面電車を降りて地下鉄に乗り換える前に、涼を求めつつ街を歩きながらやって来たのは、小さな森の中にある鎮守の社だった。


 樹々の枝葉の影に隠れて鬱蒼とした境内のなか、石組の大きな窪地の奥には三角形の各頂点にそれぞれ三本の柱が据えられて一体化した鳥居が鎮座していた。

「ここは龍神様をお祀りしてるお社だったっけ? 関係ないんじゃなかったかな?」

「わかんないけどね。でもここも池の水が枯れちゃってるじゃない。だから龍伝説に関係してるんじゃないかって踏んでるのよ。というのも、ちょうどここが御所を中心に封印されてる龍の頭のあたりで、まさに龍を封印しているのが、あのビラビラだと思うのよ」

 斉藤が指差すその先にあるのは、柵に囲まれた三本足の鳥居。

 池があったであろう窪地の中、鳥居の真下には小石がうず高く積まれており、そこには紙垂しでがついた御幣ごへいが刺さっていた。

「あの御幣がそうなの?」

「ビラビラが龍の眉間にプスッと刺さってるらしいよ。だから、ここの水も消えた時点で龍が眉間に刺さったビラビラを抜いて結界の外に出ちゃう直前だと思うんだよね」

 紙垂を『ビラビラ』と連呼する友の発言が妙に可笑しく、麻仁は会話に集中できずにいた。

「あたしたちもずっと経過観察してるんだ。最初にニュースで見てから何度もここに来てるの」

「でも龍神様とは関係なさそうだけどね。水が枯れたのはホントかもしれないけど」

 麻仁は元は池であった、足元の窪地を見回す。

「まぁそれだけじゃないんだけどね。ここの神社は。もっと違う伝説も残ってるんだけどさ」

 意地悪な笑みでオカルトめいた発言をする小池の言葉に、奇妙な寒気を感じた麻仁は駆け上がるように、枯れた池の底から出てきた。

「そしたら次のところ行こ。どんどん回っているうちに、なにかひらめくかも知れないじゃん?」

 早々に踵を返して、マイペースに先を歩く斉藤と小池の後を追う麻仁だったが、小さな違和感を覚えた。

 水に呼び止められたような気がした。

 すっかりと干上がった池の跡のはるか底から、彼らが何かを訴えているようだ。

 思わず立ち止まり、じっと池の底を見てみるもそれきり水たちの声はしない。

「おーい、マニってば、はやく」

「……うん」

 麻仁は二人の背中に追いつこうと足早に駆けていった。



 ふたたび街の東に戻ってきた三人は、ある神社の前に到着した。

「ここも龍伝説のある神社だよね、たしか」

 斉藤と小池は平然と山門の前に立つが、そのあまりにも見覚えのある光景に、麻仁はひとり顔を蒼ざめさせていた。なにせそれは生徒会長の自宅でもある神社だから。

「ホントにこの中に入らなきゃダメなの?」

「当たり前じゃん。別にここが生徒会長の家だからって関係ないよ。あたしたちは部活で来ただけなんだから、そう開き直ればいいじゃない」

 だが、相変わらず麻仁は堅い表情のままだった。

「ここは平気じゃないかな? 龍神様が居ても居なくてもきっとだいじょうぶだよ」

「マニ、なにを怖がってるのさ。ここも龍の伝説と関係あるんだから、見ないとダメだよ」

「じゃあ、あたしは楼門のところで留守番してるから」

「なに言ってるの。マニが解説してくれなきゃ意味ないじゃん」

「戻ってきたら話を聞くから、ふたりで行ってきなよ」

 そこまで生徒会長の存在を嫌悪するものか、と斉藤と小池も首を傾げながら境内へと入っていった。一方の麻仁は美しい装飾で飾られた朱色の楼門のそばで立ったまま、オカ研の二人を待つことにした。


 厳しい陽光と蒸した熱気も境内の森の木陰に阻まれて、ひんやりとした風が抜けて頬を撫でると、麻仁もほっと安堵の息を吐く。

「あら……もしかして貴船さんじゃありませんの?」

 背後から突然に声をかけられ、麻仁は額に汗を浮かべて硬直した。

 聞き慣れたこの声を聞いてしまったら、振り返りたくないが振り返らざるを得ない。

「会長、お疲れ様です」

 沙羅は学校の時とは異なり、両方の側頭部に結わいた髪を後ろに一本にまとめて、上下ともに巫女の装束を纏っていた。

「こんなところで偶然ですわね。今日はどうされたんですの?」

「あの……なんというか、知り合い……親戚が市内観光したいって……その同伴です」

「まぁ、それはせっかく当社にお参り頂けたのなら是非ともお礼申し上げたいですわ。お連れ様は?」

「いっ、いま、おトイレです。だいじょうぶですよ。待ってるだけなので」

「だったらせっかくなのでお待ちしますわよ。貴船さんのご親戚にご挨拶さしあげたいので」

「いえ、会長もお勤めがお忙しいでしょうから、どうぞお構いなく」

 早めに巻こうと麻仁もあれこれ言い訳を並べてみるものの、沙羅の律儀な性格が仇となり、かえって深手を負う結果になってしまった麻仁は、あたふたと両手を振る。

「おーい、マニ、お待たせ……あっ、生徒会長だ!」

 そこにちょうど斉藤と小池が戻ってきてしまい、沙羅とはちあわせをしてしまった。

 沙羅は学校で話題のオカ研メンバーの登場に驚き、麻仁を睨みつける。

 こうなると麻仁も自身の悪運を悔いるしかなかった。

 今おみくじを引いたなら、間違いなく運勢は凶だろう。

「貴船さん……市内観光のお知り合いってオカ研でしたの? 生徒会が個別に部活動への関与や協力をするのは公平ではありませんわよ!」

「違うんです! そういうわけではないです!」

「じゃあ観光のついでに、うちのお手洗いだけお使いになったってわけですのっ!」

 咄嗟に斉藤と小池が両者の間に割って入ったが、麻仁への助け舟というわけでもなさそうで、ふたりは興味津々にスマートフォンの画面を沙羅に見せる。

「ちょうどよかった! 生徒会長のおうち取材させてよ。龍伝説を追ってるんだけどさ」

「なんで、わたくしまでオカ研のお手伝いを……」

「話を聞かせてくれればいいんだってば。マニだって意見を聞いてくれただけだもん。それにあたしたち、ちゃんとお賽銭いれたんだからさ、取材費だと思って協力してよ」


 沙羅は一行を渋々、境内に案内していく。

 そして立派な拝殿ではなく、ある小さな社の前に立った。

「こちらは『うつくしごぜん』と読むのですが、こちらのお社にも湧水を引いておりますわ。あとは本殿のわきにも『力水』というものがありますの。いずれも龍神様のご加護で湧き出したと伝わっておりますわ」

 すると小池が手を挙げる。

「生徒会長んちにも龍穴って無かったっけ?」

「境内には龍神様の通る穴が複数あると伝わっておりますわ。もちろん上には本殿や舞殿や摂社があるし、丁重にお祀りしておりますので何びとも見ることは叶いませんけれども」

「でも生徒会長んちは水が枯れてなくて良かったね。あちこち水が枯れてるのって、龍のせいだって考えてるんだけど、さすが生徒会長んちはパワースポットだね」

 ここは素直に褒められたと胸を張るべきか、信憑性のない噂話に腹を立てるべきか、沙羅はなんとも言えない渋い顔を浮かべた。

「でもさ、生徒会長んちは四神の青龍でしょ? 御所から見て東側だからってやつ。それって日本古来の龍とは少し違うんじゃないの?」

「さすがオカ研はよくご存知ですわね。日本の神仏も多くは大陸から伝わったり、仏教と習合したものも多くありますが、まだ都が大阪や奈良になって、この街が何もない盆地だった頃に暴れ川だった鴨川を治水したり、夏の猛暑に備えて水源を確保したという意味でも、龍神様信仰は大いに関係ありますの。当社のご祭神でもいらっしゃるスサノオ様も、出雲ではヤマタノオロチを退治したと伝わっておりますが、赤くただれた身体に首が何本もあるさまというのは、胴を産出して支流が何本もある斐伊川ひいがわの治水をされたから、とも見られてますわ」

 宮司の娘ゆえか、古刹で奉職する巫女としての賜物か、自社の由緒だけでなく関連する話題もそつなく語る沙羅に、麻仁も関心してうなずいていた。


 さらに斉藤が質問を投げる。

「生徒会長は、マニみたいな龍の伝承って詳しく知らないの?」

「どういうことを知りたいんですの?」

「それはね、例えば龍信仰が残る寺社が結界になってて、この街を……」

 斉藤たちはオカ研として調査した話と、麻仁から先程聞いた話を繰り返す。

 話を聞き終えた沙羅は、肩をすくめた。

「概ね合っていますが、うちのお社には<鳥の巫女>様のお話が伝わっていますわ」

「ねぇ、生徒会長。それってどういう話?」

「今はお勤め中ですので、改めて落ち着いた時にお伝えしますわ。できればお祭りやテストが終わってからにして……ってさっきも言いましたけど、どうしてわたくしがオカ研の手伝いをしなきゃならないんですの?」

「文化祭を盛り上げるためにさ、生徒会長として一役買ってよ」

 もはや麻仁そっちのけで、頭を下げる斉藤と小池。

「ともかく、今はお勤め中ですから、またの機会にして欲しいですわね。それに文化祭の発表については貴船さんから簡単に聞いておりますわ。あまりうちのお社のことを変な書き方しないように気をつけて欲しいですわね」

「はーい、気をつけまーす。それじゃね、生徒会長」

 オカ研メンバーは軽い挨拶をして、去っていく。

 麻仁は沙羅と級友たちを交互に見ていたが、慌てて頭をぺこりと下げると、その後を小走りで追っていった。


 呆れ顔で三人を見送った沙羅は、力水に手を添える。

 単純に猛暑のせいとは思えないくらいに奇妙に温かい。

 まるで冷ました白湯のように。

「嫌な感じだわ」

 沙羅は不安を拭うように小さく頭を振ると、社務所へと戻っていった。

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