巫女の本懐 第1話

「……古都で頻発する枯れた水の謎? なにそれ?」

「そう。マニは聞いたことある? あたしたちは今それを取材してるんだよね」


 麻仁は、自分の席に着くとすぐに駆け寄って来たクラスメイトと会話をしていた。

 朝の挨拶もそこそこに、突然に向けられた質問に首を傾げる。

 友人の斉藤と小池は女子高にしては珍しく『オカルト研究会』などというニッチな部活動を立ち上げて、古都にまつわる都市伝説を調査している、好き者たちだ。

「これをちょっと見て欲しいんだけどさ」

 斉藤がスマートフォンを取り出すと、麻仁はそこに表示されたニュースを読む。

 どうやら、よくある都市伝説をまとめたニュースサイトのようだった。

 スマートフォンの画面には、他にもオカルトめいた記事や伝説、民話、噂話などをまとめたスレッドがいくつも表示されていた。読み物としては面白いが真偽も定かではない眉唾ものの内容ばかりが並ぶ。


 だが、あまり怖いものが得意ではない麻仁は、横から覗き込むうちに震えを感じた。

「よくこんなの見ていられるね。怖くないの?」

「なに言ってるのさ。神社の娘やってるなら、むしろ逆に聞きたいくらいだよ。マニんちで不思議なものを見たことないの?」

「うちはお寺じゃないからお墓ないもん、オバケ出ないよ」

「そんなの知ってるよ。オバケじゃなくて敷地で神様を見たり、見えない何かが居るなって感じたりは?」

「オバケの気配はないけど……なんか今日は、川や沢の水たちが楽しそうだな、いいことあるのかなって……」

 それを聞いた斉藤は、なんとなく気の毒そうなものを見るような視線で、麻仁の肩に手を置いた。

「うん……まぁそういうことだってきっとあるよね?」

 友人たちの様子を察した麻仁は頬を膨らませて、ぷいと横を向く。

「別にいいじゃない。神様の前でお祈りするのに特殊能力なんて必要ないもん」

「ごめんって。マニに話を聞きたいだけなんだってば」

 斉藤は言葉だけは謝罪の体裁をとっているものの、膨らんだ麻仁の頬を突つく。


 こんどは小池が会話を引き継いだ。

「なんかさ、あちこちの神社やお寺で水が枯れてるんだって。池の水位が下がったり、湧き水が出なくなったりしてるらしいんだけどさ、マニは何か知ってる?」

「なんであたしが知ってるの?」

「だって神社の娘でしょ? そういうの神社庁とかの広報で、ここヤバいですよとかって情報共有しないの?」

 麻仁は呆れとも唖然とも言えるような、なんとも言えない情けない顔をした。

「お父さんがいくら神社庁に所属している神社の宮司だからって、ウチはそこまで事情通ってわけじゃ……」

「そういえばマニんちは水の神様じゃなかったっけ? というのもさ」

 ぐっと顔を近づけた小池は、麻仁に向けてにひそひそと耳打ちをする。

「これ、実は次の文化祭でオカ研の発表テーマにする予定なんだよ。ニュース記事に書かれてないことを、あたしたち知っちゃったんだよね。つまりスクープだよ」

「……スクープ?」

 いったい彼女たちが何を言いたいのか、麻仁も首を傾げる。

「これね、ぜんぶ龍の信仰が残るとこなのよ。この古都に張り巡らせた龍の結界の伝説と関係あると思うんだけど、どう?」

「見る人が見たら龍神様の関係するお寺やおやしろだってすぐにわかるから、スクープや特ダネのレベルかどうかはあたしにはわからないよ?」

 麻仁の返事に、斉藤と小池は表情を曇らせて麻仁の肩を叩いた。

「つれないよね。もっと神社の娘で巫女なら、ビシッと的確にアドバイスしてよ」

「それこそ、託宣たくせんは神様の得意な領域だからね。この話題からどう感じるかは人間しだいだし、あたしじゃなんとも言えないもん」

「まぁ、いいよ。今年の文化祭はオカ研の特ダネでパッと盛り上げるからね。せっかくだから、マニも調査に手伝ってね?」

「塾やお勤めが空いてる日ならいいけど……ふたりとも受験勉強はだいじょうぶなの? それにもうじき一学期の期末テストでしょ?」

「テストなんか赤点取んなきゃいいんだし、受験勉強だって文化祭が終わってからで平気だってば。そっからラストスパートだからね」

 やがてホームルームの開始を告げる予鈴が鳴る。

「やばい、一番肝心なものを渡すの忘れてた。これ、オカ研が五月に使った部費の領収書と活動報告書ね。マニが生徒会に行くときに持ってってよ」

「うん、預かっとくね」

 そのまま斉藤と小池は得意満面の笑みで自分の机へと戻っていった。



 終礼を迎えた放課後。

 麻仁はそのまま所属する生徒会室へと向かった。

 通常の生徒会運営に加え、五月に行われた体育祭と秋に迫る文化祭では、実行委員会も兼任しているため、春の新学期を迎えてからというものの、生徒たちは慌ただしく過ごしていた。


「みんな、お待たせ」

「こんにちは、貴船センパイ」

 定例会議をしながら、各部や研究会、委員会への指示、予算の決裁と執行、担当教員への報告、文化祭の教室や資材の割り振り、講堂と校庭で行われるパフォーマンスの予定表作り、さらに生徒会が主導するチャリティバザーの準備など、細かな業務はテストを経た夏休みの間も延々とつづく。

 当然ながら日々、順風満帆とは言えずに時としてつまづくことも――。


「これは、なんですの? 貴船さん」

 突然、書類越しに鋭い声が麻仁に向けられた。

 先程提出した、オカルト研究会の領収書と活動報告書だ。

「ほとんど電子マネーの交通費精算に、お社やお寺の拝観料、『ムー』とか言う雑誌の購読料と、写真データの現像料の申請……活動報告書と照会してキチンと確認されましたの?」

 生徒会長は眼前で睨みつけていた書類を、机にぱさっと置く。

 明るい栗色の髪を両方の側頭部で束ねて、ふわりと丁寧に整えられた縦巻きのツインテールから顔をのぞかせる。

 そして少し吊り上がった勝気な目が麻仁に向けられた。

「はい、会長。あの……文化祭に向けた調査という名目ですが……」

「オカ研の三年生の主要メンバーは、貴船さんと同じクラスでしたわよね? ただ単にポンと資料を預かっただけで、くわしくお話は聞けなかったんですの?」

「えっと……なにやら、文化祭に向けて寺社仏閣を巡っているそうです……領収書には、会長のお社の最寄り駅も記載されてますが。あっ、でもお賽銭やお初穂はつほはちゃんと自腹だそうです」

 それを聞くなり、生徒会長は書類に添付されたICカードの利用履歴を見た。

「そうですの……うちもご参拝いただいたのでしたら、仕方ないかと思いますが」

 急に声を落として説教もトーンダウンする。


 麻仁と同学年で生徒会長の八坂沙羅やさか さらもまた、父親が神社の宮司を務める。

 古都に構える神社の中でも、沙羅の家の神社は古刹として大層な賑わいを見せており、市街地からのアクセスの良さも手伝って、観光客が大挙して集まる、非常に『格上』の神社だ。そして学校の中でも彼女がそこの娘であるのは周知の事実だった。

 同業で同窓で巫女同士で、しかも好立地でもある沙羅の神社のことを考えると、彼女の強気で真面目でお堅い性格も相まって、勝手に麻仁が気後れしていた。

「とはいえ、ただ予算を配分して執行するだけが、会計職ではございませんわよ! ましてや副会長決裁も経ずに直接わたくしに通すなんて、クラスメイトだから私情が入っているのではありませんの? 貴船さんもわたくしのように緊張感を持っていただきたいですわ!」

「えっ、副会長決裁がまだ? ホントですか? すいません……」

 今日も今日とて、なにかにつけて会長に怒られてしまった。

 麻仁はしょぼんと肩を落として自分の席に戻ると、副会長が片目を閉じて小さく手を合わせ、謝罪のポーズを取っている。

 彼女の書類の審査が甘く、承認印も押さずに会長に送っていたのだ。

 麻仁はじっと座った目で睨み返す。

 もちろん本気で腹を立てているのではなく、三年生どうし生徒会の苦楽を共にした仲間への芝居のようなものだ。


 七月に入ると始まる期末テストに備えて、文化祭準備は夏休み前に一度佳境を迎える。生徒会メンバーは陽が落ち始め、空が茜に染まるまで活動した。

「あら、ずいぶん遅くなりましたわね。先生に鍵の返却もあるし、今日はこのあたりで帰りましょうか?」

 時計を見た沙羅が生徒会室で作業する仲間に作業の終了を促す。

「ほーい。そんじゃ、みんなお疲れさん」

 副会長は一番乗りで肩にカバンを掛けると、手を振って生徒会室を出た。

 他の生徒たちも帰宅の準備を始める。

 だが麻仁はすぐに帰らず、沙羅の座る席へ向かった。

「会長、ちょっとよろしいですか? じつはオカ研のことなんですけど……」

 机の書類を片づけていた沙羅は麻仁の声で手を止める。

「やっぱりオカ研の活動になにか問題でもございますの?」

「この街で水が枯れだしているって話題になってて、その調査みたいなんです。会長はそこの寺社仏閣はご存知ですか?」

「さぁ、そういうニュースは存じ上げませんわ。でも、それを敢えてわたくしに聞くということは、うちと貴船さんのお社の『龍信仰』と関係があるんですの?」


 同じ生徒会のよしみで、ともに神社の娘。親の家業の手伝いで巫女として奉職していることも、互いに承知している。もちろんそれは旧都のどこの社で、どの祭神を祀り、どういった由緒かもだ。

 理解の早そうな沙羅の返事に麻仁も黙ってうなずく。

「龍神様の信仰のあるお寺やお社で水が枯れ出してて、それはこの暑さと水不足が龍神様の結界になにか関係あるんじゃないかって言ってるんです……」

「しょせんは人々の噂など信仰とは無縁ですわ。そこに神様への畏敬の念がなければ、単なる面白おかしく脚色された都市伝説のひとつだと思いますけどね」

「そうですよね、やっぱり会長もそう思いますよね」

 沙羅からの意見は、立場や意見を近しくする者に背中を押されたようで、麻仁は安堵の表情を浮かべた。

 対する沙羅は指でくるくると縦巻きの髪をいじりながら、ウンザリとした様子で眉を寄せる。

「まったく、オカ研も研究会のくせに顧問がいるから、部と同じだけの予算があったり、部室があったりして……困ったものですわ」

「でも内容はどうあれ、ちゃんと文化祭を盛り上げるために発表してくれるから、いいんじゃないですか?」

 年頃の女の子らしからぬ方向に情熱を傾けて、楽しそうに部活動をしている級友の様子を知ってるので、麻仁も苦笑を浮かべる。

「貴船さんのご相談ってそれだったんですの?」

「はい、すいません。ありがとうございました」

 麻仁はぺこりと頭をさげて、生徒会室を出ていく。

 ドアの向こうから彼女の足音が消えるのを待って、沙羅はぽつりとつぶやく。

「市内の龍の寺社仏閣って……でも本当に関係あるとすれば心配な話ね。ちょっとわたくしも調査してみた方がいいかしら?」



 帰宅した麻仁は制服を脱ごうと思ったところで、壁に掛かる時計を見る。

 生徒会業務で時間が押してしまい、自宅兼神社の社務所を閉めて片づけをする時刻を過ぎていた。

「あーあ、またほとんどお勤めできなかった」

 慌てて巫女服に着替えると、社務所へと向かおうとした。

 その時、スマートフォンがメッセージを受信する。

 同じクラスの斉藤と小池からだ。

『さっき話したオカ研の調査に、神社の娘視点でぜひ付き合ってくれない? また新しい神社で水が枯れたって噂をゲットしたの』

 受験勉強も女の子らしい恋愛も、高校生活で最後の夏休みもどこへやら。

 相変わらずマイペースで元気な友人たちに呆れ笑いを浮かべながらも、麻仁は慎重に考えながら返信を打つ。

『お勤めを空けられるか、ほかの巫女さんに予定を聞いてみるね』

『サンキュー、テスト始まる前に行きたいから、この土日のどっちかでヨロシク!』

 急な日程の提案に仰天した麻仁は慌てて返信を送る。

『そんなすぐに? ふたりともテスト勉強は平気なの?』

『これからだよ。だから、ギリなこのタイミングで行くんじゃない』

 友として強く諫めるべきかもしれないが、でもたぶん言う事は聞かないし、確実にこの波に飲まれるのだろうと察すると、麻仁はうなだれてスマートフォンを置いた。


 とはいえ、六月末の夏越なごし大祓おおはらいと七月初旬の水祭りはこれから。

 ここにテストも加わり、さらに日延べするとなると、オカ研の調査日は七月の補講期間か終業式あたりになる。

 すると、今度は七月中旬に街全体をあげて行われる『神光祭しんこうさい』が待っていて、観光客が大挙してやってきたり、バスや電車も混雑するので身動きが取れない。

 やむなく友の言う通りに動かざるを得ないのだろうと思うと、麻仁は大きく嘆息した。

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