第10話 領都にて 公爵と娘

 ハラダ達の山賊討伐と同じ日の夕刻。

 領都にあるハンセンの道場で、銀色の鎧を纏い、肩まで伸ばした金髪と白く綺麗な歯が印象的な美人が剣を振っている。


「……九百九十九ッ……千ッ!」

 

 ハアハアと息が荒いものの、凛とした佇まいを崩さない若き女性騎士。

 稽古が終わり、剣を下ろして呼吸を整えた後、一人溜息をつく。


「はあ……ハンセン師匠はまだ帰ってこないのかしら? 達人なんてそう簡単に見つからないはずなのに。なんで、私はハンセン師匠を止めなかったのだろう……」


 つい愚痴も出る。


(師範代となったのはいいが、誰も稽古にこない静かな道場か……)


 信じたくない現実に女騎士はもう一度溜息をつく。


「ふぅ……皆、強くなる為にジアス流を習いに来ていた訳じゃなかったのね。ただ、箔をつけるためにジアス流派の一員になりたかっただけ。だから私が稽古量をちょっと増やして十倍にしたぐらいで、次の日から誰もこなくなったわ。まったく、やる気が無いのも困ったものよね……」


 稽古に来ない原因が、常識外の稽古量を押し付けた自分にあるとは、まったく気付いていない女騎士。


「ハンセン師匠、早く<トルネア村>から帰って来ないかな」


 一人つぶやいてみるが、広い道場に『ポツン』といる状況は変わらない。

 そのまま、夕刻の稽古終了時間になったので、女騎士は道場の戸締りをして外に出た。

 

「レイリーナ様。お迎えに参りました」


「ありがとう、ベッセル。今日も時間通りね」


 道場の前の道に白と黒の二頭の馬を引いた黒服の紳士が待っていた。

 年齢は五十代。細いが、ガッシリとした体で口ひげをたくわえた男。

 エルライヒ公爵家の筆頭執事であり、公爵付き秘書官でもあるべッセルである。

 レイリーナは白毛馬の手綱を受け取り、『ヒラリ』と馬に乗った。

 そして、ベッセルが乗ったことを確認してから並足で帰路につく。


「ベッセル、今日は何か変わったことあった?」


「はい、先ほどご主人様が予定より早く、王都よりお帰りなさいました」


「えっ、一週間も早いじゃない? 何かあったのかしら?」


 怪訝そうに眉をひそめるレイリーナ。


「さあ、私にはわかりかねますが、ご主人様からレイリーナ様宛に『今日の夕食は一緒にテーブルに着くように』との言伝を承りました」


「ますます、キナ臭いわね。逃げちゃおうかな?」


「レイリーナ様? 後が怖いのでおやめくださいね。お二人の戦いで廊下の内装がボロボロとか、思い出しただけで寒気がします」


 ベッセルは以前レイリーナが、食事会を無断キャンセルした時の顛末を、思い出して身震いした。


「あははは……確かに、この前の喧嘩はやりすぎたわね。廊下に飾ってあった国宝指定の壷が粉々になったもの」


「あれは流石のご主人様も、魂が抜けた顔をしておいででした。御自分で叩き壊したのですから、どうしようもありませんが」


 思い出しため息をつくベッセル。


「まあ、今回は逃げずに素直にテーブルに着くわよ。そうたびたび国宝を壊してたら家が潰れちゃうから」


「そうしていただけると助かります」


 そのまま話は道場の話に移り、レイリーナの話に移り、世間話を経て二人は屋敷に到着する。

 公爵の家だからといって、特別大きい訳ではなく中級貴族の邸宅程度である。


「要塞での仕事は窮屈だ! 酒も食事も満足にとれん!」


 そう言って、レイリーナの父親エルライヒ公 デルモントは、帰領中に王国防衛の要『要塞・エルライヒ城』をあまり使わず、ほとんどこの領都の屋敷で執政をしていた。

 山上の要塞には余剰物資はなく質素倹約に努めなくてはならない。もちろん酒も煙草も配給製で、それは公爵も例外ではないからだ。


「では、レイリーナ様すぐに夕食の用意をいたします」


 そう言ってベッセルは二頭の馬を厩番に引渡し、自身は屋敷勝手口に向った。

 レイリーナは玄関でメイドの出迎えを受けると、自室で着替え、広間のテーブルに向う。


 部屋に入ると、すでに長テーブルの反対側には父親のデルモントがいた。

 肩幅が広く背が高い。金髪で顔は二枚目だが、かなりゴツイ感じを受ける。威風堂々というのがピッタリの男だ。


 母親と幼い弟は王都にいるためこのテーブルには今、父娘二人しか座っていない。


「父上、お帰りなさいませ」


「うむ、今帰った。レイリーナ、変わりないか?」


「はい、これと言ってありません」


 ハンセン師匠や道場のことなど変化はあるのだが、レイリーナ自体には変わりがないので無いと答える。

 それを聞いたデルモントは少し眉をひそめた。


「そうか、変わりないか……。ところで、今王都で我がエルライヒ領の噂が広まっていることは知っているか?」


「いえ、噂には敏感ではないので知りません」


 薄々耳には入っているが、とぼけるレイリーナ。


「では、教えてやろう。『エルライヒ領の王室公認道場には弟子がいない。それは、道場主が弟子に負けて逃げ出したからだ』と」


「そんな! ハンセン師匠は逃げ出したのわけでは無いです! 自分を高めるために旅に出たのです!」


「ほう? では、道場主がいないのは事実なんだな?」


 『ハッ』っと口を押さえるレイリーナ。


「いいかレイリーナ、今のはまだマシな噂だ。他に悪い噂はいくつもある、「弟子が道場を乗っ取るために道場主を追い出した」とか「弟子が師匠を殺しして山に埋めた」他には「道場の若い男にフられた女騎士が乱入して道場の全員を半殺しにして追い出した」なんてのもな」


「……」


 レイリーナは歯を食いしばり悔しさをかみ殺す。今の道場の現状では言い返せない。

 その様子を見て、こめかみを指で抑え軽く溜息をついたデルモントはレイリーナに問いかける。


「はぁ……その様子では、噂の半分位は事実か? いいか、この噂は陛下の耳にも届いている。事実を話せレイリーナ」


「……はい」


 ハンセンが戦闘の達人を探しに冒険者の多い<トルネア村>に向ったこと。

 師範代を任された自分の稽古に門下生がついてきてくれないこと。

 レイリーナは正直に事実を述べた。


「なるほどな。女であるお前に師範代を取られたと思っている連中と、お前の厳しい稽古に嫌気がさした連中の噂に尾ひれがついた結果か。どうせお前のことだ稽古量を三倍とかにしたんだろう? 普通の人間は二倍でもヘロヘロになるからな」


(十倍ですとは言えない)


 レイリーナは自分のせいだったのかと初めて気付いた。

 その顔に驚きと悲壮感が同時に現れる。


「図星か……まあいい。この件、陛下から勅命をすでに頂いている」


「ちょ、勅命! そ、そんな重要なことですか!? こんな噂が!」


「そうだ。<こんな噂>が駄目なのだ。「王室と名のついた物に悪い噂が流れた」それだけで名誉を重んじる貴族達が騒ぐ。王室は名誉を与える側、それが傷つけば名誉を与えられる側の貴族の忠誠が揺らぐ」


「それで、その勅命とは……?」


 レイリーナはおそるおそる父デルモントに聞いた。


「勅命は二つ。ハンセンの「ジアス流騎士道場の閉鎖」と一つ枠の空いた「王室公認道場の認定公開試合」を子爵以上に推薦された各道場三名の勝ち抜き戦で行うというものだ」


「ええっ、噂の段階で閉鎖決定ですか!? そんなことしたら、どの道場も噂で潰れますよ!」


「噂だけじゃない。道場主の長期不在と弟子全員の欠席は本当だろう? その事実はお前に聞くまでも無く、王室からも聞かされているさ。この状況で王室密偵が動かないわけないからな」


「密偵まで動いていたのですね……」


 レイリーナの予想以上に、悪い方向に進んでいた。


「ああ。ただ、判明した情報の一つを聞いた陛下が『道場主の強くなりたいという姿勢だけは良い』と言って、認定公開試合へのハンセンと関係者の出場は認可するとされたのだ」


「それでは、その試合に参加して勝てば再認定されると?」


「そうだ試合は三ヶ月後だ。私が推薦する。ハンセンには領都騎士団の剣術指南もしてもらっているし、本人の知らない内に道場が消えるのはしのびないからな」


「だから、早く帰ってきてくれたのですね。わかりました! 私が師匠を連れて帰り、一緒に試合に出て道場の看板を取り返して見せます!!」


 予想はしていたが、やはり出場すると言う娘に、一抹の不安がよぎるデルモント。


「い、いやお前が出ることもないんだぞ? 道場別で一人勝ち残ればいいんだ。だから一人でも出場できる、お前が出る必要は無いじゃないか、ハンセンさえ試合に出ればいいのだから」


「道場別三名での出場でしょ? そうならハンセン師匠と私が出場すれば、勝率はグンと上がるもの」


「たしかにそうだが、世の中にはとんでもない達人もいる……お前が傷つくところはみたくない」


 公爵も人の親、心配もする。


「なに言っているのですか。ここに私を強くした最大級の剣の達人がいるじゃないの。お父様に比べたら他の達人なんて虫よ虫」


 ただ、この娘はその父親の扱いには慣れていた。


「そ、そうか? そう言われると大丈夫な気がしてきたな……」


 簡単に丸め込まれた公爵 デルモント。


「そうよ、大丈夫だから今から旅の準備して明日の朝には家を出るわ!」


「よし! わかった。じゃあ行って来い!」


「はい!」


 最後には意気投合して盛り上がる二人。


(はぁ……)


結局最後ノリで決めてしまった父と娘を側で見ていたベッセルは、心の中で小さな溜息を吐くのであった。

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