国際警察アヤノ・ドロイ

 本棚を物色しためいは「毛鹿の歩み」という本を取り出した。厚さはさほどでもなく、表紙には馬に跨る騎手のカラー写真が大きく写し出されている。発行年度は六年前だ。


 席についためいは左手を使って「毛鹿の歩み」をめくった。そこには毛鹿牧場で生産された歴代名馬たちの活躍が、関係者のインタビューなどを交えて綴られていた。それらを適当に読み飛ばしためいは、「モウカノホシ」のページに行きついた。

 モウカノホシの略歴図に目を通しためいは、引退後の所有権が移り変わっていることに気づいた。現役中までは毛鹿牧場が保有していたが、引退後、鮫洲浩人さめずひろとという馬主が買い取っている。そして種牡馬生活を送った後、八歳で死亡している。


 モウカノホシの血統は、買い取られる前に毛鹿牧場所有の牝馬と交配して生まれた産駒を通じて、この牧場に現在まで残っているらしい。今繋養けいようされている繁殖牝馬にも、その血を引く馬がいる。


 鮫洲浩人。めいはこの人物をスマホで調べてみた。この人物は、梅花皮かいらぎナチュラルフードという健康食品会社を経営する傍ら、馬主業もやっているらしい。


「健康食品会社……」


 岩倉が言っていた「健康食品会社の社長」というのは、この鮫洲浩人のことではないのか。そう思って調べてみたら……ビンゴだった。大手競馬ポータルサイトのデータベースを参照してみたところ、かつてモウカノホシを買い取った鮫洲浩人なる人物が、今度はモウカノホシの血を引く馬を複数頭買い取っている。

 基本的に所有馬をそうそう売らない毛鹿牧場にわざわざ頼み込んで、評価が芳しくない馬を一度に何頭も買い取るのは、門外漢のめいでも不自然に思う。その上さらに不自然なのは、岩倉の口ぶりからして、足元を見て安く買い叩いたのではなさそうなことだ。


 ――何だか、妙だ。

 

 何と何がどう関係しているのかはわからないが、妙なつながりを思わせる。だが、これを深堀したところで、比奈救出の手がかりになるのかどうか……


「ハロー、酒呑坂めいさん。ワタシとお茶しない?」


 突然、女の声がした。さっきの小手川妻ではない。しかも……声がしたのは真上からだ!


「えっ、誰!?」


 上を向くと、東側の高窓から上半身だけがニョキッと


 それはオリーブグリーンのトレンチコートを羽織った、金髪の若い女だった。あまりにも不審すぎるその女は、めいと視線が合うなり、ニッと口角を吊り上げて微笑んだ。そしてそのまま、窓の向こう側へと引っ込んでしまった。


「なっ、何あれ!? 妖怪!?」


 怪しい。怪しすぎる。不審者というより、まるで妖怪のようだ。

 追わなきゃ……そう思っためいは、急いで本棚に本を戻し、その足で資料館を出た。

 自動ドアを出て東側に回ると、そこにはさっきのトレンチコート金髪女が、まるでめいのことを待ち受けるかのように立っていた。高窓から上半身だけ突っ込んでいたあれは妖怪などではない、れっきとした人間だったのだ。背筋がぴんと伸びていて、パンツスーツに包まれた脚はすらっと長い。渡辺比奈に負けず劣らずの、スタイル抜群美女だった。


「ごめんなさい……酒呑坂めいさんが思っていたより素敵な女性だったものでつい……初めまして。ワタシはインターポールの刑事アヤノ・ドロイといいます」


 アヤノ・ドロイと名乗った若い女は、うやうやしくお辞儀をすると、懐から黒い警察手帳のようなものを取り出して見せてきた。言われてみれば、スーツの上にトレンチコートを羽織るという装いは典型的な刑事ファッションだ。


「インターポールって……国際刑事警察でしたっけ」


 インターポール。映画でしか見たことのないものだ。自分の人生には、一生縁のない組織だと思っていた。比奈がここにいれば、きっと目を輝かせて質問攻めにしたであろう。そんなものがいきなり、しかもあんな不審者マシマシな登場の仕方をするとは……


「その通り。ワタシは国際刑事警察機構のアスクレピオス対策課に属しているの」

「アスクレピオス対策課?」


 妙なワードが、この金髪女の口から飛び出してきた。だが、今のめいに必要なのはとにかく情報である。怪しい人物だが……いや、怪しいからこそ、通常得られない情報を得られる可能性があるのだ。


「ああ、まずアスクレピオスって組織のことから説明しないといけないわね……アスクレピオスっていうのは世界中のマッドサイエンティストが集まった秘密結社なの。まぁ……言ってしまえば典型的な“悪の組織”ってヤツね」

「悪の組織? 仮面ライダーのショッカーみたいな?」

「まぁ……それに近いかもしれないわね。あっ、失礼。糖分補給しなきゃ」


 そう言って、アヤノは懐から半透明の緑色をした細長い容器を取り出した。それは駄菓子の粒ラムネだった。アヤノは容器から直接、ざらざらっと粒ラムネを口の中に流し込み、ガリッボリッと音を立てて噛み砕いた。

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