本山金二郎の息子

 毛鹿牧場の門が見えてきた。空はすでに茜色に染まっていた。この時間帯になるとさすがに結構冷える。ダウンジャケットを着てきて本当によかった。

 門の前に、濃紺のダッフルコートを羽織った若い男が立っている。男はこっちに手を振っていた。その傍には赤い軽自動車が停まっている。

 車の窓を開けると、男は駆け足で近づいてきた。


「初めまして、酒呑坂めいさん。父が世話になっています」

「父、ですか?」

「実は僕、本山金二郎の息子なんです」


 息子の登場とは驚いた。一体何の用事で牧場前までやってきたのだろうか。父とは似ても似つかない、色白高身長のさわやかな青年だ。


「実は父の銃を合法的に取り戻せるかもしれないのです。銃を手に入れ次第、クビオリ討伐のための偵察に出かけたいそうで……この車に乗っていただけますか」

「分かりました。でも今ちょっと今買い物にいったばっかりで……ちょっと待っていただけますか?」

「はい。ここで待ってます」


 取り敢えず、車に乗せてある酒とツマミを全て下ろさないといけない。めいは駐車場に車を停めると、急いで荷を運び出した。何本も酒を買ってしまったので、さすがに重たかった。

 荷物を自室に運び終え、門を出ためい。青年は車の傍で煙草をふかしていた。青年はめいの姿を認めるなり、携帯灰皿で煙草の火を急いで消した。

 

「お待たせしました」

「いいえ、それじゃあ行きましょう」


 めいは青年に導かれるまま、軽自動車の助手席に乗り込んだ。銃を取り戻せるのなら、それに越したことはない。あの老人は気難しそうだが、長年積み重ねたクマ撃ちとしての経験がある。そしてそれは、めいに欠けたものであった。


 車はさっきのスーパーへ行く方向とは逆の方へ走り出した。車内には煙草の匂いがしみついている。めいは酒は好きだが煙草は嫌いで、この匂いは不愉快だった。青年の腕に目をやると、銀色のごっつい腕時計を左腕に巻いていた。


「うちの父、元気でしたか?」

「ええ、まぁ……元気そうでしたよ」

「そうですか。それはよかったです。最近はちょっと調子が悪そうなので……僕も普段は札幌で仕事してるので、あんまり会えてないんです」


 めいは昼間の本山の言葉を思い出した。あのとき、本山は銃を警察に没収されたと言っていた。調子が悪いのもそのせいなのだろうか。


「そうなんですか」

「元気そうって言葉を聞けてよかったです」


 その後、二人の間にはしばし沈黙が流れた。その沈黙を破ったのは、ポケットに仕舞われていためいのスマホの振動であった。誰かが電話をかけてきたのだ。


「あの、酒呑坂さん。岩倉です」


 かけてきた相手は、事務の岩倉だった。

 

「はい、酒呑坂です」

「管理人室で貸し出している社用車の鍵なんですけど、返却し忘れてませんか?」

「あー、ごめんなさい。今本山さんの息子さんがいらしてて、その方の車に乗せてもらってます」


 ポケットをごそごそ漁ると、中には岩倉の言う通り借りっぱなしになっていた社用車のキーがあった。やってしまった、と思った。何だか色々ありすぎて、脳の処理能力が限界を迎えているのか。注意力が散漫になっていて、たいへんよろしくない。


「その人……誰ですか?」

「えっ……」


 岩倉の声色が、急に変わった。お化けだか幽霊だかを見た人間が発するような、不穏さをいっぱいに含んだ声だ。


「あの……酒呑坂さん。おやっさんに息子はいません」


 めいの首筋に、冷たい汗がどろっと流れた。次の瞬間、めいの体はほぼ反射的に動いた。素早くシートベルトを外し、そのまま走行中の車から飛び出たのだ。

 めいの体は、そのまま草地の上にころころ転げた。立ち上がっためいは、青年の車が旋回してこちらに向かってきているのを目で捉えた。停車した車の運転席ドアが開き、本山の息子を自称していた例の青年が降りてくる。


「はっはっは、バレちゃあしょうがない」


 車を降りてきた青年は、その手に拳銃をもっていた。


 ――こいつ、る気だ!


 まだ距離は詰められていない。聞いた話によると拳銃は五メートル以上離れると命中率が落ちるという。それに今は黄昏時だ。銃の狙いもつけづらいだろう。このまま走って後方の林に逃げ込めば撒けるかもしれない。

 めいは林に向かって駆け出した。ちょうどそのとき、ぱぁんと乾いた銃声が響いた。発砲してきたのだ。


「ホントは色々情報提供ゲロってもらってから殺そうと思ったけど、しょうがない。今ここで死ね!」


 二発目が発砲された。運がよいことに、めいの体にはかすりもしなかった。が、この音はめいを恐れさせるには十分だった。正面切っての殴り合いなら無敵に近いめいでも、さすがに銃を持ち出されては立ち向かえない。

 ざっざっざっざっ、と、めいは草を踏みながらひたすら走った。すると、背後からも同じように、ざっざっざっざっ、という音が聞こえてきた。青年が追いかけてきているのだ。

 めいはそのまま、林の中に飛び込んだ。三発目の銃声が聞こえたが、めいの体は無事だ。拳銃の装弾数はわからないが、できればこのまま弾を使い切ってほしい。銃さえなければ、殴り合いに持ち込んで勝てる。


 走って走って、突っ走った。青年は諦めず追いかけてくる。林の中を突っ切っためいは、水の澄んだ川に突き当たった。

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