クビオリの実態

「あいつの袈裟懸け模様がないし、第一小さすぎるべ。クビオリはもっと大きい。三メートルはある」


 その言葉を聞いて、めいは恐れ入った。この大きさで「小さすぎる」とは……


「そういえば、どうしてクビオリって呼ぶんですか?」


 率直な疑問だった。首折り……クマの名前としてはあまりにもおどろおどろしいその名前は、めいの興味を強く引いた。


「馬の首ばへし折るぐらい力がつえぇからだ。去年、別の牧場でそったらことがあった」


 めいは騎射競技大会で見たサラブレッドたちを思い出した。あんな立派な体をした生き物が一撃でやられるなんて信じられない。ヒグマという生き物の恐ろしさに、さっき撲殺した身にもかかわらず身震いした。自分がクマを撲殺できるのは実態不明な謎の力があるからで、普通の人間などクマにとってはノロマな生肉に過ぎないのだ。


「馬もべこも、ヒグマには勝てん。べこは立ち向がうこともあるけども、馬はてんでだめだ。」


 そこから、本山は「クビオリ」というヒグマについて語り出した。


 「クビオリ」がこの辺りに現れ出したのは、一昨年のことだという。すでに三メートル近い巨躯を誇っていたこのヒグマは、体が大きすぎて冬眠できなくなり、山から下りてきて畑を荒らし始めた。

 クビオリは大きくて荒っぽいだけでなく、恐ろしいほど頭の回るヒグマだった。武器をもった猟友会のハンターたちが出動すると、足早に山へ隠れてしまう。山はクマのホームグランドであり、ハンター数人がかりでも尻尾をつかめなかった。

 人の被害が出たのは、去年の年末のことだった。野外で作業中の老夫婦に襲いかかり、食い殺したのだ。老婆を咥えて何処かへ歩いてゆくのを、老夫婦の孫が目撃し動画を撮影している。物陰から動画を撮ること以外何もできなかった孫は、泣きながら親に動画を見せたという。

 去年も今年も、クビオリは思う存分暴れ回った。人を食い殺し、家畜を襲い、畑や穀倉を荒らすその様が、どれほど人々を恐怖させたかは言うまでもない。釧路と三毛別は遠く離れているが、それでも人々は「三毛別の悪魔の再来」「六線沢の暴君が悪霊となって取り憑いている」などと噂し合った。我が国最大最悪の獣害事件「三毛別羆事件」を思い起こさせるに十分な暴れ様を、クビオリは人間どもに見せつけたのである。


「今の俺には銃がねぇ」

「えっ」

「警察に没収された。なもんで、俺にできるのは案内することだけだ。悔しいが、実戦はおさ委ねるしかねぇ」


 言い終わると、本山は「ちっ」と悔しげに舌打ちした。


「今日はヒグマの解体ば手伝ったらけぇる。刃物くれんか」


 本山は近くにいた岩倉に要求した。岩倉は「はい。お待ちを」と返事をして、事務所に引っ込んでいった。


 岩倉を見送っためいは、ポケットの中でスマホが振動したのを感じた。見ると、新堀月菜からメッセージの返信が来ていた。


「はい。その通りです。モウカノホシは引退して種牡馬になったんですが、そこからすぐに死んでしまったんです。一応産駒はいますが、大した成績は残せなかったみたいです」


 これ以上メッセージを送ると月菜の負担になりそうな気がしたので、スタンプを押して返信の代わりとした。


 その後、めいは社用車に乗り込み牧場を出発した。最寄りのスーパーは車で五十分ほどのところにある。道中にはコンビニ一つない。鮫死森荘にいた頃は徒歩十分程度のところにスーパーがあったことを思うと、不便にも程があろう。とはいえ無償で住居を提供してもらっている身であるから文句は言えない。

 スーパーマーケットは思いのほか広く、駐車場には車がたくさん停まっていた。車を降りてスーパーに足を踏み入れためいは、さっそくスルメやらビーフジャーキーやら、酒のツマミになるものを大量に買い物カゴに入れた。そして……


「やっぱり外せないよね。北海道のお酒♡」


 北の大地の酒が、まるで誘蛾灯のようにめいを誘い込んだ。酒売り場の前でらんらんと目を輝かせ、滝のようなよだれを垂れながら、この酒乱女は酒類を物色したのであった。棚には見たこともない地酒が並んでおり、めいは片っ端からカゴに放り込んだ。

 今は非常時である、ということも忘れて酒をドッサリ買い込んだめいは、それを社用車に積み込んでスーパーを後にしたのであった。

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