危険なものには利用価値がある

 藤沢支部に、珍しい来客があった。銀の長髪に優しげな目鼻立ちをした、女性的な美貌をもつ青年。ちひろが抜き身の刃だとすれば、この青年は美しい有毒植物のような雰囲気をもっている。くるんと巻いた長いまつ毛の下にはちひろと同じように真っ赤な瞳があり、目尻はやや垂れていて、左目の目尻下に泣きぼくろがある。

 黒い詰襟に身を包み、軍帽をかぶるこの青年、鱶川ネムリはちひろの従弟である。この青年もちひろと同様に鱶川一族の末席に名を連ね、支部長の任を賜っている。

 応接間に通された彼は、テーブルを挟んでちひろと向かい合う形で話をしていた。深々と腰かけているちひろに対して、この青年は前かがみに座っていた。


「オレを狙ってた例の連中、全部片づけてくれたんだってな。あんがとよ」

「ええ。それもこれも、彼らがあなたを狙っていてくれたおかげです。こちらこそ感謝したいところなんですよ。ところで……」


 ネムリは自らのほっそりとした指同士を絡めて、両手をぎゅっと組んだ。


「あなたが懇意にしている娘さんのことです。確かに彼女はカタギの人間ですが……手を出すのは危険では?」

「ああ、美香みかのことか?」


 美香というのは、ちひろと懇ろの女である。ネムリが懸念していることを、ちひろは察していた。

 美香……谷川美香は、海運の大手である谷川商船の社長令嬢である。くわえて彼女は某国会議員の息子と婚約しており、ちひろとの肉体関係が公になると非常に困る立場にある。


「他人の色恋に口を出すのは野暮だということは理解しています。ですが事がこじれれば姉さんも危ないのでは」

「そのくらい分かってるさ。議員サマと谷川商船の両方を敵に回せば、オレの首が物理的に飛ぶかもしれねェ……って、心配してんだろ?」

「ええ、彼らは障害を排除するためならどんな手でも使うでしょうから」


 ネムリの話を聞きながら、ちひろは脚を組み直した。


「確かに美香はそういう危険を呼び込む可能性ある女だ。だがな、危険なものほど利用価値はあんだよ」

「利用価値、とは」

「すでに美香はオレに心酔してる。もし彼女が結婚を前にしてゴネてくれりゃあ谷川と議員サマの間に亀裂が入るだろ?」

「なるほど、谷川商船の政治力が削がれれば、伯父さんの箕作みつくり海運を利することになる……と。なるほど。虎穴に入らずんば虎子を得ず。昔の人はよい言葉を残したものです」

「そういうこったよ」


 ネムリの伏し目がちな目が、ぱたりと閉じた。彼なりに、従姉の深謀遠慮に感じ入っているようだ……と思いきや、すぅすぅと寝息を立て始めた。本当に眠ってしまったのだ。ちひろは「こんなところで寝るなよ」と言いながら、目の前で寝息を立てるネムリの頬をぺしぺし叩いた。


「いやはや……申し訳ない」

「ま、あいつとの関係は決して打算だけじゃねェ。オレなりにあいつのこと気に入ってンだよ。オモチャとしてな」

「ふふ、谷川商船の令嬢をオモチャ呼ばわりとはこれまた不遜ですね。実に姉さんらしい」

「あいつ、根本的に構ってちゃんなんだよな。ちょっとでも嫌なことあるとすぐにめそめそ泣いて周りの同情ひいて、それでなんとかしてきたって類の女だよ。ツラもいいから周りもほっとかないだろうしな」

「面倒そうというか……あまり周りにはいてほしくないタイプの人間ですね」

「まぁ、ツラもカラダもいいし、上等なオモチャだよ」


 ははっ、と笑いながら、ちひろは手元の缶を手にとり、ブラックコーヒーを一気に飲み干した。

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