幕間 鱶川ちひろ

拳銃は好まない

 郊外のとある一軒家。ここは、鱶川家の所有する別邸である。

 その二階にある寝室のベッドに、鱶川ちひろは腰かけていた。ベッドの上にはもう一人、横になっている女がいる。ちひろはすでに服を着ているが、もう一人の女は裸体の上に掛け布団をかけている。ちひろの白い頬を、窓から投じられる朝日が照らしていた。


「あの……私なんかを抱いてくださって、どうお礼をしたらいいか……」

「私なんか、とか二度と言うんじゃねェ。あんたを選んだオレの目が曇ってることになるだろ」

「ご、ごめんなさい」


 自信なさげにこぼした女を、ちひろは背を向けたままたしなめた。「はぁ」と一息ついてから、ちひろは言葉を続けた。


「まぁいいよ。人間、そうそうすぐ変われるモンじゃあねェしな……」


 ちひろが立ち上がったちょうどそのとき、下の階から「ぎゃっ」という男の声がした。この家には、ちひろと女、二人しかいないはずなのに。

 声を聞くや否や、ちひろの顔つきが変わった。女を抱く恋人Loverの顔から、命のやり取りを行う戦士warriorの顔へと。


「ど、泥棒ですか!?」

「ちっ……やっぱりな」


 ちひろの背後で、女は肉食獣に睨まれた小動物のように震えている。そんな女に構うことなく、ちひろは床に置いてあるショルダーポーチから回転式拳銃リボルバーを取り出し、素早く戸を開け放って廊下に出た。

 二階の廊下から階段の下を見ると、そこには足にが刺さって苦しんでいる黒づくめの男の姿があった。男の手には、オート式の拳銃が握られている。

 ちひろは迷うことなく、男に向けて引き金を引いた。乾いた銃声とともに、筒口が煙を吐く。男の胸には風穴があき、大の字になって仰向けに倒れた。


「これだから拳銃ハジキは嫌いなんだよ。うるさくてたまんねェからな」


 ちひろはこの襲撃を察知していた。だから侵入者に備えて、階段の下にまきびしを撒いておいたのだ。 

 バッグに入っていたちひろのスマートフォンが、通知音を発した。相手はアスクレピオスの下っ端戦闘員だ。


「一人逃してそちらに行きました! 申し訳ございません!」

「ああ、大丈夫だ。その一人はさっきった」


 男の声は切迫している。命のやり取りをした後なのだから当然だろう。どうやら敵対する組織が送り込んだ鉄砲玉との戦闘があったようだ。ちひろの行先も、敵組織につかまれていたようだ。


「さて……」


 ちひろは銃を握ったまま、寝室に戻った。そして、ベッドの上で上体だけ起こしている女に向かって、その銃口を向けた。


「あんた、やってくれるじゃねェか。奴らにオレを売ったな?」

「ひっ……し、知りません!」


 ちひろの指は、拳銃の引き金にかかっている。この指先一つで、女の眉間に穴があく。女は首をぶんぶん振って、声をうわずらせながら否定した。

 二人の間に、しばし沈黙が流れた。ちひろの真っ赤な瞳は、瞬きもなく女を睨みつけている。対する女は、額の汗を拭うことさえせず固まっていた。蛇に睨まれた蛙とは、まさしくこのことだ。


「……なんてな。あんたはシロだ」


 ちひろはゆっくりと、銃を下ろした。女の緊張は、糸を切ったかのようにふっと解けた。


「オレはこれでも用心深い方でな、あんたがカタギの人間ってことはちゃんと調べがついてる。大方、あんたはにされたんだろ。あんたをつけときゃオレに行き当たるって思われたに違いねェ」

「ご、ごめんなさい……迷惑かけて……私のせいで……」

「そう怯えたツラすんなよ。ホホジロザメに食われるラッコじゃねェんだから」


 ちひろは拳銃をポケットにしまい、女の隣に腰かけた。女の目は潤んでいて、今にも泣きだしそうだ。


「危ない目に遭わせちまったな……送ってってやろうか?」

「……また、会ってくださいますか?」

「また銃声を聞くハメになってもか?」

「……はい。銃声よりも、ちひろさんと別れることの方が怖いです」


 ちひろは聞き慣れているが、一般人にとって銃声は恐怖の対象だ。さっきの銃声を聞いたときだって、この女は本気で震えていた。それにもかかわらず……この答えだ。


「はっ、あんたも大概イカレてやがるな。嫌いじゃねェ」


 ちひろは女の細首に腕を回した。女の頬はすっかり上気していて、ほんのりと朱色に変わっている。

 二人はそのまま、互いの唇を重ねた。

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