デボン紀の絶対強者

「何……あれ……」


 めいは言葉を失った。岩礁のすぐ近くに、巨大な王冠のような水柱が立っていた。その中から、先ほどのサメとは比べ物にならないほど巨大な生き物が飛び出したのだ。

 巨大生物の大きく裂けた口には、先のヒラシュモクザメが咥えられていた。どでっ腹を咥えられたヒラシュモクザメはじたばたと体をくねらせて抵抗しているが、そんな努力も虚しく、腹を食いちぎられて頭と尾に分かたれてしまった。

 ヒラシュモクザメの腹を食らった巨大生物は、そのまま海中にダイブした。周囲にまき散らされた水しぶきは、めいと比奈にも雨のように降り注いだ。


「あれ何……? もしかしてあれもサメなの?」

「……ウソでしょ……ダンクルオステウスに見えた……」

「ひなちゃんあれ知ってるの? その……ダンクル何とかっていうのは?」

「古生代デボン紀最大最強の肉食魚だよ! 今の地球上にいるはずないのに!」

「ひなちゃんそういう生き物詳しいよね……」


 比奈が早口で語った通り、ダンクルオステウスは古生代デボン紀に登場した魚類だ。板皮類ばんぴるいという原始的な魚類のグループに属する本種は頭部を重厚な硬組織で覆われ、強力な顎で獲物をかみ砕いて捕食していたとされる。その反面、体の後半部の骨格は分解されやすい軟骨が主体であったとされるため、現存するダンクルオステウスの化石は頭部のものに限られている。推測ではサメに似た体つきをしていたとされるが……今目の前に現れたダンクルオステウスは、その通りサメのような流線型の体をもっていた。


 海面からは、巨大生物の背びれが突き出ている。サメのような三角ではなく、半円に近い背びれだ。その背びれは、岩礁の周りをゆっくりと回っている。まるで、岩礁に登った二人を狙っているかのように……


「どうしよう……このダンクル何とかって魚全然いなくなってくれないよ……」

「もしかしてヒラシュモクザメを食べただけじゃ物足りなかったのかも……」


 この岩礁は決して大きくない。二人で身を寄せ合って座れば、それで精一杯だ。そんな頼りない岩礁が、二人の命綱となっている。

 最悪だった。さっきのヒラシュモクザメの何倍もありそうな体格の怪魚に命を狙われている。ナンパ男に狙われ、サメに狙われ、今度は絶滅したはずの巨大生物に狙われるなんて、災難もいいところだ。


「ねぇ、めいちゃん」

「ん?」

「この岩礁さ、だんだん小さくなってない? もしかして……これから潮が満ちてくるんじゃあ……」


 さっきは岩礁に腰かけていても、足が海水に浸ることはなかった。けれども今は、くるぶしまでが海水に浸かっている。これは命綱である岩礁が、どんどん海中に没していくことを意味しているのではないか。

 焦っためいは、横目で比奈の顔を見た。比奈もまた、恐怖で表情をひきつらせている。こんな状況に置かれて、平静でいられるはずもない。

 

「どうしよう……どうすれば……」


 めいが天を仰ぎ見て嘆いた、そのとき――


「わっ!」


 岩礁に向かって、海面からダンクルオステウスが顔を突き出してきた。サメ一匹丸々咥えることのできる大口を開いて、岩の上の非力な陸生哺乳類を食わんと襲いかかってきたのである。シュモクザメの胴体を真っ二つにしてしまうような顎だ。こんなのに噛まれれば、ボブ・サップがリンゴを握りつぶすようにぐしゃりとやられて終わりだ。

 二人はダンクルオステウスの口に咥えられこそしなかったが、その大きな頭部に頭突きされるような形になり、そのまま海中に尻からダイブしてしまった。突き落とされたのだ。


「ひ、ひなちゃん手!」

「あ、ありがと……」


 岩礁に近かっためいは比奈の手を引っ張り、空いている左手で岩をつかんだ。ダンクルオステウスは再び海中に身を潜めると、ゆっくりと岩礁を回るようにして近づいてくる。この巨大魚、体が重いのか泳ぎは遅いようだ。サメのように素早く獲物を追いかける生き物ではないらしい。

 ダンクルオステウスが再び大口を開ける。口の中に海水が流れ込み、ひなの体がその流れに持っていかれそうになった……が、岩礁に登っためいが間一髪のところで比奈を引っ張り上げた。 

 

「ひなちゃん、あのダンクル何とかっていうやつ、どこが弱点か知ってる……?」

「あれと戦うっていうの? ……それなら……胸から後ろは軟骨しか通ってないと思うから……叩くならそこだと思う」

「あたし……ひなちゃんのこと、絶対守るから」


 めいは岩礁の上に仁王立ちし、スキットルを傾けて中身を一気に飲み干した。こんな非常時に飲酒とは何をのんきな、と思われるかも知れないが、これは彼女のの表明であった。

 アルコールが体内に満ち満ちてゆく。サメを裂いたときも、ホッキョクグマを撃退したときも、酒の入った状態だった。あの巨大なモンスターに立ち向かうためには、酒の力これが必要なのだ。

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