トンカチ頭のシャークパニック

「またサメ!? ウソでしょ!?」


 よく見ると、サメは一匹ではなかった。二、三、四……ざっと見ただけで五匹のサメが、浅いところを泳ぎ回っている。どれもかなり大きく、三メートル以上はありそうだ。その左右に張り出した独特な形の頭部に、めいは見覚えがあった。


 ――これ、シュモクザメだ!


 そう、サプライズシャークならぬ、サプライズハンマーヘッドシャークの登場である。


「ひなちゃん! どこ!?」


 めいの懸念事項はそれであった。比奈の姿がどこにも見当たらない。視線を左右に振ると、比奈はさほど遠くまで行っていなかった。

 比奈は一心不乱に、どこかへ向かって泳いでいる。岸には向かってない。比奈の向かう先を目で追うと、そこには海面から突き出た岩礁があった。岸までは遠い。岸まで逃げるのを諦め、そこでやり過ごそうというのだろう。


「ど、どうしよう……」


 めい自身も逃げ遅れてしまった。海中に取り残されているのは、今やめいと比奈だけだ。サメはパニックを起こしているのか、くねくねとやたらめったに泳ぎ回っている。その矛先がいつ、めいや比奈に向くかわかったものではない。

 砂浜に逃げて助けを呼ぶべきか……しかしその行く手を塞ぐように、二匹のシュモクザメが岸側の浅瀬を泳ぎ回っている。少しばかり悩んだ結果、めいは比奈と同じ選択をした。


 めいは比奈の背を追うように泳ぎ出した。必死に泳いで、ようやく比奈の背を捉えた。だがその足元に、水のうねりを感じた。


 ――サメが追ってきている!


 今度は水中だ。ホッキョクグマと戦ったようにはいかない。泳いでいる途中に噛まれでもしたらタイヘンだ。あの男のように片脚を持っていかれるかも知れないし、そうでなくても重傷を負わされる危険が高い。

 先を行く比奈は、一足先に岩礁へと登った。めいも追いつこうとするが、何かが猛スピードで接近してきていた。


 ――このままじゃ追いつかれる!


 ……そのとき、ふっ、と、追ってくるものの気配が消えた。諦めてくれたのだろうか。とにかく、助かった。めいは息を切らしながら、ごつごつとした岩肌をつかんで岩礁をよじ登った。


「ヒラシュモクザメ……逃げたみたい」

「え? 平社員?」

「ヒラシュモクザメだよ。さっきめいちゃんを追っかけてたの」


 岩礁に登っためいに、比奈は追ってきていた者の名を教えた。


 ヒラシュモクザメ。メジロザメ目シュモクザメ科に属するサメである。最大で全長六メートルにもなるかなり大型のサメだ。人間を餌とみなす可能性こそ低いものの、人間と出くわすとパニックを起こし、防衛本能から攻撃を仕掛けてくる危険がある。


 めいは岩礁の周りを見渡してみた。もうトンカチ頭の姿はどこにもない。こんな透明な水の下で巨体のサメが身を隠すなど不可能であるから、どこかへ行ってしまったのだろう。


「多分、迷い込んできちゃったんだろうね……それで人間にばったり出会っちゃったもんだから、私たちを敵だと思って追い払おうとしたのかも……」


 比奈はサメを憐れむように呟いた。こんな状況でサメを思いやれる者はそう多くない。やっぱり比奈は善人なのだ。時々イタズラっぽくはなるけれど。

 めいは岸ではなく、沖の方を見つめた。青い海の中に立つ白い波が、さんさんと降り注ぐ陽光を浴びてきらきら輝いている。紛れもない、非日常の風景だった。


「めいちゃん、ごめん。サメに食われるような恰好を私がさせちゃったから……縁起悪いよね」

「ううん、ひなちゃんのせいなんかじゃない。それよりひなちゃん」

「ん?」

「ありがとうね。旅行、一緒に来てくれて……」


 サメの腹からダイヤモンドを手に入れたことと、比奈が提案に乗ってくれたこと……二つの幸運が重なって、今ここにいるのだ。比奈のような外見も内面も優れた女を、世の殿方たちが捨て置くはずもない。彼氏がいたとてちっともおかしくないのだ。それなのに、彼女は一時疎遠になっていた相手との女二人旅に快く乗ってくれた。感謝してもしきれない。


「いやいやこっちこそ、めいちゃんに誘われてほんと嬉しかったんだぁ」


 その言葉に感極まっためいは、目尻が潤むのを感じ取った。


 ……そんな彼女の感傷を、ざばあっという大きな水しぶきが妨害した。

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