第30話 30合目
そんなこんなで、俺たちはしばらく歓談しつつ休憩を取る。そして、徐々に日が傾いてくると夕食の用意に掛かる事にした。ちなみに既に外は吹雪になっていて、調理はテントの入口に設けられたフライシートの内側で行っている。
朝と同様に鍋にモルテが魔法で水をたっぷりと注ぎ、その後火魔法で沸騰させた。
俺はそこにコーンパウダーを入れてかき混ぜる。トロリとしてきたところで味を見た。うん、いい出来だな。
俺はそこに乾燥させた野菜とライス、それからチーズを放り込んで、良い感じになるまで煮込んだ。
しばらくすれば高カロリーなスープリゾットの完成だ。味は・・・まぁ大味だろうが悪くはないはず。
「ちょっと味見してみてくれるか? シエルハちゃん、ちょっと食べてみてくれ。どうだ?」
「!? めちゃくちゃ美味しいです! 朝もそうでしたけど、何でこんなにお料理が上手いんですか!?」
「そうなんだよなあ。なぜか山で食べる飯って美味いんだよなあ」
「いえいえ! そうでなくてですね、私もキツネ族なので、他の方に登山食をふるまって頂くことは多いのですが、これほどの味に出会った事はありませんよ!?」
えらい大げさだなあ。そりゃあ誰も飯を作ってくれなかったから多少料理の心得はあるが、登山食なんて誰が作っても一緒の味だろうに。
「社交辞令ありがとさん。さ、そんなことよりみんなお腹が減ったろう。冷めないうちに食べよう」
そうじゃないのに~、とシエルハちゃんが何やらブツブツと言っていたが、最後に大きくため息を吐くと、俺とモルテにスープリゾットをよそってくれた。
一口食べてみる。うん、美味い! モルテの方を見ると、やはり「美味いのじゃ~」と上機嫌である。よし、成功だな。だが、あんまりガツガツと勢いよく食べるわけにはいかない。俺たちは逸(はや)る気持ちを抑えて、ゆっくりと咀嚼し、それから胃の腑へと落としてゆく。
「何度も言うが、標高が高くなると消化器官の働きが弱まる。急にたくさんの食べ物を胃に送っても消化できないんだ。だから、よく噛むんだぞ?」
俺は柔らかいリゾットを入念に咀嚼(そしゃく)する。チーズとコーンの香ばしい香りが鼻をスーっと通って行った。次にスープをズ、ズ、ズと飲めば、体内から逃げてしまった熱と水分を取り戻すかのように、体中にスープが行き渡るように感じた。
エネルギーがみなぎってくるみたいだ!
そんな風にして一杯目を平らげてしまうと、もう一度おかわりをした。これだけ食べれば1500キロカロリーは取れているだろう。夕食に取るべきエネルギーとしては十分だ。おまけとして、持ってきた携行食のチョコレートを5つ、口の中に放り込んだ。バリバリ! ・・・とは噛まずに、口の中で溶けるのをゆっくり待つ。何せ氷点下の世界だ。チョコレートは氷のように固くなっている。無理に噛めば歯が折れるし、溶けずに体内へ入れれば消化不良を起こしてしまう。飴玉のように舐めながら口の中で溶かした。
俺がその事をシエルハちゃんに告げると、ひどく感心した表情をした後、
「これもマニュアルに追加ですね・・・」
とブツブツと呟いていた。いや、これくらいのことは、わざわざ記載するほどのことじゃないだろうに。
そんな風にして俺たちは1時間ほどかけて食事を楽しんだのであった。
その後もこまめに水分を補給しつつ、3人で今後の登山計画を確認する。
明日は延々と続くアイスフォールを乗り越えなくてはならない。いつ雪崩が起こるかわからない場所なので十分に気をつけなければならないだろう。最悪の場合、ビバークする地点も含めて入念にチェックした。
それが終わった後は翌日の準備だ。
俺は濡れてしまったウェアの水分を乾いた布切れで拭き取って乾燥させる。少しでも濡れていればそこから体温が奪われ凍傷になるからだ。その部分は最悪切断しなくてはならなくなる。
そうした作業すら終わってしまえば、後は明日のために体力を温存する・・・つまり眠るだけとなる。
俺たちは狭いテント中に3人分の
一方の俺は疲れているのに目が冴えてしまっていた。テントの外からは吹雪の音が聞こえて来る。丸で山の唸り声のようだ。冷気が知らぬ間にテントの中へと忍び込み、シュラフにくるまっているというのに、知らぬ間に俺の体温を奪い去ろうとしている。
・・・やはりなかなか眠ることが出来ない。
慣れない環境の中に取り残されているという孤独感、氷点下の世界がもたらす寒気、薄い酸素濃度、ヘタをすれば明日死ぬかも知れないという非日常性。それらの緊迫感がストレスを与え、俺に眠ることを許さないのだ。
テントの中はまっくらだ。自分が目を開いているのか閉じているのかも定かではない。色々な思いが去来する。前世の辛い記憶、登頂出来ないのではないかという疑念、将来への不確かさに対する不安・・・。今が幸せすぎるのだろう。だから失うことに対して極端に恐れを抱くようになっている。
だが、そんなとりとめないネガティブな考えを浮かべる俺の上に、突如として覆いかぶさって来るものがあった。
驚くが、たちまち甘い匂いがして、それが嗅ぎなれた少女のものだと気づく。俺の頬に髪の毛が触れたのが分かった。もちろん、のしかかっている少女のものだ。
「モルテ、どうしたんだ?」
俺は隣で眠るシエルハちゃんには聞こえないくらいの小さな声で囁いた。だが、モルテは聞こえているはずなのに何も返事を寄越さない。その代わりのつもりだろうか、俺の頬に自分の頬をぴったりとくっつけると、丸で擦りつけるようにしてきた。いわゆる頬ずりというやつだ。
ここ何日かで分かったことだが、モルテはその尊大な口調に似合わず寂しがり屋である。その証拠に定期的に俺の体に触れようとして来るのだ。おそらく彼女なりの寂しさの埋め方なのだろう。神様というのは案外孤独なのかもしれない。
「中に入るか?」
俺がシュラフのジッパーを緩めると、彼女は何も言わずに中へと潜り込んできた。一緒に冷気も入り込んで来たのですぐにジッパーを上げる。
モルテはやはり何も言わずに俺の体に抱きつくようにする。しばらくは俺の胸に顔を押し付けるようにしていたが、そのうち寝息を立て始めた。安心して眠ってしまったようだ。
「やれやれ、女神様でも子供だな。いや、それは俺も同じみたいだ」
気が付けば、俺の胸中を先ほどまで去来していた不安感も嘘のように消え去っていた。シュラフの中に満ちたモルテのハチミツのような匂いが俺をリラックスさせてくれたのだろうか。それともこの腕の中に収まる少女の温もりがそうさせるのだろうか?
いずれにしても、この温もりは前世ではとうとう手に入らなかったものだ。
「おやすみ、モルテ」
俺はまどろみながらそう言った。それからほどなく俺の意識も魔の山の闇の中に溶けていったのである。
・・・・・・・・・が、
「きゃああああああああああああああああああああ!!!」
そんな唐突な悲鳴に、ぐっすりと眠りこけていた俺たちは深夜、叩き起されることになったのだった。
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