第29話 29合目

「おーい、モルテ、シエルハちゃん、そっちは大丈夫だったか!?上で軽い雪崩があったみたいだ!!」


俺は慌ててビレイヤーを務めてくれているモルテたちへと声を掛ける。特にルーフもないテラスであるから、凍った雪片がまともに頭に当たれば死ぬことだってありうる。だから、俺の言動はけして大げさなことではない。


「大丈夫じゃ! 少しかぶったが、ほとんど塵じゃ!」


「私も問題ありません!」


「そうか、良かった!」


俺はホッと胸をなでおろす。だが、ドカ雪の影響で雪崩が起きやすい状況にあるらしい。早く登って安全な場所に移動することが必要だ。


俺は再び登攀を開始する。張り付きながら2メートル登ると、すぐ頭の上にオーバーハングが来た。俺はその場所でハーケンを打ち込みビレイポイントを確保すると、小休止もなしに左の方へとトラバースしてゆく。


気温が氷点下のため徐々に体温が奪い去られ、体力が落ちて行っているのが分かる。だが、その速度は思ったよりもゆっくりだ。前世より力が増しているのか。


「テラスで長い休憩は必要ないかもしれないな・・・。これならいっぺんにやっつけた方が逆に良いか?」


雪崩のことがある。先ほどのモルテとの打ち合わせでは、トラーバスした後にテラスで30分程度ビバーク休憩する予定だった。しかし、状況を考えれば、むしろ下手に休憩して時間を掛けるよりも、続けて一気に登ってしまった方が良いかもしれない。


そんなことを考えながら、難しいと思われたオーバーハング下のトラバースをすんなりと終える。


下の方からはシエルハちゃんが興奮して何か言っているのが聞こえるが、氷壁に集中している俺の耳には聞こえない。


そのまま上へ登って行くと、十分な広さのあるテラスへと出た。小さめのテントなら張れるほどの広さだ。本来ならば小休止と軽い食事を取ることで精神と体力の回復を図るポイントであるが、現在の俺の体力ならば休憩を取る必要はない。また、山の状態を鑑みるにすぐに出発するのもありだと思われた。


「ま、それはパートナーの状況も聞いてからだな。よし! アンカーで確保ビレイも出来た。モルテ! 登ってきてくれ!!」


俺の声にモルテが元気よく「了解なのじゃ!」と返事を寄こす。


彼女はアンカーを回収した後、20分ほど掛けてオーバーハング下までやって来る。一時的に姿が見えなくなるが、すぐに危なげなくトラバースして来て、テラスの真下にその美しい銀髪を覗かせた。その後、ガツガツと氷壁にアイスバイルを突き立てながら登って来て、俺の隣へと立つ。


「少し風が出てきたようじゃの?」


「ああ、そうなんだ。天気が急変する可能性もある。すぐに出発したいと思うんだが、モルテとしては体力が持つか?」


俺の質問にモルテはフフンと鼻を鳴らす。


「無論じゃよ。なんといってもお主のパートナーじゃからのう。10倍の500メートルじゃって5ピッチで登って見せられるわい」


「それはロープの長さが足りないのでは・・・? まあ、良いか。実は俺も似たような心境だ。ここでビバークをと思っていたが、すぐに出発したい。チョコレートだけは齧っておけ。回復はこまめに、な?」


「了解なのじゃ!」


そんな俺たちのやりとりにシエルハちゃんはただただ目を白黒とさせていた。


「ぜ、全然疲れてないみたいですけど、本当に大丈夫なんですか? お二人とも・・・。もう25メートルは登ってきてるんですよ?」


「ああ、全然大丈夫そうだ。モルテはどうだ?」


「わしも大丈夫じゃ。やっと筋肉が温まってきたの。冷えぬうちに進もうではないか!」


「は~、何と言ったら良いのか分かりません。私たち山の民であるキツネ族でもこれほど上手くクライミングする者はいませんよ?」


「そうか? ま、道具が良いんだろうさ。ドワーフたちは良い仕事をしてくれたもんだ」


「うーん、とてもそれだけとは・・・」


と可愛らしく首を傾げるキツネ娘。


さあ、そんなことより先を急ごう。


「ここから上は多少のカンテ岩のでっぱりがあるだけみたいだ。それほど手間取らないだろう。行くぞ!」


「分かったのじゃ!」


「あっ、モンスター」


「えっ!?」


俺はいきなりのモンスターの出現に驚いてアイスバイルを取り落としそうになってしまう。あぶねー・・・。


「モンスターはどこだ!?」


「おいおい、落ち着くのじゃコーイチロー。慌てんでも大丈夫そうじゃぞ? ほれ、地上を見てみよ」


「んん?」


俺は目を細めてテラスから地上を覗き込むようにして見つめる。あっ、確かに豆粒ほどの人影が俺たちの真下でウロウロとしているようだ。耳を澄ましてみると「ギャ、ギャ」という声を上げているのも分かる。


「ゴブリンです。ですがご安心ください。ここまでは登ってくることは出来ませんので」


「なんだ驚いた。思わずバイルを落とすところだったぞ?」


「えへへ、すいません」


謝るシエルハちゃんに頷くと、今度こそ俺は登攀を再開する。


幸いながらその後のクライミングは特にトラブルなく進み、俺たちは1時間ほどで完登することができたのだった。


そうして、そこから数分ほど歩くと、広々とした雪田のある場所へと出た。岩肌をみせるツルム岩塔の麓(ふもと)にあり、絶好のキャンプポイントだ。雪崩や落石からも、この岩場が守ってくれるだろう。


なるほど、ここがいわゆるC1なのだ。はー、やっと着いた。


時刻は夕方の少し手前くらい。行動するにはまだ時間はたっぷりとある。・・・が、ここで無理をして行動してはならない。


「無謀な登山家だと少しでも距離を稼ごうとして先に進もうとするが、適当なビバークポイントはこの先、C2まで存在しない。C2までは幾ら急いでも6時間はかかるだろう。日没までにたどり着くことは不可能だ。そして、そこまでは危険なアイスフォール氷瀑地帯が延々と続く。クレバスが多数存在し、雪崩の恐れもある。少し早いが、ここで一泊するのが正解だ」


「はい、私もそう思います。おっしゃったとおり、先日もその辺りを軽視した冒険者が、この先で遭難し戻りませんでした。万全な状態でも危険な場所です。しっかりと状態を整えてから参りましょう!」


「よし、ではテントを張るのじゃ」


「ああ、そうしよう。ところでみんな、頭が痛かったり、咳が出たりはしてないな?」


俺は高山病の症状が出ているかを確認する。酷いようなら下山することになる。だが、誰もそうした症状は出ていないらしく首を横に振った。


ホッとして俺たちはテントを張る。そうして、中へと潜り込んで体を休めた。


ふう、まだまだパワーは有り余っていると思っていたが、一度座り込むと立ち上がるのが億劫になった。思った以上に疲労がたまっていたようだ。自分の体力を見誤らないように注意しないといけないな。


俺がそんなことを肝に銘じている内に、テントの入口の隙間から雪がちらつき始めるのが見えた。そしてテントに吹き付ける風も次第に強くなって来る。


「どうやら先ほどの氷壁でビバークをしなかったのは正解だったらしいな」


「コウイチローさんが山に愛されている証拠ですね! キツネ族では山に愛されている男性がモテるんですよ? えっとですね、つまりですね・・・」


そう言いながら人型に戻ったシエルハちゃんが、俺の隣に移動してくる。なんだ、寒いのか?


「うむ。さすがわしのパートナーじゃの。ああいった判断の一つ一つが生死を分けることになる。見事な決断じゃった。コーイチローのような男と番(つがい)になれて、わしも嬉しいのじゃ」


番(つがい)って・・・。パートナーのことをそんな風に言うなよ・・・。って、モルテもシエルハちゃんとは反対側に陣取るように移動してきた!狭いってのに。


「おい、お前たち、確かにくっつけば暖かいだろうが窮屈じゃないか?」


「「全然!」」


俺の言葉に異口同音に答えてくる。まあ、二人がそう言うなら良いか・・・。相変わらず二人からは良い匂いがするし、体温が高いのか先ほどのクライミングで凍えた体がポカポカとあったまるのは本当だからな。

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