第5話

         五



 翌朝、メリルピンは目を覚ますと、昨日散乱していた椅子や硝子が全て片付けられていることに気がついた。


 代わりに床には多くの荷物が積みあがっていた。袋詰めにされた肉や、包帯などの治療具、さらには見慣れない石が瓶詰されたものが入っていた。


 ジンは少女に気が付いて、おはようと言った。メリルピンもおはようと返す。それに彼女は違和感を覚え、ジンを見る。彼は背負っていた袋を荷物の上に乗せているところだった。


 赤の他人同士なのに、おはようなんて。


 恥ずかしくなって、メリルピンは頬を紅潮させる。ジンは黙々と作業をしていた。


「朝から何をしているんですか?」


 気を紛らわせようと、メリルピンが尋ねる。


「倉庫にあったものをあらかたここに持ってきた。こいつを整理して使えそうなものだけを持っていく」


ジンは置いてあった袋を開けながら返事をした。


「倉庫にこんなものがあったんですね」

「こいつらは氷山の一角だ。他にも色々入っていたが、娯楽品だらけだった。まったくこいつらは、楽しむだけ楽しんで、倉庫の整理もしないのか」


 ジンが悪態をつく。顔がひどく疲れているように見えた。


「いつから倉庫にいたんですか?」

「お前が寝てからずっとだ」


 ジンは昨日と同じようにカウンターに寄りかかる。メリルピンが心配そうにジンの顔を見つめていると、


「荷物を運び出すのに、少し手間取っただけだ。寝てないからじゃない」


 知りたいことを告げられて、メリルピンは面食らった。


「どうせ、目を閉じても眠れないからな」


 ジンは顔を俯かせて呟いた。メリルピンはなぜジンがそんな表情をするのかがわからなかった。しかし、何だかこれ以上質問してはいけない気がしたので、何も言わないことにした。


 メリルピンは積みあがった荷物を見る。一つ気になるものがあったのでそれを手にしようとする。淡紅色の石が瓶詰めされたものだった。


「触るな」


触れそうになっていた矢先に、ジンに制止された。


「これって何なんですか?」


 触らない代わりに、メリルピンは質問をした。


「赤結晶だ。そいつはちょっとした刺激で破裂してしまう。取扱注意の爆発物だ」


 メリルピンは、再び瓶詰めされた赤結晶を見る。こんな綺麗な石が、危険なものだと信じられなかった。


「さてと、無駄話はここまでだ。そろそろ出発しよう。雨が降りそうだから、早く出発して距離を稼ごう」


 メリルピンは立ち上がって窓のそばに駆け寄る。体が軽やかに動く。窓から外を見ると、確かに空に分厚い雲があった。


「お前にも仕事がある。荷物を持ってもらう。これから歩いて移動するが、体は大丈夫か」


 メリルピンは首を縦に振る。


「それじゃあ、こいつを持ってもらおうか」


 ジンは袋の一つを取って、メリルピンに渡した。



 駐屯所を出るとそこは地獄絵図だった。


 かつて荒くれ者として名をはせた歴戦の猛者たちは、一晩にして、肉片と化していた。


 駐屯所を取り囲む柵には血痕が、線を引いて刻まれていた。所々に血だまりがあり、中には血の池のような大きさのものもあった。


 メリルピンは抱えていた荷物をうっかり落としてしまいそうだった。手が震えて、頭がくらくらし始めていた。


「見るな。下を向いておけ」


 先導しているジンが彼女に言う。しかしあちこちから死臭とハエが飛び回る音が漂って、無視のしようがなかった。


 一晩がたち死臭がさらに熟成されていた。数々の死線を潜り抜けてきたジンであっても、この臭いにはいつまでも慣れない。


 二人は、それぞれ背中に食料が詰まった袋を背負い、ジンは肩にかけていた帯付きバッグに酒や包帯、発火剤等を入れていた。


 メリルピンは、毛布や食料などの詰まった袋を抱えていた。遠い旅路に備えるには十分な荷物の量だった。


メリルピンは、ジンの背中にかかっているもう一つの物に目が留まった。ボロボロの布に包んである細長い棒で、ジンの背丈よりも少しだけ長かった。


「背中にかけてあるものって何なんなの?」


思い切ってメリルピンはジンに聞いてみた。


「槍だ」


 ジンは短く返事をする。メリルピンは気まずさを感じていた。黙々とジンが先導するという状況で、とにかく何か話していないと妙に緊張してしまう。長い道のりの中で話題がないと、退屈に負けてその場で眠ってしまいそうだった。


 そのため、図らずもジンのことについて尋ねることが多くなった。どうしてここに来たのか、どうして私を見つけたのか、他に人はいないのか、など一つ上げてしまうと、ポンポンと質問が浮かび上がってしまう。


「はっきり言って、生存者はお前を除いて誰一人いなかった」


 メリルピンは黙る。こんな惨状の中で生き残っている方が奇跡なのだ。


 ジンは落ち着いた口調で、


「後悔したって、お前の愛する人はもういない。自分だけが生き残ってしまったのなら歯を食いしばって生きていくしかない」


 メリルピンは、うんと言うだけだった。


 彼女の中に、とある疑問が浮かんできた。


 メリルピンはジンを何事にも動じない強い人間であると思っていた。

 ただ、どんなに強い人でも、これだけの惨状を生き残ることはできないだろう。彼女の父が、そうであった。


 なぜ、こんなむごたらしい場所に足を運ぶのだろう?


 疑問がはっきりしてきたところで、メリルピンはふと前を見る。ジンが立ち止まって仁王立ちしていたからだ。


「どうしたの?」


 ジンはしばらく黙って、あたりを見回した。


「確かここには屋敷があったはずだ。消えるはずがない」


 一晩で消えるなんてありえない、とジンは困惑している様子だった。

 

 確かに今彼が立っている場所には家が粉々になり、井戸に大量の村人の死体があった、富農の敷地があったはずだった。しかし、目に映るのは、掘り返されて茶色をあらわにした土地だけでとても屋敷があったようには思えなかった。


 ジンは再び見渡す。他には特に変わりがなかった。ここだけが一晩で変わってしまっていた。


 不意にジンが後ろを振り向く。メリルピンもつられて後ろを向く。視線の先には何もいなかった。木の葉が風に揺られていただけだった。


 後ろで音がする。二人は音がした方を向く。絶えず周りから音が聞こえてきて、ジンはメリルピンを腕で寄せた。


 やがて音だけではなく、声までも聞こえるようになった。


 それは限りなくうめき声に近く、まるで死者の怨恨が詰まったようだった。あちこちからうめき声が聞こえるので、メリルピンは恐れおののいてその場に跪いた。


 地鳴りが、次第に大きくなっていく。地面が揺れ始めて、二人はよろけて倒れそうになる。


 しばらく揺れ続けた後、爆音と共に、土煙が上がって二人の視界がふさがる。ジンは咄嗟にメリルピンを抱きしめる。


 爆音は一回だけでなく、自分たちを取り囲むように起こっていた。

 

 メリルピンは、小さく声を漏らしていた。彼女は実際には叫んでいたようだったが、爆音の音量に負けて小さくなってしまった。


 最後の爆音が終わると、ジンは顔を上げて、安全を確認しようとする。土埃があたりを覆いつくしていた。


 また呻き声がする。今度ははっきりと大きく聞こえた。ジンはそれが何であるかを認識した。


「……逃げろ」


 ジンはメリルピンに告げた。メリルピンは見上げてきょとんとしていたがジンの切羽詰まった表情を見て、ただ事ではないと察知した。


 土埃から姿を現したのは、伝説の大蛇と瓜二つの怪物だった。その怪物は舌なめずりをして、二人を睨みつけた。


 さらに一体のみならず、その蛇の後ろから、一体、また一体と姿を現した。


 土埃がようやく晴れた時には全貌が明らかになった。


 前方を覆いつくされるほどの大きさで、禍々しさは、ジンが遭遇した怪物の中で頭一つ抜けていた。


 気味の悪さではあの山羊頭の竜に勝るものはいまいとジンは思っていた。


 しかし、こうして対峙していると、気味の悪さこそはないが、その代わりにあるものが、ジンを縛り付けていた。


 圧倒的な悪意と殺意。大蛇の瞳の奥には、どす黒い邪念が渦巻いていた。まるでここで引き起こした惨劇を神のような超越した視点で楽しんでいるようだった。


 ジンは背中の荷物を下ろして、ぼろ衣に覆われた槍を手に取る。ぼろ衣を剥ぎ取って、前傾になる。


「逃げろ、早く逃げろ」


 ジンは状況に呆然としているメリルピンに言った。彼女は、怪物を目の前にして、動けなかった。


「行け!」


 ジンが叫ぶと、メリルピンは、はっとして怪物とは反対方向に走り出した。


 ジンは槍を振り回して、地面に突き刺す。大蛇は再び舌なめずりをして、首をもたげて獲物を見定めた。


「さあ、やろうぜ、怪物さんよ」


 大蛇が甲高い鳴き声で叫ぶ。


 ジンは、口角をあげてにやりと笑った。槍を引き抜き、大蛇に突撃する。

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