第41話 森の中はキケンがいっぱい。


「ふんふんふ〜ん!」


「お、おい、プレセアにゃん、もうちょっとペース落とさないか?」


 プレセアは俺の言葉を完全無視して、森の中をずんずん進んでいく。


 どうやら栄養の方が完全に身体の方に行っているみたいで、スライムに消化されかけたと言うトラウマ級の出来事も忘れてしまっているようだ。


 相変わらずの格好で、道もないような草むらをズカズカと歩んで行く。前もそうだったが、まるで人気をわざと避けているようだ。


 ......まさか、野外? 野外でやるのか? 冗談じゃない。ゴブリンにすら醒めた目で見られるぞ。


 もしそうなったとしても、家政婦ウサギの耳は、右腕の前腕に包帯で巻きつけている。やろうと思えば、いつでも録音することができるわけだ。


 しかし、特に何もなく、いよいよ人気がなくなってきた時。


 ______灯せ。


「ん? なんだって?」


「へ? 何も言ってないよ?」


「あ、そう」


 確かに、女の声がしたと思ったんだが......。


「......あ?」


 俺は辺りを見渡して、妙なものを見つけて立ち止まった。


 斜め前、ここら一帯で一番大きな木のあたり。その真横に、ぷかぷかと浮いている赤の点があったのだ。


 その赤の点は、最初は小さかったが、徐々に膨らんで行く。火の玉、だ。


 俺はゆっくりときの周りを半周したが、人影はない。もう一度辺りを見渡すが、やはり人影は見えない。魔法じゃないのか?

 

 とすると、魔物か? 炎を扱う魔物は数知れど、炎そのものの魔物なんていただろうか。ゴースト系? こんな真昼間から、そんな魔物出るか?


 とりあえず剣の柄に触れて、火の玉相手ではなんの意味もないことに気がつく。


 その時、その火の玉が、びゅっと俺の方に飛んできた。迫り来る火の玉を見て、そこまで早くないし、逃げに徹すればなんとかなるかと、焦りながらも判断する。


「あっ、危ない!」


 俺が踵を返して逃げ出そうとしたその時、俺の前に飛び出してきた人影があった。プレセアだった。


「......え?」


 じゅう。


 肉の焼ける音がした。遅れて、鼻がひん曲がるような悪臭と、鶏が首を落とされる時のような、反射的に耳を塞いでしまうような金切り声。


 ばたり、と、プレセアが仰向けに倒れた。ついさっきまで綺麗だった顔は、真っ黒こげでぷすぷすと音をたて、歯茎や目の血管がむき出しになっている。


 ......え?


「......プレ、セア?」


 ......え、どうすんだ、これ。


 いや、怪我すること自体、覚悟、してなかったわけじゃない。けど、まさかこんなことになるなんて。ここら辺には、強い魔物もいないはずなのに。


「て、天の羽衣よ、こっ、このものを包み込み、さささやかな癒し、を、与え、たまえ......」


 とりあえず、プレセアのそばにかがみこんで、回復魔法をかけてみたが、当然、疲労回復俺の超初級回復魔法では、何ら効果を示さない。


 ......え、どうすんだ、どうすんだよ、これ。


「うぉ、エグいなぁこれ。どうするんだよ」


 その時、後ろから男の声がして、俺は飛び上がって剣を引き抜いた。


「おいおい、俺を殺しちまったら、千人の女から恨まれることになるぜ?」


 両手を上げておどけてみせたのは、ルスランだった。


「......あ、あんた、なんで、ここにっ」


 頭と同じく、呂律も回らない。よくみたら、後ろには二人の女がいる。一体いつの間に、現れたんだ。


 震える手から剣がこぼれ落ちそうになり、慌てて鞘に戻した。


「たまたまお前たちを見かけてなぁ。後をつけて来たんだよ」


 後をつけてきた......こんな派手な格好で、か?


 ありえない、わけじゃないが、甲冑だから音も出るはずだし、こんなギラギラ輝いているのに、先ほど見渡したときは、気づかなかったぞ?


 ルスランは俺を見下し笑ってから、プレセアの顔を覗き込むように屈んだ。


「そしたらこんなことになっちまってよぉ......これ、お前の責任だぜ?」


「......せき、にん?」


「そうだろ? こいつ、お前をかばってこんなんになっちまったんだ。おぉおぉ、かわいそうによ」


 ルスランは、身にまとっていたマントを取ると、そのマントを、まるで死人にするみたいに、プレセアにかけた。


 ......なんだ、こいつ。


「そ、そんな、こと、どうでもいいから!! 早くこいつを治さないと!!!」


 でも、こんなひどい火傷、最上級の回復魔法を使っても、傷跡が残るに決まってる。


 村長の腕が生えてこなかったように、回復魔法と言っても、全てを治せるわけじゃない。少なくとも、人前に出るのも憚られるやけど跡が残ってしまうはずだ。

 

 だが、このまま放っておけば、絶対に死んでしまう。獣人が回復力が強いといっても、死ぬ。死ぬよりは、マシなはずだ。


「あん? 治すつもりはねぇよ」


「......は?」


「だって俺、回復魔法使えねぇし。後ろの女たちも同じくだ」


 ルスランが振り返ると、メイド風の女と、小人の女は頷く。二人とも、一切慌てた様子も見せない。


 ......なんなんだ、こいつらの、異様に落ち着いた態度は。


 雲がかった思考の中、仕込んでいた”家政婦ウサギの耳”に魔力を込めた。


「.....回復薬、回復薬くらい、持ってるだろ!」


「おお、それなら持ってるぞ」


 ルスランが懐から取り出したのは、ガラスの瓶に入った翠玉色の液体。


「最高級の回復薬だ。これなら、どんな大怪我を負っても助かるぜ」

 

 ......武春を読み込んだ俺には、その色でわかる。


 こいつの言う通り、最高級回復薬に間違いない。卿級ほどの回復魔法と同じ効果があるとされている最高級回復薬なら、確実に一命は取り留めるはずだ。

 

 しかし、ルスランはいつまでたっても回復薬を飲ませようとしない。


「お、おい! 早くしろよ!」


「ん? お前馬鹿か? 治すわけねぇっつってんだろ?」


 ......こい、つ、マジかよ。


「最高級の回復薬なんていくらすると思ってんだ。顔に火傷しちまったらどんだけ体がエロくてもグラビアアイドルとしてもやっていけねぇだろうし、もうこの女には一つの価値もねぇんだよ。このまま捨てて終いだ」


「......この、クズ野郎」


 ......録音、できたはずだ。


 もうこの時点で、美人局とかなしに、こいつが最低のクズ野郎であることが証明できた。


 あとは、こいつから逃げ果せ、この証拠をイレインに持ち込みさえすれば、このクソ野郎は裁かれるはずだ。思った形とは違うが、十分なはずだ。


 逃げ切れる、はずだ。ルスランはあくまでその経営手腕が凄くて団長になっているだけだ、と記事で読んだ。


 いかにもチャラ男って見た目でそれなりに筋肉質ではあるものの、装備が甲冑だ。高級ブランドなので、かなり軽く作られているか、なんなら魔道具の可能性もあるが、それでも革のアーマーで軽装の俺よりは動きづらいはず。


 後ろの女二人は、わからないけど、少なくとも二人とも上位種ではない。先ほどの炎がどちらかの魔法だったとして、逃げることに徹したら、この障害物の多いなんとかなるはずだ。


 だけど......。


 ちらりと、視線をプレセアに落とす。マント越しに、ヒューヒューと苦しげに呼吸するプレセアを、見捨てなくてはいけない。いや、見捨てるってなんだよ。元からこいつは敵なんだぞ。


「ああ、そうだ。この回復薬、売ってやってもいいぞ」


 すると、ルスランが、瓶を軽く振って、こんなことを言い出した。


「......売るって、いくらで」


「まぁ、金貨五枚ってところだな」


「......馬鹿げてる、そんな金」


 あるわけがない。俺が首を振ると、ルスランはにたりと俺を見下ろした。


「だったら、身を売って奴隷になりゃいいじゃねえか」


「......奴隷、だと」


 ......そう、来るか。


 ルスランは、後ろのメイド風の女に視線を送る。女は、一歩前に出て、ぺこりと行儀よく頭を下げた。


「ちょうど、グリッチ商会の公証人と偶然居合わせてよ。今からグリッチ商会に身売りして、その金でこの回復薬を買えばいい。そして俺が、その金でお前を買い取る。ま、金のやりとりが無駄だから、実際はサインするだけでいい」


 グリッチ商会......この国で一番大きな商会の人間と、魔物だらけの森の中で偶然居合わせるわけがない。


 やはり、今回の出来事は、俺を奴隷にするための策略に違いない。


 でも、これは、美人局とは明らかに違う。


 たとえ、俺の答えがどうであれ絶対に治す約束をしていたとして、プレセアがこんな策を受け入れるか? 

 窓ガラスに映る自分を見るたびうっとりしていたこの女が、俺を奴隷にするために、顔に一生治らないような傷を負うような作戦を?......あり得ない。


 プレセアは、ここまでするとは聞かされていなかった? 


「どうする? 早く決断しろよ。このままじゃ死んじまうぞ」


 ルスランが、足で横たわるプレセアを突く。すると、びくりとマントの下の身体が跳ねた。


 まだ、生きている......。


 でも、俺には、関係ない。確かにルスランがクソ野郎だが、プレセアだって、数々の男を騙してきたんだ。


 俺がマリーを恨んでいるように、こいつを恨んでいる男だっているはずなんだ。


 ......だけど、もし、こいつが、こうやって攻撃されることを知らなかったとしたら。


 こいつは、純粋に俺を守ろうとした、ってことになる。


 ......クソ、クソ、クソ!!!


「わかった! わかったから! 奴隷になるから!! 早く回復薬を!!」


「......おっとこ前だなぁ、アルフォンド」


 ルスランは、パチパチとわざとらしい拍手をして、ちらりとグリッチ商会の女に視線をやった。女は頷くと、俺に一枚の羊皮紙を差し出した。


「それなら、これに指印を」


「......っ」


 これを押してしまえば、俺はグリッチ商会の名の下、人から”モノ”になってしまう。

 

 ......クソ、何やってんだよ、俺は!!


 俺は、親指の皮を食いちぎって、そのまま奴隷契約の契約書に印を押した。

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