真夜中0時に魔法は解けちゃうから、急いで王子様に口説かれなきゃ!

虎山八狐

寿観29年7月14日金曜日

 君の瞳が輝いた。

 その時にミッドナイトブルーサファイアそっくりのそれが美しく思えた。

 もう一度あの輝きが見たくなるのは至極当然だよね。

 だから、僕――安藤あんどう巳幸みゆきはあの時と同じ状況を作り出す。いや、正確に言えば、あの時よりも更に特化した状況にしちゃう。

 つまり。

 君――かなで君に僕だと分からないように女装しちゃう。

 漆黒の鬘を夜会巻きにして鼈甲の簪を刺す。髪に合うようにカラコンで瞳の色を暗くする。紅色のリップを塗った唇と力強くシャープにした眉を目立たせ、その他の特徴を弱めるように化粧をする。体形を隠すように補正して白の長襦袢と白地に紺色で控えめに波模様が入った着物を着る。黄色の帯を締め、藍色の帯揚げと帯締めを締める。足元は白の足袋に金色の草履を履く。

 ここまでしたからには声は漏らしちゃいけない。

 桜刃組事務所に着いた途端、奈央子なおこちゃんと清美きよみ君が話しかけてきたけど、曖昧に頷くことだけで済ましておく。

 二人の隙間からターゲットの奏君を見る。

 その瞳は輝いて……なかった。

「安藤さんですよね」

 奏君はアロエみたいなポニーテールを派手に揺らしながら、僕に駆け寄ってきた。奈央子ちゃんと清美君の間に割って入ると、目だけで僕を睨み上げた。小さな唇が高速で動く。

「先週女装したことで奏との距離が縮まっていると感じて、そんな奇行に走ったのですか。確かにあの時から奏は貴方に対して心の壁を薄くしました。それは貴方に警戒する必要性を以前程見出せなくなったからです。信頼や好意からではありません。貴方に呆れ果てて、評価を下げただけです。今もまた下がりました」

 心が折れちゃうぞ。僕だと露見したけど、言葉が見つからなくて喋れないじゃないか。

 清美君が目を丸くしてから瞬いた後、奏君の頭をぽんぽんと撫でた。

「かなちゃん先輩の為に此処までしてくれたって心意気を買いましょうよ」

「ストーカー被害者に対して同じことが言えますか」

「す、ストーカーとはまた別ちゃいますか」

「では言い直しましょう。空回りの気遣いを押し付けてくる、悪人よりも性質の悪い人と」

 清美君は空気を噛み、黙って顔を覆った。わあ仲間だ。黙らないでちょうだいよ。

 奈央子ちゃんが拳を胸の前で振り回して参戦してくる。

「しっかし、すぐに安藤さんだとよく気付いたね。私は分からなかったなあ。前の女装よりも別人度上がってるよね」

「いつかこのような愚行をしてくると予測してましたので」

「この完成度は予測できなかったんじゃない? 情報屋の安藤さんのことだから奏君の好みにばっちりストライクよね。というか寧ろ好みに合いすぎる人が来たから判断できた」

 そこまで言って奈央子ちゃんは言葉を切った。奏君が小さな唇を噛み締めたからだ。奈央子ちゃんは眉根を抑えて俯き、ゆっくりと歩き出した。

「ん~……どうやらそのようですねえ~」

 清美君が奈央子ちゃんを追いかける。笑みを堪えているのか、ぷるぷるしながら真面目な顔を奏君に向けながら天井を指さした。

「予測してたにしてはやけに突っかかりますねえ。妙ですねえ。いえ、細かいことが気になるのが僕の悪い癖」

 清美君はそう言って左拳を持ち上げ、右拳を上げ下げした。奈央子ちゃんは「お歳暮の~ハムですねえ~」と呟いた。二人は僕達のまわりをゆっくりとまわる。

 奏君は黙って二人を目だけで追った。僕を見てなかった。いや、きっと僕を見る余裕が無くなっちゃたんだ。そうなんだよ。そうだということにしちゃえ。

 奏君を抱きしめ、シリコンバストに顔を埋めさせる。よし、抵抗が無い。

「今日の僕、普段より素敵でしょ。話しやすいでしょ。ねえ、もっと仲良くなっちゃおうよ」

 頭をぐりぐり撫でる。清美君と奈央子ちゃんはまわり続ける。カオスだね。奏君の舌打ちが空気を一変させちゃった。

 僕を含めた三人がぴたりと動きを止める。奏君は僕の腕を振り払って、一歩下がった。その顔には営業スマイルが貼り付いていた。何でだろうね。

「いつもの奇天烈な姿よりかは断然話しやすいですね。よくもまあこれ程までに化けれるものです。化けるという言葉は不適切でしょうか。魔法と呼んでしまいましょう。所で西園寺さいおんじさん、今何時何分でしょうか」

 奏君の真後ろにいた奈央子ちゃんが壁掛け時計を見る。

「二十三時五十五分だね」

 奏君が薄情にわあと声を上げた。

「大変です。もう帰らなきゃいけませんよ。魔法が解けてしまいます」

 奏君は左足を軸にくるりとターンして、清美君を見た。

「貴方だって困りますよね。南瓜だった馬車さん」

 清美君が唇をV字に歪めてから、大きな体を縮こまらせて僕を見た。きらきら目が輝いちゃってる。そうだよね。やりたいよね。ごっこ遊び大好きだもんね! いいよ! やっちゃいなよ! 僕が肯いてあげると、南瓜だった馬車が喋り出した。

「帰りは三十秒で送ったるけん、あと四分半じっくり王子様とお喋りせえよ」

 清美君はどんと自身の胸を叩いた。わあ格好良いな。惚れちゃうぞ。

 奈央子ちゃんも負けじと挙手した。

「私フェアリーゴッドマザー!」

 挙手した手が勢いよく奏君に向けられる。

「奏君は王子様! フェアリーゴッドマザーとごつい名前の私がかけた魔法を台無しにしちゃ駄目よ! 人間の偉い奴の小童ごときが私の顔に泥を塗ったらどうなるか分かってないのかな? さあシンデレラを口説きなさい!」

 奈央子ちゃんの手は僕へと移った。そして、「どうしてここで今までで一番ヤクザらしいことするんですか」という奏君の言葉を掻き消すように叫んだ。

「安藤さんはシンデレラ! 灰かぶりな人生を変えたかったら必死に口説かれなさい! こっちから仕掛けていきなさい! ほら! ほらほらほら!」

 いつになく強気だ。奏君が僕とそれ程打ち解けられていないのを案じてくれていたのかな。よし、全力で乗ってあげよう。

「ねえ、王子様。私、きっと今日しか会えないの。寂しいな」

 表情を無くした奏君がくるりと僕に向き合う。

「いえ、とっとと身元突き止めて会いに行きますから、もう帰ったらどうですか。こんな遅くまで起きていて良くないでしょう。私、王子という身でありながら、この舞踏会はよく思っていません。夜は眠るものです」

 奈央子ちゃんがパンプスで床を蹴った。そして、電話の形にした右手を右耳に添えて捩じり回す。

「しもしも、神ー! フェアリーゴッドマザーよ。ちょっと罪深い王子見つけたから教えてあげるわ。蝗害がおすすめよ!」

 清美君がへなへなと座り込む。

「うわあ、この国終わりやあ。うっ……うっ……同期の皆は地獄を見る前に食べられとるとええなあ」

 もはやシンデレラの世界観じゃないよね。……というツッコミは胸にしまっておいて、シンデレラになりきる。両拳を顎下に添えて、身をくねらせる。あってるのかな、これで。

「流石王子様。健康意識がお高いのね。私、貴方の伴侶になれる方が羨ましいなあ。長く幸福でいられるんですもの」

 奏君は左目の下を痙攣させてから、窓を見た。

「月が綺麗ですね」

 看板が煌々と輝く街の上に月はあった。更待月だ。綺麗だけれど、微妙。奏君が僕に真顔を向ける。

「こう言えば満足ですか」

「文学に明るいのかしら、王子様。最近はどんな本を読まれたの?」

 奏君はうわと呟いた。すかさずフェアリーゴッドマザーが神に電話して洪水を求める。馬車が畑の弟達を思って泣いた。

 奏君はわざとらしく咳払いをして、僕の質問に答えた。というか捲くし立てた。

「アンガーマネジメントの本ですね。どうしてもかっとなるのが抑えられない性分なんですよ。ただかっとなればまだましなんですが、どうしても手が出てしまう。今日も舞踏会開催に腹が立ってメイド三人を鞭で打ちました。彼女達が動けなくなって漸く我に返りましたよ。あー、やっぱり女の悲鳴は癇癪に効きますね。それも悲鳴を上げる気力さえなくなった後の搾りかすのような声が効きます。貴方の声は男のように低いですね。どれ程苦痛を与えれば甲高い美声を聞かせてくれるでしょうか。楽しみです」

 やばい人じゃん。フェアリーゴッドマザーも馬車も絶句している。僕は絶句してあげないけどね。清美君のごっこ遊びで鍛えられたこのアドリブ力に慄いちゃえ。

 体を大袈裟に震わせて。顎に当てていた拳を解き、自分の口元をなぞる。

「素敵……! 私、生粋のマゾヒストなの。継母様や義姉様達も私を虐めて、シンデレラ、灰かぶりなんて蔑称で呼んで下さるけれど、物足りないの。もっと酷くしてほしいの! 私の前にフェアリーゴッドマザーが現われて下さった意味が漸く分かりました。私の欲望を満たしてくれるのは、王子様しかいないもの!」

 奏君の素の「うわ」をいただいた。奈央子ちゃんと清美君もはもった。流石に僕も冷めた。

 事務所に静寂がもたらされる。しかし、すぐに事務所に人が入って来た。組長のざいさんと若頭の優作ゆうさくさんだ。

 優作さんは僕を不思議そうに見たが、在さんは奏君を見据えて言った。

「どうしたの?」

 奏君がぱっと時計を見て、あっと棒読みの驚嘆の声を上げた。

「零時ちょうどです。ということは、魔法が解けたシンデレラが戻って来たということですね。女装した安藤さんは真のシンデレラではなかったということです」

 優作さんが目を見開いた。

「安藤君⁉」

 在さんの顔が狼狽える優作さんに向けられた。

「貴方がシンデレラのようよ」

 優作さんが僕と在さんを高速で見比べた。撫でつけた髪が解れる。しかし、その両手は髪を直すことは無く、自分を指さした。

「僕がシンデレラ⁉」

 四十八歳のおじ様とは思えないあどけなさに胸が締め付けられる。嗜虐心が擽られる。

 仕方がないよね。うん。胸を張って、右手を顎に添わせてオーホホホと高笑いしちゃって当然だよ。

「シンデレラ。家事は無事終わらせたようね。それなのに、なあに、その上気した頬は! まるで私達と同じように舞踏会であの素敵な王子様に会ったようじゃない。気持ちの悪い妹ね」

 その後の混沌は語るまでもないよね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

真夜中0時に魔法は解けちゃうから、急いで王子様に口説かれなきゃ! 虎山八狐 @iriomote41

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説