第62話 ジョニーは襲われる
浮遊感。そして、現実的な衝撃が俺の体を押そう。
「――ぐっ!? ……いてぇ」
俺はどうやらどこかに落ちたようだ。体の痛みを堪えながら起き上がる。
――ウェンディゴ。影に潜む狼のようなモンスターであり、それは気配によって獲物を弱らせ、呪いの言葉を囁き発狂させるというモンスター。そして……
「空間を移動させる能力か……というか、そんなモンスターがいるなんて聞いてないぞ。どこだ、ここ?」
周囲を見渡し……壁の材質は変わっていないが、魔力が淀んでいてまるで霧のように薄暗くなっている。近くを見渡せない。
……魔力が濃くて分かりづらいが人の気配はないようだ。大きな声を出して他に誰かいないか呼んでみる。
「おーい! 誰かいないか!」
……音の反響もない。そして反応もない。
完全に孤立してしまったかもしれない。
「俺一人ってわけか……」
「ジュル! ジュル!」
「おっと、スライム。お前も一緒に来てたのか。悪い悪い。そういえば、アガシオンは……呼び戻せないか」
この淀んだ魔力が壁になっているらしい。俺が元々居た場所と外で分厚い壁が出来ているようだ。魔力的な繋がりこそ切れていないが、干渉されないように遮断されているようだ。
とはいえ、魔力の繋がりによってアガシオンが残っている間は俺の生存は向こうにも伝わる。そういう意味では助かった。
(さてと……どうするか)
ウェンディゴと言うモンスターの習性は、狙いを付けた獲物を弱らせて狂わせて最後に自分の巣に連れ去る事だ。だから、そのルールから考えれば現状は少々おかしい。
連れ去ったここが巣には思えない。何よりも、連れ去ってきたはずのウェンディゴ自体が居ないことが不自然だ。
(ウェンディゴもそうだが……まず、ダンジョン内部のどの位置なのか。そこから考えないといけないな)
ここは確かに迷宮の内部だろう。しかし、ここまで魔力が淀んでいて見通せないとどの場所かすらも分からない。
最悪、最下層に連れ去られた可能性はある。警戒は必要だろう。魔力の節約も必要だが、ここは他の戦力も呼び出すとしよう。
「バンシーは……いや、バンシーは敵次第だ。俺以外に人間のメンバーがいないならザントマンに頼る方が無難か」
人型のモンスターではなくても、ザントマンの能力は有用活用できるタイミングもあるはずだ。そうして魔力を込め、召喚を――
……ん?
「なんだ?」
「ジュル?」
「スライム、お前は……いや、それはいいか。もう一回試してみるか」
そうして、召喚符に魔力を込め……しかし、召喚出来ない。
魔力は通っている感覚はある。しかし、魔力が形を作る前に霧散する。この淀んだ魔力のせいで、召喚獣の形を作る前に魔力をバラバラにされるのだ。
――つまり、ここでは召喚をしようとしても召喚獣を出すことは出来ない。
「――嘘だろ?」
召喚を縛られてしまった。
俺は唯一の武器を奪われ、あまりの状況に愕然とするのだった。
――気を取り直す。少々ショックで思考が止まりかけていたが、それでも大丈夫だ。
このくらいの逆境は何度もあった。今更だ。スライムと一緒に歩きながら話しかける。
「なんだか、最初の時を思い出すな」
「ジュル」
一人で、とりあえず警戒もそこそこに突貫してゴブリンの集団に追いかけられた時を思い出す。
あの時はよく死ななかったもんだ。
(あの時に比べれば、俺は多少はマシにはなったか)
やはり、経験というのは大きい。
注意すべき場所、魔力による敵の位置の把握など、冒険者としての基礎が自分の中で形作られていた。こうして歩くだけでも今までと違うものだ。
「……しかし、モンスターが居ないな」
「ジュルウ……」
おかしいと言えば、モンスターが居ないこともある。
いや、居るのだろうが俺達の周囲には気配がない。
「ウェンディゴが連れてきた以上は、同じような系統のモンスターが待っていると思ったんだけどな」
「ジュル!」
こういった場所だと、シャドウという影を媒介にしたモンスターやウィスプという霊魂のような姿をしたようなモンスターが多い。
ウェンディゴもそうだが、主に精神面や魔力面に影響を及ぼすようなモンスターが居ると思ったのだが……
(ウェンディゴが送り込んで来た以上、何もない……と言う訳はないと思うんだが)
それにしては、あまりにも何もなさ過ぎる。
ウェンディゴ自体がここに送る装置的な扱いだったとしても、他のモンスターが居ない理由がない。
「スライム、何か感じるか?」
「……ジュル」
その質問に困ったように震えている。どうやら、スライムも分からないらしい。
……とにかく道なりに進んでいこう。止まっていても仕方ない。今は動いて情報を集めるべきタイミングだろう。
「――ん?」
ふと、寒気がする。それは、まるで猛獣の居る檻に入ってしまったかのような本能に語りかけるような悪寒。
俺と同じように、スライムが震えて怯えている。俺の足にしがみつき、動けなくなっている。
(なんだ? なにが待ってる?)
分からない。だが、それでも行くしかない。
震えて止まりそうになる足を気合いで動かして進んでいくと音が聞こえる。曲がり角の先だ。音の元へと行き……そこではウェンディゴが戦っていた。いや、戦っていたというのは間違いか。
「――足りない」
紙を引きちぎるかのように、引き裂かれていた。それは戦いではなく、蹂躙だ。
断末魔も残さず消え去り、魔石を残す。その魔石を拾い上げ飲み込んだソレは俺に気付いたのか、こちらを見る。
「ああ」
――こちらを見た真っ赤な瞳が、歓喜に歪んだ。
俺は、考えるよりも先に逃げ出していた。生存本能が叫んでいる。アレは、ダメだ。目を付けられれば死ぬ。
「逃げてはダメ」
だが、気付いたら俺は地面に押し倒されていた。
そうして俺を見つめる。ああ、やっぱりだ。彼女は――吸血種だ。
「【血の花園】の……人だな! 俺は、エリザと……知り合いなんだ……!」
ここに居る吸血種の女性であれば、【血の花園】の人間以外にあり得ない。必死にそう叫ぶ。
しかし、その言葉を聞いても表情を変えない。
「ああ、良い匂い」
まるで、陶酔するかのようにそう呟く。
正気ではない。もしかしたら……何かしらの事情で暴走しているのだろうか?
(ならマズい! 吸血で、加減されない可能性が――)
あまりにも暴力的な死が目の前にあった。
すると、俺の足下から何かが飛び出して目の前の彼女にぶつかる。スライムが、怯えながらも俺を守ろうとしているのか体当たりをしたのだ。
「……邪魔」
しかし、当然ながら効果はない。
あっさりと片手で弾き飛ばされたスライムは壁に打ち付けられるて、力尽きる。
(マズいマズいマズい。どうする? どうすればいい?)
考えろ。考えろ。
手段は何がある? どうすればいい?
「邪魔も居ないわね」
ニコリを微笑んだソレは、牙を剥き出しにして俺の首筋に顔を寄せる。
――だが、吸血種に狙われるのはこれが最初ではない。だからどうするのかは理解出来ているが……しかし、召喚による妨害は出来ない。
だから、出来る事は一つだけ。
「ぐううう! これでっ!」
「邪魔を――」
無理矢理、動かした体で俺は噛みつこうとした彼女の眼前に突き出す。
彼女は俺の突き出した物を見た瞬間に、反射的に魔力で反撃しようとした。だが、それでもなんとか目論見は成功する。
「きゃっ!?」
「うわっ!?」
爆発。そして俺と彼女は吹き飛ばされる。
何をしたのかと言えば――空の召喚符に魔力を込めたのだ。契約をしていない状態の召喚符に籠もった魔力が行き場を失い爆発したのだ。
しかし、これは自殺行為だった。しかし、これ以外に方法が無かった。
「今のうちに……!」
立ち上がろうとして、崩れ落ちてしまう。
爆発のダメージが想像以上に来ているようだ。そして、彼女は起き上がりこちらにゆっくりと歩いてくる。怪我どころか傷一つ無い。
(ダメだ……手がない)
魔力を使った。体は動かない。万策が尽きた。
――そして、彼女は口を開いた。
「――本当に、申し訳ありませんわ!」
優雅に、それはもう美しいまでの謝罪をされた。
――呆気にとられた俺は、危うく気が抜けて気絶する寸前だった。
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