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 それから特にエメの【マナ感知】が反応することもなく、魔物と遭遇することもなく、八階層目に到達した。

 八階層目のある一角で、先の丸い葉を持つ花が一面に咲き乱れていた。その光景に、エメが目を丸くする。

「これが『風香の迷宮』でのみ採れる『かおくさ』っス。こいつがかなりレアリティが高いんスよ~」

 そもそも、ここまで到達できる者はあまりいない。問答無用で状態異常になるため、それを防ぐスキルを持っていなければ攻略できない。しかし、状態異常を防ぐスキルは上位レアのものばかりだ。簡単に獲得できるものではない。

 エメが花を指差すので、ラースは辺りに視線を巡らせ、何も危険がないことを確認してからエメを下ろす。

 不思議そうに花に触れるエメを横目に、三人は「香り草」を採取し、エミルがアイテムボックスに収納していく。

 そのときだった。

 エメの体が、足を引っ張られるようにして床に飲み込まれた。三人は即座に立ち上がるが、エメの姿は完全に消えてしまう。辺りを見渡すが、どこにもいない。

「くそっ! エメ!」

「坊ちゃん! どこっスか!」

「ふたりとも」エミルが少し焦った声で言う。「とにかくここを脱出しなければなりません。十分以内に」

 ラースとニコライはハッと顔を見合わせた。

 【状態異常修復】のスキルを持つエメがそばからいなくなったいま、彼らが風香の魔法から逃れる術はない。エミルの言う通りの時間内でダンジョンを脱しなければ、彼らは状態異常を負い無事に出られなくなるかもしれない。

 行きましょう、ときびすを返すエミルに、ラースは顔をしかめた。ニコライがエミルに続きラースもあとを追った。


   *  *  *


 エメは暗闇を漂っていた。右も左も、上も下も真っ暗だ。感じるのは浮遊感だけ。何も聞こえない。

 エメがきょろきょろと辺りを見回していると、急に目の前に逆さまの女の子の顔が現れた。エメが驚いて肩を跳ねさせると、少女は楽しげに笑う。

「やっと会えたね。会いたかったよ、エメ」

 誰だろう、とエメは心の中で呟いた。少女はエメと同じ向きに体を回し、目を細める。若草色の長い髪に、瞳はエメラルドグリーン。葉を縫い合わせたようなワンピースを着ている。外見では十五歳くらいに見える。

「アタシは風の精霊シルフ。この迷宮の主さ」

 エメは目を丸くした。まさか精霊に会うなんて。

「あんた、加護持ちでしょ? アタシがあんたの加護になりたかったのにさ。先を越されたわ~」

 シルフは口ぶりは残念そうだが、相変わらず笑っている。

「でも、加護の魔法はまだ開花してないんでしょ? 入れ替わっちゃおうかな~」

 ダメだよ、とエメは心の中で言う。この加護はクリスタ王妃からもらった大事なものだ。

「わかってるよ。一度付与された加護を奪ってはいけないってのが、精霊界の常識だからね」

 ――ラースたちはどうしたんだろう。

「あんたがいないと状態異常になるから、いっそいで迷宮を出ようとしてるよ。ま、少しくらいなら助けてあげてもいいけどさ。状態異常になった人間を地上に帰すのって、なかなかにめんどくさいんだよ?」

 エメ、と呼ぶ声がする。ラースの声だ。

「あいつ、変わったよね。ちょっと前まで無感情って感じでさ。どんな悪戯しても表情がまったく変わんないから、つまんなかったんだよね~」

 ――僕をラースのところに帰して。

「……嫌だって言ったら?」

 シルフが目を細め、怪しく笑う。影の落ちたその表情に、エメは息を呑んだ。しかし、次の瞬間にはシルフは先ほどと同じ少し悪戯っぽい笑顔に戻る。

「なんてね。ここで敵認定されて加護の魔法が発動しても困るからさ~。帰してあげるよ。……ただし」

 シルフが人差し指を立てもったいぶるので、エメは首を傾げた。先を促すようにシルフを見遣る。

「そのヘアピンちょうだい」

 そう言ってシルフが指差すのは、ユリアーネが丁寧につけてくれた小さな緑色の宝石がついたシルバーのピンだ。

  ――これはユリアーネにもらった大事な物なんだ。

「それくれたら、おまけに加護の魔法のヒントあげるよ?」

 シルフが小首を傾げながら言うので、エメは考え込む。このヘアピンはユリアーネにもらった大事な物。しかし、おそらく加護の魔法のヒントはこの先、エメが必要とするものだろう。もしこの場にユリアーネがいたら、と考える。きっとユリアーネは、ヘアピンを渡して加護のヒントを受け取るよう言うだろう。エメは考えたあと、ヘアピンを外しシルフに差し出す。

「やった! ありがとう! 大事にするよ」

 シルフはヘアピンを髪につけ、どう、どう、とくるりと回転する。エメがじっと見つめるので、肩をすくめた。

「わかってるよ」シルフはひとつ咳払いをする。「あんたの加護は、あんたの声さ」

 ――声?

「必要な時……いや、あんたが望んだ時に目覚めるよ」

 首を傾げるエメに、シルフはニコッと笑う。

「じゃあ、そういうわけで、バイバーイ!」

 シルフが手をかざすと、エメの体が光に包まれた。これだけのヒントでは何もわからない。

 シルフの姿がだんだんと見えなくなっていく。目の前が白に染まり、最後に、シルフがこう言うのが聞こえた。

「エメ、精霊王があんたを見守ってる。あんたは、愛されるために生まれて来たんだよ」

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