13-3
それから特にエメの【マナ感知】が反応することもなく、魔物と遭遇することもなく、八階層目に到達した。
八階層目のある一角で、先の丸い葉を持つ花が一面に咲き乱れていた。その光景に、エメが目を丸くする。
「これが『風香の迷宮』でのみ採れる『
そもそも、ここまで到達できる者はあまりいない。問答無用で状態異常になるため、それを防ぐスキルを持っていなければ攻略できない。しかし、状態異常を防ぐスキルは
エメが花を指差すので、ラースは辺りに視線を巡らせ、何も危険がないことを確認してからエメを下ろす。
不思議そうに花に触れるエメを横目に、三人は「香り草」を採取し、エミルがアイテムボックスに収納していく。
そのときだった。
エメの体が、足を引っ張られるようにして床に飲み込まれた。三人は即座に立ち上がるが、エメの姿は完全に消えてしまう。辺りを見渡すが、どこにもいない。
「くそっ! エメ!」
「坊ちゃん! どこっスか!」
「ふたりとも」エミルが少し焦った声で言う。「とにかくここを脱出しなければなりません。十分以内に」
ラースとニコライはハッと顔を見合わせた。
【状態異常修復】のスキルを持つエメがそばからいなくなったいま、彼らが風香の魔法から逃れる術はない。エミルの言う通りの時間内でダンジョンを脱しなければ、彼らは状態異常を負い無事に出られなくなるかもしれない。
行きましょう、ときびすを返すエミルに、ラースは顔をしかめた。ニコライがエミルに続きラースもあとを追った。
* * *
エメは暗闇を漂っていた。右も左も、上も下も真っ暗だ。感じるのは浮遊感だけ。何も聞こえない。
エメがきょろきょろと辺りを見回していると、急に目の前に逆さまの女の子の顔が現れた。エメが驚いて肩を跳ねさせると、少女は楽しげに笑う。
「やっと会えたね。会いたかったよ、エメ」
誰だろう、とエメは心の中で呟いた。少女はエメと同じ向きに体を回し、目を細める。若草色の長い髪に、瞳はエメラルドグリーン。葉を縫い合わせたようなワンピースを着ている。外見では十五歳くらいに見える。
「アタシは風の精霊シルフ。この迷宮の主さ」
エメは目を丸くした。まさか精霊に会うなんて。
「あんた、加護持ちでしょ? アタシがあんたの加護になりたかったのにさ。先を越されたわ~」
シルフは口ぶりは残念そうだが、相変わらず笑っている。
「でも、加護の魔法はまだ開花してないんでしょ? 入れ替わっちゃおうかな~」
ダメだよ、とエメは心の中で言う。この加護はクリスタ王妃からもらった大事なものだ。
「わかってるよ。一度付与された加護を奪ってはいけないってのが、精霊界の常識だからね」
――ラースたちはどうしたんだろう。
「あんたがいないと状態異常になるから、いっそいで迷宮を出ようとしてるよ。ま、少しくらいなら助けてあげてもいいけどさ。状態異常になった人間を地上に帰すのって、なかなかにめんどくさいんだよ?」
エメ、と呼ぶ声がする。ラースの声だ。
「あいつ、変わったよね。ちょっと前まで無感情って感じでさ。どんな悪戯しても表情がまったく変わんないから、つまんなかったんだよね~」
――僕をラースのところに帰して。
「……嫌だって言ったら?」
シルフが目を細め、怪しく笑う。影の落ちたその表情に、エメは息を呑んだ。しかし、次の瞬間にはシルフは先ほどと同じ少し悪戯っぽい笑顔に戻る。
「なんてね。ここで敵認定されて加護の魔法が発動しても困るからさ~。帰してあげるよ。……ただし」
シルフが人差し指を立てもったいぶるので、エメは首を傾げた。先を促すようにシルフを見遣る。
「そのヘアピンちょうだい」
そう言ってシルフが指差すのは、ユリアーネが丁寧につけてくれた小さな緑色の宝石がついたシルバーのピンだ。
――これはユリアーネにもらった大事な物なんだ。
「それくれたら、おまけに加護の魔法のヒントあげるよ?」
シルフが小首を傾げながら言うので、エメは考え込む。このヘアピンはユリアーネにもらった大事な物。しかし、おそらく加護の魔法のヒントはこの先、エメが必要とするものだろう。もしこの場にユリアーネがいたら、と考える。きっとユリアーネは、ヘアピンを渡して加護のヒントを受け取るよう言うだろう。エメは考えたあと、ヘアピンを外しシルフに差し出す。
「やった! ありがとう! 大事にするよ」
シルフはヘアピンを髪につけ、どう、どう、とくるりと回転する。エメがじっと見つめるので、肩をすくめた。
「わかってるよ」シルフはひとつ咳払いをする。「あんたの加護は、あんたの声さ」
――声?
「必要な時……いや、あんたが望んだ時に目覚めるよ」
首を傾げるエメに、シルフはニコッと笑う。
「じゃあ、そういうわけで、バイバーイ!」
シルフが手をかざすと、エメの体が光に包まれた。これだけのヒントでは何もわからない。
シルフの姿がだんだんと見えなくなっていく。目の前が白に染まり、最後に、シルフがこう言うのが聞こえた。
「エメ、精霊王があんたを見守ってる。あんたは、愛されるために生まれて来たんだよ」
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