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アーデルトラウト王国国王直属騎士団が制圧したため、盗賊団が少年を取り戻しに来ることはない。しかし、少年が要保護人物であることに変わりはない。一仕事終えたばかりであるというのに、ラースは少年の護衛に充てられた。それも、少年が眠るベッドの真横に、である。
部屋の外には別の護衛騎士がいる。これでも騎士団の中で小隊を担うほどの経験値は持っている。座ったままでも仮眠は取れるし、かすかな物音でも目を覚ます自信がある。しかし、ラースは眠らずに本を読んでいる。
それというのも、彼がこの部屋に来たときに、少年がうなされていたためである。放っておけばよかったものを、ラースはなんの気まぐれか、少年を落ち着けようと思ってしまった。赤ん坊をあやすように胸元をたたいてやると、少年の呼吸が次第に落ち着いた。ようやく安堵したように眠る少年に、このまま朝まで見守ってやろうという気になってしまったのである。親心というのはこういう感情のことを言うのだろうか。そう言えば、もう子を持っていてもおかしくない歳だったな、などとぼんやり考えていた。
とは言え溜め息は漏れる。一仕事どころか大仕事をこなして来た。いかに鍛えられた体と言えど、疲労は溜まっている。明日の任務をニコライに投げればいいか、とラースはまたひとつ深い溜め息を落とした。
* * *
少年が目を覚ましたのは早朝のことだった。護衛の交替のために来たニコライのノックのかすかな音で起きてしまったらしい。どうやら熟睡はできなかったようだ。
「気分はどうだ?」
ぼんやりしている少年に、ラースは努めて優しく問いかけた。少年は怯えてこそいないもの、無感情な顔をしている。ニコライが困ったようにラースを見遣った。
色のない瞳でふたりを見た少年が、小さく口を開く。それから、困惑したように首に手を当てた。
「……声が出ないか」
冷たく言うラースに、ニコライが顔をしかめる。少年の境遇を考えれば当然かもしれない、とラースは息をついた。
「名前は?」
紙とペンを差し出すと、少年はうつむいてしまう。ラースにとっては予想通りの反応だった。
「……字も書けない、っスか……」
「みたいだな」
「困ったっスね……。どうしましょう、先輩。もう少し様子を見たほうがいいんスかね」
「ああ……そうだな。団長に報告に行ってくれ」
「了解っス」
サッと簡素に敬礼をして、ニコライは部屋を出て行く。
ラースも一度、詰所に戻らなければならない。護衛とは言え仰々しい鎧を着ていては少年が落ち着かないだろうと、ベルンハルト団長が所持を許してくれたのは一本の使い慣れた剣だけだった。ついでに着替えもしたい。
呆然としていた少年が、ふと手元に目を落とした。その視線は、昨夜、ラースが少年を保護したときに装着した青い宝石の埋め込まれた腕輪に注がれている。
「説明がまだだったな」ラースは言った。「これは固有スキルを封じる
少年が青い瞳を見開く。
彼の手は「癒し手」である。生まれた頃から、少し傷に触れただけでダメージごと回復していた手。望んでいても、望んでいなくても。その固有スキルを封じるということが少年にとってどれほど重要なのか、ラースには深い理解があったとは言えなかった。
「もう誰かの傷を癒すためだけに生きる必要はない」
ラースにとってはなんでもない一言だった。だから、少年が泣き出したことに気付いて心底から驚いた。
騎士小隊を任されるほどの経験値があろうと、ラースは泣かれると弱い。ラースが最後に泣いたのは、五歳のときのことだったと記憶している。アーデルトラウト王国国王直属騎士団の一員であった父を怒らせて強か殴られたときだ。それ以来、ラースは一度も泣いていない。実の母が亡くなったときですら、涙は出なかった。
泣くときの感情はとうに忘れてしまった。だから、泣かれるとどうしたら良いかわからなくなってしまう。
騎士小隊長として情けなくも、三秒ほど硬直したあと、ラースは少年のとなりに腰を下ろし彼の肩を抱いた。
少年は静かに泣く。もしも声が出ていたのなら大声を上げていたのだろうか、とラースはそんなことを考えていた。
「あっ!」
ドアが開くのと同時に聞こえてきた声に、少年が目を丸くする。ラースは思わず眉間にしわを寄せた。
「先輩! なに泣かせてるんスか!」
戻って来て早々にニコライが騒ぐので、ラースは深く重い溜め息を落とす。少年はラースとニコライを交互に見た。
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