二十年後の未来に花束を

加賀谷イコ

プロローグ

 寂れた砦は、一瞬にして戦場へと変貌を遂げた。

「総員、かかれ!」

 ベルンハルト騎士団長の号令が響き渡る。その声に応え駆ける騎士たち。熱く、または冷徹に。

 今回の作戦に下された指令は、ひとりとして逃さないこと、そしてひとりとして殺さないことだ。殲滅せんめつ命令だったらやりやすかったものを、とラースは舌を打つ。

「ニコライ! 先に行け!」

「はい!」

 部下の若き騎士ニコライの返事を確認し、ラースは背後に目を遣る。追手はいない。いまのところは。

 あちらこちらから金属のぶつかり合う音が聞こえてくる。敵も素人ではない。武器を持っているし、戦う力も有している。攻撃をすればもちろん抵抗、反撃される。そのため、生きて捕らえることはなかなかに骨が折れることだ。

 ラースは目にかかる茶色の前髪を乱暴に払い、前方に視線を戻した。崩れた天井の隙間から差し込む月光で、ニコライの金髪がキラリと光って目立つ。先鋒の騎士たちが空けた道を、ひたすら建物の奥へ向かって走った。

「小隊長! 右に向かいます!」

 ニコライが足を止めずに言った。ラースは、ニコライの行く先に十字路を認め頷く。直進すれば先鋒の騎士たちの戦場へ向かう。ラースはニコライとは逆方向へ向かった。

 ふたりの目的は「要保護人物」の救出である。この砦にいることは諜報員により確認済みだ。しかし、その居場所を特定するまでには至らなかった。秘匿が厚く破れなかった。

(……これだけ大きな拠点が見過ごされてたなんてな)

 ラースは自嘲気味に鼻で笑う。街から大きく離れた場所であり、尚且つ元軍事拠点だったためだろう。しかし、見過ごされて良いような規模ではない。

 前方左に部屋を確認する。その中にちらりと視線を遣ったラースは、靴底を滑らせながら足を止めた。

「いたぞ!」

 遠くない場所からニコライの返事が聞こえる。ラースが部屋に足を踏み入れると、影の中から怯えた気配を感じた。

 緑がかったグレーブラウンの髪、大きな青い瞳。窓からかすかに漏れる月光に薄く照らされ、その少年――要保護人物は肩を震わせていた。

 少年と一定の距離を保ちつつ、ラースは膝を折る。

「俺たちは味方だ。お前を助けに来た」

 ラースの鋭い眼光か、はたまた戦場と化した空気のためか、少年は青ざめた顔で一言も発しない。

 左足に枷が掛けられている。骨ばった足首が痛々しい。

 ニコライが部屋に入って来ると、少年の肩が跳ねた。酷く怯えている。八歳くらいだろうか。恐怖を懐くのも無理はないかもしれない。

 ゆっくりと立ち上がったラースを見上げ、青い瞳が揺れる。ラースは手甲を外し、少年の肩に優しく触れた。彼の体をかばいながら足枷の鎖に剣を突き立てる。激しく響いた金属音に少年がまた肩を震わせた。

 ラースは剣を鞘に納めると、少年の前で腰を屈める。

「失礼」

 彼を安心させようと声を掛けたのだが、語気の強さまで消すことはできなかった。ラースがその腕に触れると、少年は小さく息を呑む。しかし、もう躊躇している時間はない。少年の痛々しく骨ばった手首に、青い宝石の埋め込まれた腕輪を左右それぞれに装着する。少年の表情には困惑がありありと浮かんでいたが、ラースは立ち上がった。手甲を嵌め、少年の体を肩に担ぎ上げる。その体は、あまりにも軽い。軽すぎてバランスを崩しかけるほどだ。

「先に行きます!」

 ニコライが駆け出す。掴まっていろ、と少年に声を掛け、ラースもそのあとに続いた。まだあちらこちらで戦いが続いている。このまま無事に砦を脱出できるといいのだが。

 そんな望みが破られるのは一瞬だ。ふたりの行く手を阻むように男が飛び出して来た。ニコライは、男が振り下ろした切っ先を剣の腹で受け流し、身を翻して男を蹴り飛ばす。生きて捕らえろとの命令だが、いまの彼らは捕らえることに心血を注げない。要保護人物の救出が最優先だ。

 ニコライが敵を蹴散らしながら、彼らは十分ほどで砦を走破する。ラースとは別方向にニコライが向かって行くのを、少年はどこか不思議そうに眺めていた。

 砦を離れてしばらく。二頭の馬にラースは駆け寄る。彼とニコライの馬だ。ラースはそのそばに少年を下ろした。マントをかけてやると、その大きな瞳がラースを捉える。

「よく生き延びた」少年の頭を撫でる。「頑張ったな」

 見開かれた瞳が揺れた。泣き出すかと一瞬だけ怯むラースだったが、少年はうつむくだけだった。

「小隊長! 帰投命令です!」

「わかった」

 ラースは少年を抱えながら馬に乗り上げる。ニコライもそれに続くのを確認してから、馬の腹を蹴った。

 少年の瞳が、遠くなる砦を無感情に見つめる。すでにあの場所への関心を失ったと、そう思わせるには充分だった。

 二頭の馬は一路、王宮を目指した。


   *  *  *


 アーデルトラウト王国国王直属騎士団はこの日、国の脅威となる可能性のあった盗賊団を制圧した。

 その勢力、数にして百余ほど。ただの盗賊団にしては大きく、犯罪団としては小さいと言える。

 ただの盗賊団が国を脅かす――。それはもちろん「癒し手」を有していた場合の話である。

 最上位エクストラスキル【癒し手】は、傷に手を当てるとダメージごと回復させると言う。死者蘇生までは叶わないとしても、どんな傷でも癒すと言う。犯罪団には過ぎた能力である。

 その盗賊団に捕らわれていた【癒し手】の保有者、それがラースとニコライが砦から連れ出した要保護人物である。現在、この国で確認されている唯一の保有者だ。

 ベルンハルト団長に上がった被害報告によると、騎士団員は二十五パーセントが負傷したと言う。想定より三十五パーセント低い。盗賊団員百余名は死者のひとりも出さずに一網打尽にした。戦術的勝利と言えるだろう。

 盗賊団員の処遇については、ラースとニコライの知るところではない。アーデルトラウト王国の王宮には充分な広さの牢獄がある。そこに投獄されるだろう。

 ラースとニコライの任務は、あくまで要保護人物の救出。出迎えた神官に眠っている少年を引き渡した時点で、ふたりの任務は完了している。とは言え、仲間に丸投げするわけにもいかない。任務完遂の報告を終えたら、盗賊団員百余名を捕縛する仲間のもとへ戻らなければならないだろう。

 ちょっとくらい休憩してもいいんじゃないっスか、と不満を零すニコライの尻を八つ当たりで蹴り、ラースは再び馬にまたがった。そこで、はたと気付く。マントを少年に預けたままだ。しかし、これから待ち受けている盗賊団の捕縛を考えれば、それは些末なことである。

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