第4話 玉ねぎと兵隊

「この脂身が美味えんだよ、脂身が」


 先輩がそうつぶやきながら包丁で肉の筋切りをしている。


「どんな古い漫画ネタなんですか」


「そう言いながらお前さんも知ってるじゃん」


「『ジョジョの奇妙な冒険』は別格ですよ。でもやっぱりとんかつはロースですよね。ヒレじゃなくて」


「当然。それと、おれ特製の隠しスパイス」


「そのスパイス、先輩のヒミツなんですね」


「ああ。これだけは渡せない」


 僕らは中隊本部の糧食班で、オリーブドラブに塗られた炊爨装置7型を囲んで野戦烹炊所を設営し、そこで中隊全員分のとんかつを作っているのだ。筋を切った豚肉はそのあと胡椒と醤油を絡め、それを10分ほどおく間に炊爨装置についているプロセッサーでキャベツを千切りにして冷水に放ってパリッとさせる。付け合せのトマトも繊細にカットして彩りにする。


 絡めた豚肉が馴染んだところで汁気を拭き取り、小麦粉と溶き卵をまとわせパン粉をまぶして衣にする。油は炊爨装置の鍋で中温にしておく。それに衣のついた肉をおろし、4~5分かけてきつね色に揚げて完成である。配膳は各小隊にわたすときに行う。この烹炊所は戦線から離れているが小隊は中国人民解放軍と歩哨と偵察ドローンをお互い出し、なおかつスナイパーと迫撃砲で散発的に攻撃しあっている。その緊張が長く続いてストレスがお互いにミスにつながっているが、他の戦線を支えるためにはお互い手を出せない。我慢比べとなったそこで中隊長がとっておきのとんかつの夕餉というカードを切ったのだ。




 天気はしとしとと粘着質に降る梅雨の雨である。班のみんなはその中で天幕の下にいるとき以外はヘルメットを被り迷彩服姿で調理作業に励んでいる。ヘルメットの縁から水が滴り、防水性と赤外線センサーをごまかす性能をもつ特殊素材の戦闘服は同時にこういうジメッと暑い季節でも蒸れないようになっているはずなのだが、素材がだんだんヘタってきているせいか蒸れてしまう。その不愉快さをごまかすために班のみんなは軽口をたたきながら調理作業に励んでいる。


「そういえば先輩のときはどんなイジメがありましたか」


「何聞いてんだお前」


 苦笑する先輩。


「まあ、でもこの列島分断がはじまったころの隊内はたしかに荒れてたな。はじめは物を隠すなんて小学生レベルのせこいいじめだった。それがだんだん過激になっていくのもよくあったな。個人戦術端末にエロ動画山盛りに詰め込んだりしてるのはまだマシだった」


「マシだったんですかそれ」


「ああ。しまいにゃカツアゲで金奪う、借金させる、さらには裸にして股間に低周波治療器付けるなんてことになって。そんなひどくなったのにその時の中助(中隊長)がド阿呆で『お互い仲直りしろ』ってやって」


「ええっ」


「なんでいじめたやつとやられたやつが対等の仲直りなんだよ、と思ってたら時既に遅し。そのやられたやつ、保管中の戦車の戦車砲にロープかけてぶら下がってたよ。自殺。ほかにも楽しい外出の日なのにそこで電車に飛び込んだのもいた。隊舎の非常階段の鍵開けて飛び降りたのもいる。ただでさえ定数に足りないのによけいがらんとした隊になって。ようやくそこでその中助が異動になった」


「異動ですんじゃったんですか」


「遺族もたまんないと思ったけど、公にすると隊外の左巻きの政党がネタにしまくります、って上の連中が言ったら遺族は示談にして」


「言った? それ、ほとんど脅迫じゃないですか」


「遺族も自衛隊に入れた、人の役に立ついい仕事につけたって喜んでたらこれだけど、いじめがあったというのは亡くした家族をもう一度恥で突き落とすことになる。それで結局理由のよくわからない部隊葬して決着。その首謀者、ちょっとしたあと目黒の幹部学校にいっちゃったよ」


「出世しちゃったんですか」


「どうだかわからん。ただ、いじめってのは暇と弱く長いストレスが続くとどうやっても起きてしまう。人間の心のなかにすでにそういう基地外なものがあるんだろう。いじめる側がどうあっても悪い胸糞案件なんだけど、結局まともな対策はいじめられてるやつを逃がすしか方法はない。人間の愚かなのを突然利口にするのはどうやっても無理だからな。でもなんでいじめの話なんか聞いたんだ?」


「いや、俺、入隊前の学校のとき、いじめで友人を亡くしてて」


「そのわりには軽くこんな話聞くなよ。俺だって正直いまだに胸糞が悪い」


「そうですよね。すみません」


「自衛隊も昔、ガソリン泥棒税金泥棒と言われてた頃はいじめをする余裕もないほどキツかった。それに今みたいに噂が広がる媒体もなかった。それが災害派遣や海外派遣が四六時中あるようになった。部隊内でもSNSもできるようになった。暇な部隊、緊張が弱く強いられる待機中の部隊、出動のあまりない後方部隊でいじめが流行りだした。俺が入隊したのはそんな令和時代の初め頃だった。正義のミカタを期待して入ったら良い年とった大人のいじめだぜ。なにこれ、と思った。まあいじめにカルトにネズミ講が流行ってたからなあ。そういうので嫌になっていっそのこと戦争でも始まってくれれば、なんて気持ちになっちまうのもいた」


「狂ってます」


「狂ってなきゃ戦争なんかしないさ。ほら、とんかつ揚がった。配給に行くぞ」


「はい!」


 こうやって調理する傍らには小銃を班のみんなでつくったガンラックに収めてある。僕らのこの銃が必要になるような劣勢になったらもうどうしようもないのだが、それでもそなえなければならない。これは断じてキャンプやハイキング、バーベキューではないのだから。




 配膳車を運転し、土嚢でつくりバラキューダ(偽装網)をかけた烹炊所陣地を出て、野戦道路を通り小隊本部を回っていく。途中、運悪く撃墜された中国軍の偵察ヘリと相打ちになったAW(自走対空機関砲)の残骸の傍を通る。集落はどこも無人だ。戦場になるということで避難したのだというが、実際はそのまえから少子高齢化で過疎になっていてほとんど空き家だったらしい。家の廃墟の朽ち方は確かにこの戦いよりずっと年季が入っている。


「お、とんかつだ」と受け取りに来た隊員がいう。


「サクッと揚がってるよ。会心の出来だ」


「ありがてえ」


「前線の様子は?」


「膠着状態さ。斥候出して偵察ドローンを放って、それをお互いに撃ち落とし合ってる。偵察ドローンは補充もどんどん来るけどこれじゃドローンメーカーは丸儲けだなと思うぜ」


「ドローン……中国か」


「ああ。日本のメーカーが玩具扱いで馬鹿にしてるうちにしっかり作っちまったんだもんな。俺等のドローンも結局技術は中国製だもん」


「日本に技術者いても給料安すぎて流出止めらんなかったもんなあ」


 そう言いながら先輩とともにカツとキャベツとトマトを分ける。飲み物や調味料も分配する。飲み物は電解質のはいったスポーツドリンクとお茶の二種類。


「ほんとさ。経営者太らせてどーすんだと思うけど法人税も所得税も消費税も徹底的に経営者を甘やかすだけだったからな、今頃そういう連中は日本から脱出してどっかでいろんな株価上がるの喜んでるだろうよ」


「くそったれ。クラスター爆弾とかブンカーバスターでもぶちこんでやりてえな」


「ああ、まったくだ」


 ほんとうは一緒に食いながら無駄話でもしたいのだが、他の小隊が待っているし、その最後に我々の班の食事がある。みんな土の匂いに交じる油の匂いもうまそうなとんかつを喜んでいるが、俺たちは最後だ。腹が減ったがそれはほかの小隊はもっとなのだから我慢我慢。






 野戦陣地をすべて回ってまた烹炊所陣地に戻って、我々の班も夕餉となった。幸い今は再加熱を炊爨装置でかけることができる。


 口に入れると口の中に刺さりそうなほどカリッと揚った衣。噛むと肉からじわっとにじみ出る香味油。胡麻いりソースの枯れたような香ばしい香りとロース肉の濃厚な味わいをさわやかなキャベツの千切りが拭っていく。そのために噛むたびに味わいがつねに新鮮に鮮やかに口の中に染み渡る。脂身がまた最高の肉の甘いエキスの塊となる。このとんかつは人間から語彙を奪ってしまうものだ。


 美味え。とんかつ美味え。


 そうじっくりと陶酔して味わっていると、先輩が笑っていた。


「ほんと、うまそうに食べるなお前」


「だって美味しいんです。ほんとうに」


「そうかそうか」


 満足げに笑う先輩。






 外はもう暗く、雨が上がって満天の星空になりはじめていた。濡れた草むらを波のように風が揺らし、秋の虫が鳴き始める。


「おい、食い終わったらトイレいくぞ」


「なんですかそれ。連れウンコなんて」


「ばかいえ。おおっぴらに野グソできるなんてこんなときだけだぞ。星空の下の野グソは気持ちいいんだぜ」


「なんか変態です」


「そうか? うちの班に女子がいたら、そんなのできないんだぜ」


「女子」


 あ、ぼくと先輩は同時に気づいて、そろって目をそらした。


 そう、2週間前までぼくらの班には女子隊員がいたのだった。彼女は同期と二人でその日の昼食を配膳車で運んでいるとき、この一帯を中国軍の航空攻撃の猛攻が襲った。そして運悪く彼女たちは戦闘攻撃機に見つかり、遮るもののない土手の上で、配膳車のラックに満載した彼女得意の欧風きのこカレーと彼女は運命をともにした。敵攻撃機の30ミリ機銃弾の連射は無慈悲に中隊全員分の昼食と彼女たちを粉砕し炎上させた。


 彼女の亡骸はひどく傷んでいて識別困難だったが、この戦争が始まる前にようやく配布された硬質合金の識別票ドッグタグが彼女の戦死の運命を確定したのだった。


 容姿端麗ないい子だった。高校で吹奏楽をやっていて、本当は音楽隊を目指していたのだが残念ながら選に漏れたのだけど、それでも自衛隊にあこがれて一般曹士課程で入隊したらしい。時々彼女はフルートを聞かせてくれた。音楽のことはわからないぼくだったが、素敵な音色だった。識別表の脇の千切れたパイプはおそらくそのフルートだったのだろうという。昼食前には可憐な笑顔をみせていた彼女も、その1時間後には炭化した原型を留めない肉片になる。それが戦場というものなのだ。




 言葉もなくぼくと先輩はスコップを持って連れウンコに行った。たしかにこういう風景の中での野グソは不思議な爽快感があったが、感想をいう気にもなれなかった。スコップで穴ほってそこに用を足したあとはまたスコップでそれを埋める。黙々と埋めて見上げると、そこにはただ、夜空の星が冷たく残酷に瞬いているだけだった。







 僕らの使う炊爨装置には配膳する食器トレイを洗浄する機能がある。昔だったら現場の隊員に洗わせていたのだが、前線に近い隊員に余計なことをさせないほうがいいと回収して洗浄することにしたのだ。古株の隊員には『あの洗ってる無駄な時間がまたいいのに』と不評だったが、現代の戦場ではそんな余裕はなくなっていた。今や一般小銃手でも、戦闘時に戦術LAN端末を持ちインスタントメッセンジャーを操作しなければならない。そのために手袋したままフリック操作できるタッチパネルや小銃の照準器を兼ねるバイザー式のHUDヘッドアップ・ディスプレイとその光学・赤外線センサー、そしてそれらをすべて駆動する電池を装備している。それに複合素材製のヘルメット、カーボンとセラミックを使ったボディーアーマーに手足のプロテクター、予備弾倉を収めたポーチ、電解質入りのドリンクを収めた水筒、銃創を負ったときにその傷穴に詰め込むと止血とともに治療をしてくれる綿粒のような衛生特殊応急具を収めたポーチ。


 これを全部着込んでも普通科、諸外国でいう歩兵の小銃手にとっては軽装なのである。毒ガス・生物兵器・放射能対策の防毒面や防護衣まで考えると、いかに訓練された隊員でも、もうただ歩くだけでもおお仕事になる重量になる。そこで各隊員にはパワーアシストのある戦闘外骨格が与えられ、それを駆動する予備バッテリなど、分隊ごとに必要に応じて使うだけの装備品をまとめて運搬する四足歩行の軽運搬車、馬型のロボットが配備されている。昔の機械化歩兵といえば装軌装甲車を装備していただけだったのだが現代の歩兵はドローンにそういったロボットに戦闘外骨格装備で、外見はまさにロボット兵士のような有様なのだ。


 そういうロボット化兵士のような現代歩兵だが、それでも食事と排泄をしなければならない。本当は性欲の処理も必要なのだがそれはさらに複雑な話になるので本稿では触れない。


 ここまで機械化すればあと一息ですべてAI駆動のロボットにできる、あるいはそこに不完全な人間がいることがむしろミスの源になる、という議論も出るのだが、残念ながら地上戦もまた、人間でなければ遂行できないのだ。どんなにロボット化しても人間でなければできない仕事はあるし、それまでロボット化したら人間を使うよりも遥かにコストが高くなってしまう。ある意味これもロボットのパラドックスなのだ。もっと戦争の本質、意味論に近い話かと思ったら、単に人間が安いだけであった。それをAIの支援を受けたりAIによって駆動される、立体殺戮装置となった戦闘ヘリや中距離ミサイル、野砲の砲列に戦車装甲車に自動銃架という戦闘ロボットのネットワークが張り巡らされた戦場に送り込むのは、まるで精肉店のミンチマシーンに生きた人間を放り込むような残虐な行為なのだが、現代戦はそういうもので、それを避けるにはそもそも戦争をあきらめるしかない。


 だがなにをしても戦争に訴えないと知った相手が仕掛ける暴虐悪逆もまた同じように残酷なものである。つまるところ人間の本質はそういう不条理な悪逆非道にさらされなががら、それをこらえつつも、いつのまにかその加害に加担しているものなのだ。それがすなわち『業』なのである。




 話が逸れた。僕らは大隊の食器を全て洗い終え、乾燥させながら翌日の献立を検討し始めた。味方の制空権は相変わらず不安定で、陸上部隊の行動は夜間にしか行えない。ただ敵も同じような様子で、まさに膠着状態のまま損耗が続いている。


「攻勢かけるきっかけもないしなあ。手詰まりだよな」


 先輩がそう言いながら栄養管理表を表示したタブレット相手に口を尖らせている。


「食材発注しても届かないことも増えた。そのせいでやりくりしなくちゃいけない。それになんだよこの小麦粉。届くのはいいけどこんな量、全然使いきれないよ」


 バラックに収めた小麦粉の袋を見て僕らはため息をつく。


「パスタとかうどんとか作れってことですかねえ」


「ここで麺作って? 手打ち麺して? ここにそんな優雅な暇どこにあるよ」


「そうですよね」


「まあこれが戦争ってもんだけどさ。あとあるのは玉ねぎか……なんか作れないかな」


「あ、そうだ、『玉ねぎのもちもち焼き』なんてどうでしょう? 小麦粉と玉ねぎだけでおかずになりますよ」


「それやってみんな喜ぶか?」


「……そうですよね」


「その分少しでも、もっと肉とか肉とか肉とか頑張って分取ってこなくちゃ。それが俺たちの仕事だ。一にも二にも肉だ」


 肉肉と繰り返してしまうが、肉のタンパク質は人間の体では作れない必須アミノ酸を含んでいる。大豆でも必須アミノ酸は取れなくはないが動物性タンパク質のほうがバランスがよい。また造骨機能の促進、ホルモンバランスの安定化、血管の改善、感染症への免疫抵抗力の強化などにも効果がある。よく言われる生活習慣病の原因は脂質と糖質のとりすぎが主因であり、適切な肉食はいいことの方が多い。むしろ肉食が取り入れられて以降の日本の平均寿命は向上している。また肉にはナトリウム・カリウムなどのミネラルが含まれているので減塩効果も期待できる。牛の赤身豚のレバーには重要なミネラル亜鉛も含まれている。豚もも肉には特に糖質をエネルギーに変換するのに必要なビタミンB1が多く含まれている。


 また粘膜の新陳代謝や免疫によく抗酸化作用のあるビタミンAをダイレクトに吸収できるのはレバーの特質である。レバーや赤身はまた吸収されやすいヘム鉄は脳の働きをよくする。


 そして牛肉豚肉の脂肪には植物油にはほとんどない必須脂肪酸であるアラキドン酸があり、この一部は脳内で幸福感や高揚感をもたらす脳内物質になる。これはリラックス効果や記憶力増進効果をもたらす可能性があるという。


 牛タンに含まれるタウリンは交感神経を抑制し腎臓の働きを促進して血圧を正常に保つし、肉に含まれるオレイン酸はコレステロールのうち悪玉と呼ばれるものだけを減らす。


 一時期肉食を残酷だと過激に悪くいう一団が現れたが、野菜なら残酷でないというのもおかしい。植物にも知性があるとする説もあるし、そもそもなにかの犠牲なく生きていけると思うことこそが酷い傲慢なのだ。何かを犠牲にしなければ生きていけないのが命であり、だから食べるときに頂きますと礼をし、食べ終わったらご馳走様、お世話様というのだし、食べる場所を食堂、食べるための御堂と呼ぶのだ


 日本に宗教心がないというが、こうして普段から宗教的素養と共に生きているのが日本人である。むしろ欧米人こそ鯨は知性があるから食べるのは残酷でブロイラーは知性がないから機械で残虐に絞めて食べてもいい的な酷い話を平気でするから全く理解不能だと思う。そういう理屈の合わなさになんの疑問も感じない連中には何を言っても無駄だと思う。せっかく彼らの宗教には原罪といった概念もあるのに何やってんだと。「日本人は文化を粗末にしている!」というものもいるが、彼らも十分粗末にしているしそうでなくて心を痛めているものもいるから、典型的な主語の大きすぎる話ってやつだろう。


 ただ……今思うとそういうバカげた口論をしていられた時代はまだ平和でよかったのだ。今は口論した上で実際に殺し合っている。フリックで入力していたSNSの代りに火力支援を要請する戦術メッセンジャーを使うようになってしまったし、実際の風景に可愛い女の子のフィギュアを映し出すおもちゃだったARも今や地雷原やスナイパーの脅威を表示する戦術ゴーグルになってしまった。


「さて、もう時間だ。寝るぞ。風呂は明後日か」


「明日頑張ればすぐですよ」


「お前に言われたかないよ」


 先輩はそう苦笑した。




 ぼくは先輩と同じ天幕の下で寝る、のだが、その夜は妙に眠れなかった。


「先輩、起きてます?」


「寝てるよ」


 先輩はそう答えた。何言ってるんだ先輩……。


「先輩、自衛隊に入らなかったら何してました?」


「わかんねえな。俺、自衛隊に入るまで料理したことなかったから」


「えっ、あんなに料理すごく上手なのに。術科競技の入賞常連で?」


「仕方ねえよ。俺のころは就職のあてがなくて、高卒対象の曹士課程に大卒が入ってくる時代だったからな。俺もそれで高卒で専門学校に通うと見せかけてぶらぶらしてて。でもしょーもねーな、ってんで入隊。戦車乗りたかったけどこの腹だ。それに料理したことなくてもうまい飯は好きだった。それでこの配置になった」


「そうなんですか」


「飯がうまいってのはいいもんだ。飯がどう食べても味がしないってことがあるからな」


「なんでしょう」


「まあな。……嫁さんと離婚してから飯の味がするまで4年かかった」


「え、先輩結婚してたんですか!」


「言うんじゃなかった。寝るぞ」


 先輩は寝返りを打って向こうを向いた。


「先輩のひみつスパイスって」


「寝るぞ」


 先輩はそう言ってそのあと答えなかった、そりゃ疲れているんだ。


 ぼくはそれ以上聞かなかった。そのままぼくは眠っていた。


 その夜、夢の中で先輩がスパイス瓶を渡してくれそうになった気がしたが、おぼろげでよくわからなかった。






 朝になった。ぼくらはみんなより早く目覚めるのだが、陣地がやたら騒がしい。


「攻勢に出るかもしれん」


 先輩がそういう。


「いよいよですか」


 しかし先輩は浮かない顔をしている。


「こういうときが一番危ないんだが。でもHQヘッドクォータ―からもCPコマンドポストからも何も言ってこないしな」


 先輩はそう言うと考え込んだ。


「飯の準備だ」


 ぼくは従ったが、先輩は付け加えた。


「ちょっとこいつ、もうちょっと近くに置こう」


 そういって先輩は銃を収めたラックを引っ張って寄せた。


 その時、発砲音が聞こえた。


「くそ、言わんこっちゃない! 佐々木! 銃をとれ!」


「ええっ」


 その時、戸惑う僕を呼んでいた先輩がそのままぼくの足を蹴飛ばした。昏倒するぼくは悲鳴と抗議の声を上げようとしたが、それより先に小銃の曳光弾が飛び込み、烹炊装置に命中した。先輩が蹴飛ばさなかったらその弾はぼくの頭を撃ち抜いていた!


「佐々木、消火器!」


 ぼくは昏倒してふらついていたが、それでもヘルメットを抑えながら消火器の定位置に向かった。土嚢で作った壁のような掩体のところに人影が見えた。援軍だ!


 しかしその迷彩服のパターンがぼくらの自衛隊のパターンと違う!


「こなくそ!」


 声とともに連続する発砲音が響いた。先輩の銃だ。銃弾はその侵入した敵迷彩服に命中している。しかし仕留められない。敵も装甲外骨格を着込んでいるのだ。だが先輩や僕の装備する銃にはそれに対抗できる小型対人ミサイルが着いている。それを先輩は放った。乾電池よりちょっと大きい程度のミサイルが飛び、装甲外骨格に命中するとその装甲を成形炸薬で貫き、灼熱の金属ジェットをその内側にふきこんだ。火だるまになり絶叫しながら敵が倒れる。


「先輩!」


 ぼくは敵の侵入をメッセンジャーで緊急報告して先輩を見た。くそ、敵はまだ来るのか!?


 もう一度前線のほうに振り返った。もうひとりの外骨格の敵兵が見えた。くそ! と僕が銃を撃つ。しかし敵兵はそのまま立ち尽くしている。よく見るとその外骨格は煙を薄く吐いて燃えていた。外骨格が被弾で機能喪失しても倒れなかったのだ。でも当然、中の敵兵は絶命していた。断末魔……。


「先輩! 生き延びましたね!」


 僕は振り返った。


 烹炊装置に寄りかかっていた先輩のヘルメットは撃ち抜かれ、頭の半分がえぐられて脳漿を撒き散らして吹き飛んでいた。ミサイルを放ったときに相討ちになっていたのだ。


 先輩!!


「大丈夫か!」


 味方自衛隊の装甲外骨格が次々と現れた。しかしみな、ぼくらをみて言葉もなかった。


「烹炊所、1名生存、1名戦死」


 報告を彼らの分隊長が行った。




 ぼくはそれでもみんなの朝食を作らなくてはならなかった。他の糧食班からも応援が来たが、ベテラン糧食員である先輩の戦死はあまりにも痛いものだった。


 食材はこの敵の攻勢によって輸送車が足止めされているらしく、昼までかかるので朝食には間に合わない。


 ぼくはあきらめて、玉ねぎを向いて味付けした小麦粉と焼く『玉ねぎのモチモチ焼き』を作った。玉ねぎのせいで目がしみて涙が出た。でもそれ以上に涙が出た。玉ねぎの硫化アリルのせいでは声まで出ないはずだが、声も出た。ぼくは喉が枯れそうに声を上げて涙した。応援の隊員が背をさすってくれたが、兄のように慕っていた先輩を失った僕はすっかり取り乱していた。


「少し休め。あとはおれたちがやっておくよ」


 傍らに先輩と相打ちになった敵の外骨格がまだあった。罵る気もなく見ると、その外骨格のポーチからなぜか『明治キャラメル』の箱がこぼれ落ちた。敵兵がどこかで食べようとしていたのかもしれない。敵陣深く突入した敵兵がどういう気持ちでキャラメルをポーチにしのばせていたのか不明だし、取り乱したぼくには、それを考える余裕はまったくなかった。




 それでもぼくはその後もこの陣地烹炊所で食事を作るしかない。ここまでも三度の飯のたびにだれかがいなくなってトレーがあまってきたのだが、食事を提供したあとに僕と食べる先輩のトレーが余ることになってしまった。


 作ったけど味のしない玉ねぎのモチモチ焼きを食べた。


 ぼくにはこんなつらくて悲しい食事は初めてだった。


 結局、この貧乏くさい玉ねぎのモチモチ焼きに対して、中隊のみんなから苦情は出なかったという。事情が事情だからみんな我慢して言わなかったのかも知れないが。




 ただ、先輩の揚げるあの最高のサクサクとんかつは、もう二度と食べることはできない。


 そして、それに先輩が使っていたはずの先輩のひみつスパイスの瓶も、結局先輩の私物を整理したけどみつからなかった。




 そもそもそのスパイスははじめから無かったのかも知れない、とぼくが気づいたのは、先輩を含めた戦死者をまとめてこの陣地で弔った日からさらに後のことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

レゾナント・レイルウェイ 僕の街に来た戦争 米田淳一 @yoneden

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ