第4話 過去と今

ハッと我に返る。

生暖かい感触と、吐き気を催す程の悪臭。

周りには悪意を持った人集りが出来ていた。

どこからとも無く「クスクス」と笑う癇に障る声が聞こえる。

私は頭の上を思い切りはたいた。

ベチャッと嫌な音がして、「キャー!汚い!」と主犯格であろう人物が叫んだ。

一番前で私を嘲笑っていた憎たらしい人間。

スッキリする訳が無い。逆に気分が悪い。

いつの間にか、人集りが取り囲んでいたのは私では無くなっていた。

道が開けたのを良い事に、私はそそくさとその場を離れた。

無駄に広くて土地勘が求められるこの広場、私はもう迷う事は無い。

ふと木陰から手招きをする人影が見えた。

私は安堵して、その人影に歩み寄った。

「ひなた、じっとしてて。」

少し嫌な感触が残っていた頭の上がすっきりとしたのが分かった。

「これでもう大丈夫…では無いけど、ひとまず落ち着いたかな。」

「うん」

私達がそれ以上会話する事は無かった。

ただただ誰にも見つからない場所で、刻々と過ぎる時間と吹き抜けて行く風に身を任せていた。

彼女の器用に編まれた三つ編みが、遠くにいる何かに引っ張られている。

日差しのせいだろうか、茶色い髪がオレンジ、緑の瞳はより一層強い緑を主張していた。

少しずつ、時の流れがゆっくりになってくる。

「ボーン、ボーン」

ふっと我を取り戻したかのように、時間が景色を敏捷に動かして行く。

私に繭の中に居るような安心感をくれた景色でも、時間には逆らえない。

重い腰を上げる。

「のあ…」

無意識に彼女の名前を呼んだ。

「ん?なーに?」

のあは輝かんばかりの笑顔で言った。

瞳は本当に内側から光っているように見えた。

私はのあの手を取って歩き出した。

暖かい手の温もりは、私の体を包み込むと同時に空気の冷たさを呼び起こした。

後ろから吹き抜けて来る風は、さっきまでまともに吹かれていた事が信じられないくらい冷たかった。

心做しか、景色が色褪せて見える。

目眩もしてきた。

(息がしづらい……)

もうのあがいる事すらもどうでもよかった。

いや、正確にはのあの事を考える余裕なんて無かった。

迫り来る大きな建物、私はもう逃げられないのだと、何回目かも分からない悟りを開いた。

「…たい…」

呼吸が更に荒くなる。

「…痛い!」

ハッと我に返った。

のあは手を離してくれと言わんばかりの表情でこちらを見ていた。

「ご、ごめん」

慌てて手を離す。

のあの手首は少し赤くなっていた。


私はまた、大事な人を傷付けてしまった。

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