第四十三話 たった一人

 私は声が枯れるほど叫んだ。そこには後ろから来た魔物に剣で背中を斬られ倒れるおじさんの姿があった。おじさんを斬った魔物は体が大きく、狼の頭をしており、人間のように二本足で立っていた。おじさんの後ろには魔物たちが飛び回り、矢が飛び交い、街中に火の手がまわっていた。街の兵士たちが剣や槍を構えて戦っているが次々に殺されているのが見えた。あちこちから赤い炎と黒煙が立ち、人々は倒れ、醜悪な魔物が割拠するその様は文字通りの地獄絵図であった。

 私は走った……おじさんが命がけで私を守ってくれたから……生き延びなきゃいけないから……

 坂を転げ落ちるように走って下り、神父様のもとへたどり着いた。


 「フィオーレ! よかった! 無事だったのですね!」


 「みんながッ!! みんながッ!! ロレンツォも! ディエゴも! マルティーナも! 街の人たちやおじさんも……ッ!!」


 「……ッ!! …………そうですか……でもあなただけでも助かってよかった……」


 「……え? 私だけ……? どういうこと……?」


 「……」


 神父様は少し黙った後、悲しそうな顔で私に言う。


 「いいですかフィオーレ、落ち着いて聞いてください……孤児院にいた子たちは……皆、魔物にやられてしまいました……魔物は私たちでなんとかしましたが……」


 「そんな……ッ」


 「マルコやサラ……おそらく街へ遊びに行っていた子たちは皆、魔物に殺されてしまったことでしょう……」


 「嘘だ……!! 嘘だそんなのッ!!」


 「フィオーレ……」


 「嘘だと言ってよ神父様!!」


 神父様は悲しそうな、つらそうな、苦しそうな顔をした。


 「……フィオーレ、教会に入っていなさい」


 神父様は私に教会の中へと入るように言う。


 「神父様……」


 「あとは……頼みましたよ……」


 神父様はそう言うとシスターに私を預けた。よく見ると神父様は上着を脱ぎ動きやすい格好になっている……胸には葉のような形のペンダントをぶら下げている。それは神父様がいつも身につけているものだ。


 「神父様は!」


 「大丈夫ですよ……街の兵士たちが戦ってくれています……」


 このままでは神父様も死んでしまう。それが直感的に分かった。


 「私は外で魔物たちの気をそらしてきます。今のうちに隠れていなさい」


 「神父様、どこに行くの……行かないで!」


 「フィオーレ……どんなことがあっても乗り越えて、前に進むのです」


 「乗り越える……? 進む……?」


 「はい、そうです。どんなことがあっても、です」


 それはいつも私や孤児院の子供たちに言ってくれる言葉だ。

 しかし、それはまるで自分の最期を悟っているからこそ私に言い残したように聞こえた。


 「フィオーレ、あなたに神の加護のあらんことを……」


 神父様はそう言うと一振りの剣を携えてどこかへと行ってしまった……


 「神父様! 行かないで! 神父様!」


 神父様はきっと命と引き換えに私とシスターを守るつもりだ。


 「フィオーレ、こっちへいらっしゃい」


 「神父様! やだ! もうこれ以上私から何も奪わないで!」


 私には元々何もなかった……天涯孤独の身だった……この孤児院とこの街が私の世界のすべてだった……

 それなのに目の前で友達を殺された……果物屋のおじさんもだ……街は火の海と化し、魔物たちが攻め入ってきている……

 こんなことってないじゃない……何も与えられなかった私から……これ以上何かを奪わないで……


 「やめて! 私からもう何も奪わないで!」


 シスターは叫ぶ私を無理矢理引っ張り教会の中へと連れて行く。シスターは私に落ち着くように言うと教会の床を持ち上げた。地下への隠し通路があった。


 「フィオーレ、ここに隠れていなさい。奥に部屋があるわ」


 どうやらこの中に秘密の部屋があるらしい。シスターは私にその秘密の地下室に隠れるように言った。


 「フィオーレ……魔物たちが去るまでここから出てきてはいけませんよ」


 「なんで私なんて守るの……? シスターは……?」


 「大丈夫よ、フィオーレ……神のご加護がありますから」


 そう言うシスターだったが、その目には涙が溢れていた。きっとこのあとどうなるか分かっているのだろう……


 「シスター!」


 「フィオーレ……うぅ……生きるのよ」


 「シスター! シスター!」


 シスターは教会の床を閉めた。


 「みんな死んでいく……私のために……優しい人が、愛しい人が、みんな死んでいく……」


 私はたった一人、この地下室に取り残された……



 ☆ ☆ ☆



 私はかつて冒険者業を生業としていました。果物屋の店主フィリッポは私と同じ冒険者仲間でした。

 その前は傭兵として戦場を渡り歩いてきた身です。フィリッポも同じでした。

 戦場で子供達が貧しい暮らしをしているのを見てこの孤児院を建てたのです。一人でも多くの子供が苦しまないで生きていけるようにと。

 フィリッポは「お前がいないんじゃ張り合いがねえからな」と言って私に着いてきました。そしてこの街で果物屋をするようになりました。

 多くの命を殺めてきた私に子供達を育てる資格があるのか最初は悩みました。ですが、子供達の純粋な瞳を見ていると心が洗われるようでした。

 私は人間の本当の幸せを見つけたのです。シスターは最初に私の孤児院で引き取った少女でした。他の子供達も、そしてフィオーレも、今では私の宝物です……私は彼らを守るためなら命だって捨てられます。戦いの中で荒みきった私に人の心を与えてくれた彼らのためなら、再び剣を取り戦うことだって躊躇いません。オリーヴィアよ……どうか、どうかもう一度だけあの残忍な私に戻ることをお許しください。あの子達を守るために再び剣を握ることを……


 私が剣を取り前に進むと三体の魔物達が襲いかかってきました。


 「やっちまえ!」


 そう言ってやってきた魔物を私は一振りで三体同時に葬りました。胴を斬られた魔物達は血を流しながら絶命しました。


 「けっ、何やってんだよお前ら。そんな神父一人も殺せねえのかよ」


 そう言ったもう一体の魔物の首も一振りではね落としました。


 しかしフィオーレだけでも助かったのは奇跡としか言いようがありません……あの子はこの世界を救う勇者です。間違いありません。

 何があってもフィオーレだけは守らねばなりません……シスターもそれは分かっているはずです。

 目の前にいる魔物……おそらく相当な手練れでしょう……フィオーレが勇者だと気づかれないようにしなくては……


 「ふむ、お前のその剣技……凄烈かつ流麗……ただ者ではないな」


 二本足で立つ狼の姿の魔物は私にそう言いました。


 「これほどの剣士、そうは目にかかれぬ。中央王国の騎士団団長クラスに匹敵するかもしれぬ……人間どもの中ではトップクラスの強さだ」


 「私は昔、傭兵をしていただけのただの神父です」


 「なかなかのしたたかさだ」


 そう話をしていると、その魔物の横に別の魔物が現れました。


 「フェンリル様、この男の死体も片付けちゃいますね」


 そう言うと魔物は果物屋の店主の死体を足蹴にしようとしました。するとその魔物は一瞬で首をはねられ、そして絶命しました。そう、斬ったのはフェンリルという魔物です。


 「貴様はさっきのこの男の行動を見なかったのか。この男は子供を助けるために自らの命をかけて守ったのだ。その男の死体を無下に扱うな」


 他の魔物達は怯えた様子でそれを見ていました。この魔物はどうやら魔王軍幹部のようです。他の魔物達は死体を丁重に扱いながらどこかに持って行きました。


 「私は魔王軍幹部、憤怒の罪、フェンリル。私は決してこの男に情けをかけたのではない。人間のように感情的になったからではない。強き者こそが我が真理だ。強き者こそ我が友でありライバルだ。強さとは腕っ節の強さだけを言っているのではない。信念を貫く者こそが強者だ。私はこの男の命を賭けて子供を守ろうとする意志の強さに敬意を表したのだ」


 「……あなたは武人なのですね」


 魔王軍幹部、憤怒の罪、フェンリル……風の噂で聞いたことがあります。魔王軍の中でも特に強い七体の魔物……『七つの大罪』。それが今、私の目の前に……


 「先ほどの男、背中から斬ってしまった……本来、武人としてやってはならぬことだ……あの男も相当な手練れのはず……それが子供を守るために……私は自分を武人と名乗ってもいいのだろうかと思うことがある……しかし魔王様に仕える身ゆえ……」


 「……」


 「忘れてくれ……私は言い訳などしたくない」


 フェンリルと名乗る魔物はうつむきながらそう言いました。


 「神父よ、私と剣を交えよう。私はお前と戦いたい」


 私は剣を構えました。対峙するだけで分かりました……この魔物は他の魔物とは違うということを……肌がヒリヒリするような強い殺気、そして彼の全身から流れる強い闘気を感じました。


 「その構え、隙がまったくない……これほどの剣士と相対する日が来ようとは」


 「いきます……」


 私は一直線に突進し、剣を振り下ろしました……

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