第24話 鳴り子城、陥落

 藤亜たちが森に逃げ込んでから約六時間後。

 既に、時刻は午後五時を過ぎようかというところ。

 明るさはまだ十分だが、陽の傾きを嫌が応にも意識しなくてはならない頃合い。

 日中の暑さが弱まり、山頂に吹く風に涼やかさを感じるほどに気温も落ちた。

 戦場の熱を忘れた者は、いつの間にか雲行きが怪しくなってきたことに気付くことが出来ただろう。

 だが、それに気付く者など誰もいない。


 そして今、一つの決着が付こうとしていた。


 幾度となくオルデガルド帝国茨十時騎士団の攻撃に耐えてきた鳴り子城も、もうすぐ最後の時を迎える。

 鳴り子城は元々は関所として建てられた物を、増改築して山城にしたもの。

 山頂地域に建てられたため、側面は険しい斜面のため徒歩以外は踏み込めず、包囲されにくい。

 対魔獣・界獣用の城とあって、小さいが天守閣までこしらえてある本丸に、周りを囲む石積みの城壁もしっかりしている。

 武器も大砲を揃え、足軽用に火縄銃も長槍も長弓も十分にある。

 飛龍ワイバーン程度なら、ほぼ被害なく撃退出来る山城だった。

 だが、その城壁は今や見るも無惨に打ち破られ、燃やされ、破壊されている。

 聖騎士エスメラルダ・パラ・エストラーダが放つ魔術は、飛龍ごとき簡単に燃やし尽くす。


 確かに昨日の合戦とは違い、神州国軍は善戦した。

 僅か数名の超人しかいない二百人ほどの軍勢で、百人以上の超人を抱える茨十字騎士団の約三百人を相手に半日持たせた上に、超人二十人以上を殺し、百人以上の負傷者を生み出したのだ。

 様々な死角に仕掛けた罠で足止めし、霞弾を詰めた大砲で人馬もろとも挽肉に変え、最期は爆弾を抱えた決死隊で散華する。

 神州国軍は自爆攻撃ここまでしなければ、まともな勝負に持って行けなかったのだ。


 超人と術師の戦力差は、勝敗にそれほどまでに残酷な影響をもたらす。

 白塗りの城壁は血飛沫と爆炎の煤で汚れ、建物は破壊され尽くされた。

 爆死した足軽たちの肉片はそこら中に散らばり燃えている。

 手足だけでも、綺麗な形が残っている方が珍しい。

 もはや何かの爆心地かと思うばかりの城内の中庭で、今日最後の戦闘が始まろうとしていた。


「ユードリッド男爵、ようやく儂の介錯に来たか?」


 悠々とした足取りで近づく壮年の騎士に声を掛けたのは、半壊した鳴り子城城主の太田森須江之門おおたもりすえのもん

 禿頭の侍が身に纏う当世具足も至る所が破れ、手足には幾つもの刀傷が刻まれ、血を滲ませている。

 身に付けた装束は汗と泥、血と煙にまみれ、全てを混ぜ合わせた結果、黒色に見えた。

 腰に差してあった大小の刀も既に折れ、手にする得物は家宝の薙刀ただ一つ。

 彼はそれでも大将首を狙ってきた若い超人の騎士を返り討ちしたばかりである。

 新たな敵が眼前に迫るも、太田森は腰に付けていた竹で出来た水筒に口を付け、乾ききった喉を潤す。

 己の限界は既に超えた。

 体力は尽き、魔力も尽きた。

 部下の兵たちはみな倒れた。

 ここに至って尽きていないのは意地と気合いだけだ。


「ああ、待たせたな。だが、これほどの弱兵と寡兵でありながら……我ら茨十字騎士団相手にこれだけの大立ち回りを演じるとは……周辺国との戦いでは一度も経験したことがない。正直、昨日まで貴殿を見くびっていた。謝罪しよう。貴殿の奮闘は嘘偽りなく、賞賛に値する。太田森殿」


 そう語るユードリッド男爵の言葉は、感嘆を織り交ぜた真摯な声音に満ちていた。

 堂々たる巨躯を包む鎧姿と前後左右を固める護衛の騎士たち。

 正に、威風堂々たる大将である。

 役職上後方にいるユードリッド男爵にも、太田森たち精鋭の戦いは見えていた。

 兵士たちが自らの命すら投げ捨てる必殺の意志。

 数名とはいえエルフの義勇兵たちが放った恐るべき攻撃魔法の数々。

 太田森自身も攻撃魔術を使いこなし、その薙刀は正に無双と賞するしかない腕前。

 茨十時騎士団で超人の犠牲者がここまで出たことは、生え抜きのユードリッド男爵にしても十年以上記憶にないほどである。


「ならば、ここでの死は全て無駄ではないな」


 太田森は賞賛の言葉に満足したように応えた。

 そこにはまるで何か、安心したようなものが混じっていた。


「無駄ではない。我らの計画は確かに狂わされた。それは我が保証しよう」

「そうか」


 そう答えてから、太田森は飲み干した水筒を投げ捨てた。

 末期の水として飲んだ井戸水は、今まで飲んだ如何なる飲み物よりも美味かった。


「最後に、世界最強と賞される国の敵将から誉れを受け取ろうとは望外なものよ」

「貴殿は、我が矛を交えた敵将の中でも最強の一人である。故に我は、貴殿に再度降伏を勧告する。待遇は客将の地位を保証しよう。大界獣との戦いには、一人でも多くの猛者が必要なのだ。どうだ?」


 太田森はゆっくりと首を横に振った。


「今までに死なせた部下たちが、首を長くして地獄で待っている。今更、約束を破るわけにはいくまい」

「そうか…………それならば仕方ないな」

「これも運命だ。儂はただ死力を尽くすのみよ」

「分かった。もはや、何も言うまい」

「最後に、副団長たるユードリッド男爵に、顔も見せぬ団長殿への言伝を頼みたい」

「何を、だ?」

「幸い、天守閣は燃えておらん。この砦が我が国にとって如何に重要だったか、腰抜けの団長殿に、。まあ、目にする景色の意味を、臆病者の団長殿が理解できればの話しだがな」


 予想外の言伝に、副団長たるユードリッド男爵は僅かに噴き出した。

 己の上官の無能は、言葉を交わさずに敵へ伝わるほどだったのだ。


「承知した。必ず伝えよう」

「その言葉と、この戦いに感謝する」

「ああ。我もこの出会いと戦いを、神に感謝する。では、行くぞ」

「おう」


 最後の会話が終わると、ユードリッド男爵は腰の鎚矛を右手に握り、盾を構えた。

 太田森は疲れた身体に鞭打って、薙刀の切っ先を敵将へと向けた。

 合図などなかった。

 ただ二人に、言葉無き合意だけがあった。

 互いにほぼ同時に動いた。

 太田森は踏み込みながら最後の魔力を注入した薙刀による斬撃を繰り出し、ユードリッド男爵は己の身体に掛けた強化魔術で残像が生じるほどの速度で踏み込む。

 勝負は一瞬だった。

 太田森の斬撃は魔術刻印で強度が跳ね上がったユードリッド男爵の鎧に阻まれ、逆にユードリッド男爵の鎚矛は太田森の鎧のほぼ中央――鳩尾に吸い込まれるように入った。

 見た目を裏切らぬ怪力で振り抜かれた鎚矛は、太田森の鎧を粉々に砕き、恐るべき衝撃は太田森を数メートルも吹き飛ばした。

 壁まで飛ばされ、大の字で崩れ落ちた太田森の手足が数回痙攣を起こしたように跳ねたが、不意に微動だにしなくなった。

 右手に残る感触で太田森の死を確信したユードリッド男爵は、傍に控えていた護衛に指示を下した。


「太田森殿の遺体は丁重に扱え。布に包み、城内に埋葬して墓標を……目印となるものを建てよ。武器も鎧も一緒に埋めろ。大界獣との戦いが終わったならば、神州国と和解の機会もあろう。理解したならば、直ちに行え。明朝には確認する」

「はっ! 了解しました!」


 ユードリッド男爵は遺体に背を向けると、護衛と共に鳴り子城を出た。

 馬に跨がり、鞭を入れる。

 戦場から離れた丘の上で、今頃子供のような癇癪を起こしているだろう団長殿――オスカー侯爵に報告する義務がある。

 不意に、ユードリッド男爵は頬に何かが当たった感触で空を見た。

 いつの間にか、大きな雨雲が彼らの上に入り込み始めている。

 今夜は雨になるな。と馬を走らせながらそう思った。

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