第12話 帝国の失敗

「そのお言葉に、今宵は甘えてさせて頂きます」

「では、まずは一献」

「……ソフィア女王は我々の言葉にもお詳しいのですな」


 流暢すぎる母国語を耳にし、失礼とは知りながらも、太田森は驚きを隠すことが出来なかった。


「この年まで生きていますと色々出来る様にもなります」


 ソフィア女王は微笑みながら、太田森が持つ盃に酒を注いだ。


「では、これから続く神州人と森人の永遠とわの友好を願って」

「森人と神州国の繁栄を願って」


 それから二人は小さな盃を打ち鳴らし、一息に酒精を呷った。

 ありきたりの米で作った酒ではあるが、濁酒ではなく清酒を用意した。

 喉を潤す酒に僅かばかり頬を緩めた太田森だったが、すぐに気を引き締め直した。


「ソフィア女王、率直にお聞きしたいことがございます」

「太田森殿、そう畏まらないで下さい。今この場には私たち二人しかおりません。まして、その胸の内には多くの疑問が渦巻いているのでしょう。私が知る限りのこと、全てをお答え致します」

「ありがとうございます、女王陛下。では、可能な限りそうさせて頂きますが……。敵は、あの茨十字騎士団はオルデガルド帝国軍の中において、どのような位置にいる騎士団なのでしょうか? 我々神州国とは回航船による貿易以外ほとんど関わりがない国。風の噂で精鋭揃いの騎士団だとは耳にしておりましたが、噂を遥かに上回る猛者どもの群れ。ましてや我らが誇る長弓兵たちを無力化した多数の術師たちも同行している戦闘団。あれはこのような辺境の地にいてよい戦力とも思えませぬ。どうして、それほどの騎士団に、貴女方が執拗に追い回され、狂ったように襲われているのか? その理由を詳しく教えては頂けませんか」


 美しすぎる女王は盃を手前の盆に戻した。

 今宵の酒の肴に大したものはない。塩と干し柿、甘納豆とシシャモの串焼き。

 そんな程度のものしかない。

 いや、今宵の酒の肴は、この会話そのものであろう。


「あの帝国において茨十字騎士団は、皇帝直轄の第一近衛騎士団に次ぐ精強騎士団として周辺諸国でも一目置かれる存在です。特徴として魔獣・界獣討伐に重きを置いた集団戦を得意とし、魔術に優れた者たちを可能な限り集めた、一騎当千の超人集団でもあります。ただ、それだけに兵の数は少なく、消耗戦が多い人間同士の大戦には出されることがほとんどない騎士団でもあります」

「それほどに貴重な戦力がなぜ森人へと向けられるのですか? どうやら地獄峠で何かあったようですが、辺境にいることもあり、我々にはまともな噂一つ流れてきません。オルデガルド帝国は一体なにをしくじり、どうしてそこまで焦っているのですか?」


 食い入るように質問する城主に、追われる立場である女王は悠然と微笑んだ。


「地獄峠……または地獄門と呼ばれる地には、魔界と繋がる門がある。この言い伝えは有名すぎて、世界中のどこでも人が住んでいる所ならば知れ渡っている事実でありますが、帝国はそこである実験を行い、しくじりました」

「その、ある実験とは?」

「帝国の真意は不明であり、一部私の憶測も混じります。それでよろしければ」

「是非に」

「彼らは勇者召喚術を応用し、魔界との門を塞ごうとして失敗したのです」

「魔術で……塞ぐ?」


 呆然と呟く太田森に、ソフィアは嚙み砕いて説明し始めた。


「勇者召喚術は現世から異界へと繋がる召喚門を魔力によって形成し、勇者の素質がある異界の現地人を拉致する魔術。ここで重要なのは、魔術により異界に穴を開けるということを成し遂げている事実です。そして魔獣が這い出る地獄門も見方を変えれば、異界へと繋がっているある種の召喚門と言えるでしょう。彼らは勇者召喚術の最初と最後、異界と現世を繋げる召喚門の開閉術式を改造して地獄門の閉鎖を試みたのです」

「て、帝国は……な、んと、壮大で、無謀な試みを……」


 太田森の顔は血の気を失い、その額には脂汗が浮かんでいた。

 地獄門はつい最近出来たわけでも、二~三世紀前に出来たものでもない。

 神話の時代から言い伝えられている、実在する異界への門である。

 そこへの挑戦はある意味、神への挑戦にも等しい。

 画期的な試みではあるが、あまりにも危険すぎた。


「ですが、彼らは失敗しました。ええ、ただの失敗であるならば、何も問題なかったのです」

「ただの失敗ではなかったと?」


 女王は愁いを帯びた表情で、盃を手に取ると酒で唇を濡らした。

 太田森はその時、女王の指が微かに――だが、確かに震えているのを見た。

 僅か数時間で神州国の兵士約二百名を苦も無く屠る茨十字騎士団に、一年以上追撃され、今日の戦いでも余裕を見せていた彼女の指が、突如恐怖で震えるなど……オルデガルド帝国は一体何をやらかしたのか?


「……太田森殿、貴方は界獣と戦ったことはありますか?」


 この世界において界獣と魔獣は似て非なるものだ。

 魔獣は魔界の影響を受けたか、魔力により異常進化した獣。または元より魔界の生物を指す言葉である。

 それに対し、界獣は今現在この世界の人族が認識している三界――人界(または現世)、天界、魔界以外の世界から現れた獣を表す言葉。

 原因不明、詳細不明、目的不明で時折人界に現れては周囲を破壊し尽くす、強大な異形の獣のことである。

 無論、このような獣は数十年数百年に一度現れるかどうかのものであり、時間が経てば跡形もなく消え失せることから、支配者層からは魔族より深刻な脅威と捉えられてはいない。

 局所的には大損害を被るが、一時間もしないうちに消え失せるので地震のように捉える者もいた。


「いえ。恥ずかしながら、そのような巡り合わせは……まさか、まさか!? 帝国はっ!?」

「ええ、彼らは界獣のいる世界と繋ぐ召喚門を作ってしまったのです」


 ソフィアは絶句する太田森を見ることなど出来なかった。

 今の城主は、彼女が真実を知った時と変わらない。

 太田森は麻痺したように動かない喉に無理矢理酒を流し込んだ。

 明日には己の死を覚悟していた太田森であったが、今この時は狂ったように叫び出したい衝動に駆られていた。

 彼が叫ばなかったのは目の前に絶世の美女がいたからという、男としての本能的な忍耐の結果に過ぎない。


「……その門は……まさか今も維持されているのですか?」

「いいえ。魔力が尽きれば人の術では召喚門を維持できません。その時はそれで終わりました。ですが、おそらく、地獄門閉鎖の儀式に参加した魔術師はほとんど死んだのでしょう。それから半年後ですか……オルデガルド帝国が各地の森人を襲うようになったのは……」

「お言葉ですが、ソフィア女王陛下。オルデガルド帝国は確かに強大ですが、森人は大陸西方に多く住み、各国の森に居を構えているとお聞きしております。友好国と協力すれば帝国と言えど……まさか……帝国は本当に狂ったのですか?」


 太田森には信じ難い話しだったが、今自分自身で言い掛けたことが真実であるならば全て辻褄が合う。

 話し合いもなく、茨十字騎士団が神州国鎮西軍に襲い掛かってきたこと。

 森人だけを執拗に付け狙うことも。

 全て筋が通る。

 オルデガルド帝国が問答無用で襲い掛かったのは、別に神州国だけではなかったのだ。

 彼らオルデガルド帝国は既に世界各国と全面戦争を辞さず、武力にものを言わせて森人を攫っているのだ。

 そのために歯向かう者、邪魔する者、全てを打ち払うだけの武力を持った軍人や騎士たちを世界中に放ったのだ。


「そうです。オルデガルド帝国皇帝は狂ったのです。界獣に人類が滅ぼされるかもしれないと本気で恐れたのです。事実、実験の失敗後、大陸の西側では、特に帝国領内では界獣の襲撃が頻発しました。数十年に一度あるかないかの界獣の襲撃が、月に数回も発生したのです。さしもの城塞都市でさえ、数回襲われれば更地に変わります……その恐怖に負けたのか……帝国は国境を接するすべての国々に全魔術師の無期限提供を要求したのです」

「ですが、そのような無法が通るわけもない」

「ええ、通るわけがありません。帝国も分かっていたのでしょう。最初から力づくでした」


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