第6話 2つの正義

 若侍――加藤威史は威圧を兼ねて殺気を乗せた大声を上げた。


「要件が書状だけならば副将である、この加藤威史が預かる! その書状、投げい!」

「団長殿の書状を投げろだと!? 儀礼を知らぬ蛮族めが! 交渉を求める、この青い軍旗が眼に入らぬか!」


 この世界では青旗は軍使を示すことを多くの国が知っている。

 当然、若侍の住む国――神州国も知っている。

 気色ばんで憤るユードリッド男爵を、若侍は鼻でせせら嗤った。


「大方その書状も中身はただの脅迫状だろう。森人エルフを狩るために、神州国にまで襲い掛かる犬畜生どもが! お前らの軍旗を信じるほど落ちぶれてはおらんぞ!」

「団長殿の御慈悲を無下にするとは……その傲慢さ、血以外では償えぬと知れ!」

「領内に地獄峠を抱えながらも、極東の地に英傑級の騎士まで寄越すとは帝国も大層暇なのだな。やはり、近頃ちまたに魑魅魍魎どもが溢れかえっているのは、噂通り、!!」


 若侍の侮蔑に即座に反応したのは副団長ではなく、その脇を固める護衛の一人。

 白銀の甲冑を着込んだ金髪の美少女エスメラルダが血相を変えて怒鳴り返した。


「貴様! 我が同胞らを侮辱する暴言を即刻取り消せ!」

「やめろ! エスメラルダ!」


 少女に対する制止の声は上官ではなく、同僚である美丈夫の青年から飛んできた。


「しかし、ラーフェン殿! 地獄門での戦いを知らぬ、我国の庇護を受けるだけの蛮族どもが――」

「奴らとて!」


 凜々しい美少女を、ただ一言で制する青年の一喝。

 軍旗を掲げる男の声音には、辺り一面を制するほどの圧があった。


界獣かいじゅうとの戦いを知らぬわけではない! 見誤るとまた不覚を取るぞ!」

「――――くっ」


 ユードリッド男爵は騒ぐ護衛を無視して、正面に立ち塞がる加藤威史の眼を強く睨み付けた。

 二人の距離は約五間(9メートル)ほど。

 馬上の騎士と睨み合う若侍だが、後者が坂道にいるため目線はほぼ同じ高さであった。

 ユードリッド男爵はやがて教え諭すような口調で、若侍に語り始めた。


「地獄門のことを知っているならば、我らがエルフを狩り集め始めた戦況も察することが出来よう。そこまで分かっていながら、なぜ無益な邪魔をする。なぜ抗う。我らも祖国から出立し、既に一年近く過ぎた。だが、それでも最果ての極東まで追って来たのは、これが真に、嘘偽り無く人類救済の働きであるが故。それが何故分からぬ。いや、知っていながら、なぜ我らの邪魔をする。その所業こそが……」


 ユードリッド男爵は徐々に大きくなる声を抑えていたが、やがて自分の言葉で我慢の限度を超えた。


いざな!」

 魔力混じりの圧さえ伴う怒号は草木を揺らし、射殺すために弓を構えていた弓兵たちでさえ半歩後ずさる。


 加藤威史はそれを真正面かつ至近距離で受けながらも微動だにせず、圧を感じたかさえ疑わしい。そう思わせるだけの余裕を担保する実力、つまり己の武力とはらわたが煮えくり返るような怒りが若侍の内側で渦巻いていた。


「古の大恩ある森人を贄にする貴様らの所業こそが悪鬼羅刹の極み! しかも無数の森人を贄にして行う術は、異界からの勇者召喚の儀以外あり得ぬ! あれこそが、ことわり! 使えば使うほど世界のことわりは歪み、回り回って、人界を襲う悪しき波動となる! お主ら帝国の所業こそ、人族を壊死させる悪行と知れ!!」


 男爵の言葉が魔力で威圧する怒号であるならば、若侍の言葉は獣の咆哮というべきものだった。

 共に己が正義を譲らぬ強者である以上、言葉では何も解決しないことを承知していた。


「これ以上は諭しても無駄か……」


 ユードリッド男爵は諦観の眼差しを隠そうともせず、腰に下げていた鎚矛を静かに握った。


「狂言など元より聞く気はない。通りたければ、俺を殺して押し通れ」


 加藤威史が左足を一歩踏み出しながら、朱槍の穂先を敵の足を狙うように斜め下に向け、石突きを自らの目線より上にする左半身大上段の構えを取った。朱槍の穂先は刺突を重視した菖蒲造、長さ一尺三寸(40cm)の大業物。雨雲から覗く陽光を浴びると、一際一層鋭い光を放つ。

 その構えが全ての開始点となった。

 ラーフェンは斧槍ハルバードの切っ先を若侍に向け、エスメラルダは矢避けの術を術印とともに半展開、弓兵たちは一斉に矢を番えた。

 最初に立ちはだかった少年――藤亜十兵衛も、異母兄弟である加藤威史の後ろで鞘から数打ち物の太刀を抜いた。


 あとは何時、戦いの火口を切るか。

 それだけの問題。

 加藤らが率いる神州軍は副将の号令を待ち、ユードリッド男爵らは魔術で後の先を取ろうと待ち構える。

 一触即発の空気が漂う。

 敵の隙を伺い、睨み合いを続ける最中、突如少女の声が周囲一帯に響き渡った。

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