第5話 捨て駒 藤亜十兵衛
一人の少年が藪から現れて、三人の騎士の前に躊躇うことなく立ち塞がった。
齢は十五かそこら。無造作に束ねた黒髪と針金のように引き締まった身体。
朝から降り注いでいた雨でずぶ濡れになった身なりは見窄らしいの一言に尽きる。
袖は擦り切れ、裾を脚絆で巻いて締めた紺の軍袴は所々切り裂かれいる。。
身を守る武具は泥に塗れた鋲打ちで補強した皮鎧と籠手のみ。
まなじりを決した双眸には餓狼の如き眼光。
そこから漏れ出る剥き出しの殺意には赤子も怯えて泣き出すだろう。
少年の名は
彼は山道の衛兵として責務を全うすべく、身を以て敵の行く先を遮った。
突撃する騎馬の真っ正面に立ちながらも臆すること無く右半身に構え、腰を深く落として太刀の
少年はすれ違いざまの抜刀で少なくとも一騎は屠る気である。
だが少年の予想を裏切り、敵は急制動を掛けて五間(9メートル)ほど手前で止まった。
苛立った馬が派手に泥水を撒き散らし、少年はそれを頭から浴びる。
避けようと思えば、簡単に避けられた。
だが、藤亜は微動だにしない。
彼の中では、殺し合いは既に始まっている。
髪から滴り落ちる泥水に瞬きすることも無く、敵から目を離さない。
少年が鯉口を切る。
その音は耳障りなほどに大きく、不気味に響いた。
壮年の騎士が機先を制し、兜の面甲を跳ね上げると轟雷の如き大声を響かせた。
「――待てい、小僧! 我は偉大なるオルデガルド帝国軍で、誇り高き武勇を轟かす
茨十字騎士団副団長ユードリッド男爵なるぞ! お主の主、この山の城主へ、オスカー将軍の書状を持って参った! お目通しを願おうか!」
ユードリッド男爵は言葉こそ少年へ語りかけているが、その視線は立ち塞がる少年ではなく、明らかにその後方の藪へと向けていた。
見た目は武骨の極みそのものであるユードリッド男爵だったが、その知性は猪に
目の前に立ち塞がる少年は、自分らを足止めするためだけに用意された捨て駒であると瞬時に見抜いていた。
そして身を潜めていた者も、敵の言葉がはったりではなく、己を正確に看破していると見抜いた。
「下がれ、十兵衛」
後ろの藪から突如響いた青年の声。
藤亜は鯉口を切ったまま無言で道を空けた。
そこへ藪をかき分け、見事という他ない武威を漂わす赤い鎧の若侍が現れた。
若侍の名は
朱槍と赤揃えの武者鎧を身に纏った青年は、臆することなく数に勝る敵騎兵の前に立ち塞がった。
虎の如き眼光鋭き双眸と野性味溢れた精悍な顔つき。無造作に首の後ろで束ねた黒髪と顎に生やした無精髭。身の丈は六尺(約180cm)を超え、金剛羅漢の如く鍛え上げられた筋肉は緩やかな軍袴を身につけていても察することが出来た。
一目見ただけで、誰もが理解させられてしまうほどの古強者。
事実、若侍が姿を現しただけでユードリッド男爵は顔色を変え、その両脇を固める男女の騎士も警戒を露わにした。男は交渉役であることを示す青い軍旗を括り付けた
―――だが、その動作を見ていた者たちがいた。
山道の脇や斜面の藪から三騎の騎兵を囲むように伏せていた数名の弓兵が、一斉に姿を現して素早く長弓を引き絞った。
弓兵の動きは脅しではなく、殺すために狙いを定める。
敵との距離バラバラだが、一番近い者は二十間(約18m)も離れていない。
この距離この人数ならば、如何に超人であろうと全ての矢を打ち払うことは出来ない。
数名の弓兵は言葉一つ合図一つなく、全ての動きを無言で有機的に一致させていた。
そうでなければ――――いや、そこまでしなければ、あの三人の騎士には届かない。戦場で放たれた矢が一本たりとも届かなかった。それは数時間前に亡骸となった戦友たちが教えてくれた戦訓だった。
「――双方、動くな!」
若侍の声が、部下である弓兵と動き掛けた三人の騎士を止めた。
だが、十兵衛と同じ軍袴を身に付けた弓兵たちは誰一人、敵から狙いをはずそうとしない。
弓兵らは憎しみに満ちた眼で三人の騎士を射殺さんとしている。
「貴様ら、俺の命令が聞けぬか?」
若侍の静かで、しかし誰の耳にも届く、威圧交じりの声で部下たちに問い掛けた。
僅かな苛立ちはその声音に微かだが確実に混じっていた。
二呼吸ほどおいて目を合わせた弓兵たちは、無言で
馬上の騎士たちもそれを確認してから、ゆっくりと構えを解いた。
先ほどの戦場で圧倒的優勢を勝ち取ったはずの茨十時騎士団の三人が、過剰なまでに警戒すること自体、目の前に現れた赤揃えの若侍がどれほどの脅威かを物語っている。
僅か一刻前、目の前にいる若侍一人の所為で完勝を逃し、それどころか予想だにしていなかった損害を受けてしまったのだ。
それにより茨十時騎士団団長は三人を使者として使わした。
彼ら三人は団長の目論見が成功するとは思っていなかったが、一応話し会うために来た。
もっとも三人で来たのには、はっきりとした理由と自信がある。
三人いれば絶対に敵に負けない――少なくとも一人以上は確実に生き残れる――と彼らは判断していた。
若侍一人を除けば、残りは有象無象の常人どもの群れ。
蹴散らすのは手間ではあるが難しくない。
神州国、恐るるに足らず。
それがユードリッド男爵を始めとする三人の認識だった。
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