第7話 超人と英傑
騎士と侍たちがお互いの隙を伺い、睨み合いを続ける戦場で、突如少女の声が周囲一帯に響き渡った。
「加藤様! 加藤様、お待ち下さい! 城主様が使者を通せと仰っております!」
天空から響く大音量の声。
明らかに普通のものではなく拡声魔術を使ったもの。
声の主を知っている藤亜十兵衛は目線を背後に――つまり、山城の方へと向けた。
視線の先には山道を飛ぶように降りてくる一匹の巨大な黒狼と、その背にしがみついている少女が見えた。
牛よりも大きい黒狼の動きは、少女を背負っていることなど微塵も感じさせない。
疾風の如き速さで藤亜十兵衛の隣りにやってくると、黒い魔狼はピタリと立ち止まった。
「
白銀の鎧に身を包んだ美少女エスメラルダが嫌悪に満ちた声で呟く。
だが、誰も応えない。
加藤と対峙する彼女の同僚と上官にそのような余裕はない。
エスメラルダは一瞬だけ対魔獣用結界の詠唱を考えたが、即座にその選択肢を捨てさった。
まずは放たれるだろう矢から仲間を護るのが先だ。
自分を含め、ここにいる仲間は全て超人以上の能力を持つ騎士である。
俗人の弓兵どもとは運動神経、反射神経、筋力に至るまで全て段違いの差がある。
それこそ赤子と大人ほどの差が存在するのだ。
魔狼は確かに手強い敵だが、最悪自分一人でどうにか出来ると判断したが――。
不意に叩きつけられた殺気に、エスメラルダ・パラ・エストラーダは背筋を震わせて殺意の元を辿る。
殺意は若侍の後ろにひっそりと立つ、みすぼらしい少年が放ったもの。
膨れ上がる藤亜の殺意に、エスメラルダの殺意も炎のように燃え上がった。
そんな殺気漲る場に乱入した少女は敵も味方も一切合切無視して、しがみついていた狼の背中から軽やかに降りた。
誰一人、狼とともに現れた少女に視線を向けていない。
少女は藤亜と同じ薄汚れた軍袴を着込み、遠目からは少年のようだが、近くで見ればその印象は一瞬で変わる。
綺麗に通った鼻筋、憂いを帯びた大きな瞳、しゅっと締まった顎先。
端整な顔立ちと、肩先ほどの長さに切り揃えた艶やかな黒髪。
それを無造作に白紐で束ねただけの髪型だが、そのうなじには少女としてはあり得ないほどの色気があった。
その容姿から、あと数年もすれば陰のある美女と成ることは容易に想像出来る。
加えて、男の庇護欲と加虐心をそそる儚さを漂わせ、強く抱きしめれば、そのまま折れてしまいそうなほど細いくびれ。
それでいて、目のやり場に困るほど豊かな胸と小振りな尻の丸みはもはや大人の女と遜色がない。
将来は傾国の美女かと、権力者たちが妾や愛人にと手を伸ばすほどの逸材。
幸い、今の彼女がその裸体で男を
少女は初歩的な魔術と火薬、体術を駆使し、後方攪乱や破壊工作を担当する藤亜家ただ一人の忍びの者。
名を蘭といい、とある出来事から下忍以下の扱いを受けているため名字を奪われていた。
その少女は、副将である加藤威史の左斜め後方で片膝を付いて頭を垂れた。
「
「分かった」
加藤は逡巡することなく大将の命令に従った。
未練なく構えを解くと、弓兵にも矢を外すように命令する。
「一名、俺が城主のところまで案内する。誰が来るのかさっさと決めろ」
「我に決まっておる」
ユードリッド男爵が応えながら、さらに一歩前に出た。
「馬は置いていけ。それが条件だ」
加藤が徒歩である以上、使者であろうと敵に馬を許すことはない。
「妥当である。ラーフェン、馬を頼む」
「承知しました」
青旗を付けた
白銀の騎士と弓兵たちが再び鋭い視線を交わし始めたが、双方共に流石に切っ先を向けるようなことはしない。
だが、余計に殺意が満ちる空間となった。
それらの空気を一切合切無視して、黒狼に乗ってきた少女――蘭は先ほどと同じように片膝を付いたまま藤亜に向き直った。
「ご主人様、お体に触ることをお許し下さい」
「許す」
それが至極当然という素っ気ない許可。
立ち上がった蘭は上衣の胸元から手拭いを取り出すと、少年の正面から胸を押し付けるように身を寄せて、藤亜の顔にこびり付いた泥を落とし始めた。
敵前でありながら、ただ悪戯に触れているのでない。彼女にはそうするだけの理由があった。
蘭は注意しても聞き取れないほど小さな声で、己の全てを捧げる主人に現状を伝えた。
「はぐれていた森人も全て城に収容しました。彼らを逃す船は二日後に到着予定です」
「承知」
藤亜十兵衛も周囲に聞こえないように掠れた小声で応えた。
蘭が囁く間も、手拭いで顔を拭かれていても、藤亜の視線は敵の騎士から離れない。
特に、白銀の鎧を着込んだ女騎士から離すことが出来なかった。
藤亜と同等の怪力――素手で人の手足をねじ切れるほどの筋力を持つ超人でありながら、魔術師――それも広域攻撃魔術を連発出来るほどの術者。
隣りにいる
単純な腕力勝負ならば勝てないだろう。
超人の中でも優秀な部類だ。
副将の加藤に付いていったユードリッド男爵も明らかに超人だ。
そうでなければ、敵である少女も青年も従うわけがない。
茨十字騎士団自体が選りすぐりの超人を集めた、オルデガルド帝国軍の切り札ともいうべき騎士団。これ以上の騎士団となれば、強大な帝国といえども近衛を含めて僅かしかない。
藤亜十兵衛の見立てでは敵騎士団の中でもっとも危険なのは、赤みがかった金髪の少女騎士。
義兄弟の盃を交わした加藤威史が、早朝の合戦で一撃で殺せなかった。
ただ、それだけでも驚愕すべき実力。
自分と歳はそれほど離れていないだろうが、敵は間違いなく一流の英傑。
超人とは、人類が種としての生存のために生み出した突然変異の個体。
だが英傑は、人類を守護すべく神が遣わした異能者たちの総称である。
もともと与えられたものが違うのだ。
力の差は言うまでもない。
戦技や腕前に相当の差がなければ、正面から打ち倒すのは難しい。
それが目の前で敵として対峙している。
どこかの神に用意されたとしか思えない。
『転生出来るのは、お前みたいな――――神様の
思い出すだけでむかつく、あのふざけた神に藤亜は心の中で悪態を吐いた。
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