エピローグ
「じゃあ行って来るよ」
義秋は政典の船に乗り込み、節子に言った。
「行ってらっしゃい」
節子は食べ物と、コーヒーポットの入った籠を義秋に渡した。
「腕が鈍って無いところ見せてやるからな」
義秋は自分の右腕をポンポンと叩いた。
それと同時に政典の船は岸壁をゆっくりと離れて行った。昨日とは違い、風も無く良く晴れた日だった。
岸壁からどんどん離れ、節子が小さくなって行く。海の上では周囲の景色が小さくなるのが早い気がした。そして揺れる船の甲板に座り、荷物を置く。
義秋は見慣れて来た町の風景を、船の上からじっと見つめた。湾の中を出ると政典は船のスピードを一気に上げる。身体に受ける冷たい風が心地良かった。
しばらく行くと犬啼岩が見えて来た。
「あの岩は変わんないな」
義秋は政典に言う。
「当たり前たい。百年やそこらで変わるモンじゃ無かけんね」
政典は笑った。
「あ、節子が淹れてくれた美味いコーヒーがあるけど飲むか」
義秋は微笑んだ。
「ああ、噂のコーヒーたいね。飲む飲む」
政典はそう言いながらハンドルを握っていた。
義秋はポットのキャップにコーヒーを注いで政典に渡した。
「さんきゅ…」
義秋は自分にもコーヒーを注ぎ、過ぎて行く風景を見ながら飲んだ。
次の瞬間、政典が操舵席から崩れ落ちる様に甲板に膝を突いた。
「マサ…、悪く思うなよ…」
義秋は政典にコートを掛けて、操舵席に入った。そして釣り竿ケースを引き寄せる様に取ると、ゆっくりと開けた。
「今回はアメリカ製です」
ビスコは大きな石の上を歩きながら説明を始める。
「レミントンか」
義秋はケースの中を少し覗いた。ビスコは頷いて、
「M700ポリスを改造してありまして、約千二百メートルの射程距離が出ています」
そう説明した。
義秋はそのライフルの部品を取り出すと、次々に手際良く組み立てて行った。
冷たい部品を組み立てながら、幼馴染たちの言葉が次々と蘇って来る。そしてこの町の苦悩と叫び声の様なモノが、義秋には聞こえて来る様だった。
最後にスコープを取り出し、ガチャリという音を立ててライフルの上部に取り付けた。
そして、そのスコープを覗き込む様に長いライフルを構えた。
「若干、右に逸れる様です。千二百の距離で約一メートル右。それで調整して下さいとの事です」
義秋はビスコの言葉に眉間に皺を寄せて頷いた。
「千二百で一メートルか…。大した誤差じゃないな…」
義秋はライフルを構えてスコープを覗いた。そして、その誤差を修正する様にスコープを微調整した。
ケースから七センチを超える黄金色の弾を取り出して、慣れた手つきで弾倉に込めると、ライフルを操舵席の壁に立て掛けた。
政典の船のハンドルを握り、先日行った原発の見える方角へ向かった。
もうすぐクリーンエネルギーセンター建設計画記念碑の除幕式が始まる時間だった。新しく政典が付けた、魚群探知機の液晶モニターに表示された時間が義秋の目に入った。
向井はインカムを付けて記念碑のある公園に立っていた。
「向井さん。全員予定の配置に付きました」
国見は四機ある原子炉の上にいる警官と、遥か彼方にあるアンテナの上にいる警官を確認した。「あの山ですが、やはりあの山からはこちらは見えませんでした」
「そうか…」
向井は国見にそう言うと、インカムを手で押さえ、「そろそろ始まる。みんな気を抜くな…」
声を張り上げて言った。
「了解」
それぞれに配置した警官からの返事が向井の耳に入って来る。
「まあ、何も無いとは思うが、念のためだ」
国見の背中を叩いて、向井は記念碑の傍に立った。
義秋は操舵席の屋根の下で、原発側にある窓を少し開け、長い銃口を突き出した。スコープの中に母校の校舎が見えた。
もうすぐだ…。
「この弾なら一発で数人を貫通させる事も可能です。現在ある弾の中では最強ですね」
ビスコは大きなNATO弾を義秋に見せて言った。「しかし、海上から狙撃なんて出来るんですか」
義秋はビスコに微笑み、
「この「フライ」に不可能なんて無いさ…」
そう言った。
義秋は船のスピードを怪しまれないギリギリまで落とした。
見えて来た…。
義秋はライフルを構え、スコープの中を覗いた。
この町に来てから起こった様々な事が、脳裏を過る。まだ数日ではあるが、義秋には途轍もなく長い日々に感じられた。
白い幕の掛けられた大きなモニュメントが高台の公園の一角に見える。そこに立つ三村健三の姿、神谷一馬の姿も確認出来た。
しっかりと目を凝らすと、一切の音が義秋の耳から無くなって行った。
向井はじっと記念碑の陰から海を見ていた。
海から…。まさかな…。波の揺れで正確な狙撃など出来る訳が無い…。
一隻の漁船が原発の沖を走っているのが目に入った。
あのスピードで走りながらの狙撃など無理に決まっている。
じっとその船を見つめていると、向井の視界に光る小さなモノが見えた。
反射…、スコープか…。
しまった…。船からか…。
そう思った瞬間に向井は飛び出し、三村健三の前に立ちはだかった。
義秋はスコープを覗いたまま、船の揺れに自分の身体の揺れを合わせた。
記念碑の傍に、三村健三と神谷一馬が並んで立っているのがしっかりと確認出来た。
義秋はじっと、冷たいスコープを覗いたまま微笑む。
この町に帰って来て、古い仲間たちの昔と変わらない笑顔を義秋は思い出していた。
しっかりとライフルを握り直し、スコープの中の三村健三を睨む様に見た。
「先に行って待っていろ…。地獄で会おう…。三村健三…」
義秋…、いや、フライはそう呟いた。
次の瞬間、トリガーが引かれ、ライフルの銃口からは火薬臭い煙が立ち上った。
フライ 星賀 勇一郎 @hoshikau16
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